第19話 後始末
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「今日は……酒を愉しむだけの来店ですか?」
いつものバー。いつものマスター。
いつもの如く、静けさと妖しさの雰囲気が揺蕩う場。
「えぇ。もう既に存知でしょうけど……とりあえず、元勇者を始末しましたよ。ま、“その後”に運営が奴をどうしたのかまでは知りませんがね」
いつもの席に鹿島秋良。入口にほど近い席。マスターとの距離はあるが、所詮は小さな店。小声であってもその話が通じるほど。抑え気味に流れるジャズは、客とマスターの会話の邪魔にもならない。
「ふふ。さてさて。人の命は一つですよ? “その後”などと……」
「どの口が……よく言うよ」
そんな会話をしながらも、マスターは静かにウイスキーの水割りを秋良の前に差し出す。
酒を愉しむための来店と言いつつ、秋良はグラスに口を付けない。ただ眺めるだけ。
「……別にこの店、マスターの出してくれる酒に文句をつけるわけじゃないですけど……この世界に戻ってきてから、俺は酒が美味いと感じたことがない……酒を呑むのは愉しいんですけどね」
誘い受け。会話を動かす為の話。導入だ。
「それはまた、どうしてでしょうか?」
いまのマスターは、バーのマスターとしての仕事をする。客が望むように会話を転がす。
「人によるんでしょうけど……俺は、酔えない酒を美味いとは思えないってだけです。向こうでも酒はあったし、酔っぱらってバカを仕出かしたこともある……普通に酔えてたんですけどね。何故かこっちへ戻ってきてからは酔えない。いくら飲んでも醒めてしまう。いや、それが魔力による自浄作用だってのは知ってますけどね」
「つまり秋良さんは……こちらでは、未だに気を休めることが出来ない……ということでしょうか?」
「……どうかな。ま、俺がこのバーで……マスターの前で酔うことがないっていうのは確実でしょうけど」
ある程度は気を許してはいる。いざという時に頼りにもしている。ただ、マスターの前で秋良が気を抜く……油断するということはない。
「ふふ。それは良い心がけだと思いますよ。やはり秋良さんを選んだのは、我ながら良い判断でした」
「それはどうも。……マスター。改めてもう一度聞きますが、宇佐崎紬の心をどうにかすることは出来ないんですか? 金以外の対価を払っても?」
宇佐崎紬が救出されてから、あの夜から既に五日が経過している。しかし、それでも彼女は目を覚まさない。いや、肉体的には起きているが、外部からの刺激に反応しない。心が閉ざされたまま。
依頼について動く中で、秋良はマスターにどうにかできないかという事を頼んだことがある。結果は『無理です』とのこと。撃沈。そして、いま一度の頼みだ。
「……秋良さん。本来、
秋良がマスターに差し出す対価。
マスターからの依頼を受けることと、ユラのアバターもどきの情報。本来は提供される筈の情報を制限しても良いから……と、運営側にとっては対価にすらならない事を取引として使っていた。
そのため、戻ってきてから一年が経過するが、秋良は未だにユラのアバターもどきの情報を得られていない。
「……マスターがそうまで言うってことは、もう“おねだり”はダメってことですかね?」
「……ふぅ。ダメではないのがこちらとしては辛いところです。ただし、申し訳ございませんが、宇佐崎紬さんに関しては出来ることはありません。以前にもお伝えしたと思いますが、人の意思や感情に介入する権限は私どもにはないのです。いっそ異能などを用いて、この世界のルールで何とかしてもらうしかありません」
「異能であれば、記憶や意思、感情を捻じ曲げられるのに……運営側ではそれはできないってことですか……」
「はい。この件に関しては、何度お願いをされても、同じ答えしか返せません。百束一門であれば、記憶や感情を操作する異能者も抱えているでしょうが……あまりお勧めはしません。どのように操作しようとも、再発……異能が解けることもあるでしょう」
実のところ、秋良は『無理なら無理』と割り切ることもできる。ただ、もし可能性があるなら……という確認。自分の事ならともかく、少女の未来を思うと若干の未練がましさが出てしまう。
「はぁ……分かりました。後は現代医学や本人の生きる力を信じることにしますよ。百束一門も動いているようですしね」
「……ご理解いただきありがとうございます。それで……秋良さん。今回の件では、百束一門とは結局どのようなやり取りとなったのでしょうか?」
「白々しい。どうせ知っているでしょうに……」
秋良はそう言いつつも、あの夜のことを語る。振り返る。
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……
…………
………………
「そ、その男をおとなしく解放しなさいッ!」
桃塚葵が命じる。その声には『気』が乗せられている。臨戦態勢。
ただ、流石に迂闊に飛び込むような真似はもうしない。実力では敵わないということは身に沁みて理解している。
「ぐ……がぁぁぁッ!!?」
黒いヒトガタは葵の声など意に介してはいない。その必要もない。実のところ、秋良の方にも余裕が無かったりするのだ。思いの外、勇斗がしぶとい。もう既に何度か死んでいてもおかしくないダメージを与えているものの、回復する。当人のスキルなり異能で。
「くッ!! 解放しないと言うなら……ッ!!」
葵は葵で、宗家直系の者としての意地と見栄がある。一門の者が無残に殺されようとしている状況を前に、宗家に連なる者がおめおめと引き下がる訳にもいかない。
内心では『こんな事ならさっさと撤収しておくべきだった!』という後悔を抱いていてもだ。
『(一門宗家のお嬢様か。鬱陶しいな。いまは勇斗の集中したい……こんなに長く苦しめるつもりはなかったんだが……あと少し)』
早良勇斗の断末魔の絶叫をBGMに、葵は刀を抜き放つ。
凝集した濃密な『気』を循環させる。もう二撃目は考えない。考えても無駄。葵は渾身の一撃に懸ける。それ以外に目の前の禍々しい『鬼』をどうにかできる手がない。考えるのは一撃の後だ。
「(……恐らく、私の渾身の一撃を持ってしても無理。こんな事なら『裁定』の発動準備を終わらせておくんだった)」
そんな諦めを抱きながらも、桃塚葵は大上段に刀を構える。一気に踏み込んで振り下ろす。ただそれだけを目指す。防がれることも躱されることも想定内。
葵の一撃の後は、他の班員がそれぞれに動く手筈。もう宗家のお嬢様の護りと言ってもいられない。辛うじて『先導』が、それらの行動が間違いではないことを示してくれているだけ。
徐々に勇斗の悲鳴が途切れ途切れとなっている。最低なことだと自覚しながら、葵はどこかで『早良勇斗が絶命すれば、あの黒いのとやり合わないで済む余地が出来るかも……』ということまで考えてしまう。
どうしようもないほどに自己嫌悪を覚える。
それは葵だけではなく、健吾も、馬頭も、常村もだ。彼ら彼女らは、あまりの実力差に驚愕し、恐怖を抱いて絶望した。その上で、己の弱さと醜い心に失望もしてしまった。
「(……それでもッ! 一矢報いるッ!!!)」
内心のゴチャゴチャを叱咤し、葵は飛び出す。一足飛びで一気に間合いへ踏み込む。
「(さっきみたいに受け止めて見せろッ! せめて指の一本でも斬り飛ばしてやるッ!!)」
踏み込んだ足がコンクリートの床にめり込む。渾身の一撃の為に、葵の全身の筋肉が、『気』が連動する。一寸の狂いもない、調和された動き。
背を向けた黒いヒトガタの頭部。そこに向けて空を斬り裂きながら刀が振り下ろされる。
衝撃はない。
先ほどとほぼ同じ。
いつの間にか、勇斗から貫き手を引き抜いた上で、黒いヒトガタは振り返っていた。
葵の渾身の一撃を、まるで合掌するような白刃取り。
ヒトガタは刀を受け止めた勢いそのままに身体を捩って、その衝撃すらも受け流すということまでやってのけた。
ただ、今度の桃塚葵は止まらない。即座に刀から手を離し、そこから更に踏み込む。密着状態まで接し、両手での掌底をヒトガタに打ち込む。
「(これでどうだッ!!)」
まともに腹部付近に決まり、流石のヒトガタも後方へと少し身体が浮く。数歩分ほど吹き飛んだ。
打ち込んだ葵の方は、まるで分厚いゴムを打ったかのような感触。
ただ、そこでも葵は止まらない。ヒトガタを追撃するかのように更に踏み込むが、それは倒れ伏す早良勇斗の身を確保するため。
「(とりあえず、早良勇斗を確保して逃げるッ!)」
葵の動き、ヒトガタの動きに合わせて、既に他の班員も動いている。
馬頭がヒトガタの横合いから迫る。
健吾は葵を護る為にヒトガタとの間に割り込む。
常村は馬頭の後詰めとして時間差で踏み込む算段。
いまの葵たちが出来る事をした。だが、その結果は彼女たちの望むモノにはならない。
桃塚葵の記憶は、そこで一度途切れる。
……
…………
………………
次に葵の記憶が繋がったとき、目に見えるのは天井。住居やただの店舗用とは違う、かなり高い天井を見つめていた。
つまり、床に大の字で寝そべっている状態だ。そのことに彼女自身が気付くのに数秒の時を要した。
「な……なにが……?」
身体を起こしつつ、葵は自身の身を確認する。痛みはない。見る限り出血もない。目の前が多少チカチカと星が飛んでいるくらいだ。
『よう。目が覚めたかい?』
「ッ!!?」
咄嗟に葵は跳ぶ。その姿を確認する前に、声の方向とは逆へと距離を取る。
『はは。いい反応だ。他の連中もそうだが、よく鍛えられている。さっきの……振り下ろしから掌打の流れは巧みだったしな。いい戦士だ』
声の主は当然に秋良。ヒトガタ。
葵はすぐ近くから声がしたように感じていたが、実際には十メートル以上の距離があった。ビル内に放置されてあったパイプ椅子に座る異形。その足元には早良勇斗が横たわっている。
「(……くッ!! 健吾は!? 他の班員は!?)」
周りを見渡しても、葵と黒いヒトガタ、早良勇斗のみ。彼女は気付いている。既に早良勇斗は事切れている。先ほどの一瞬、彼を確保しようと近付いた際、その命が尽きていることを知った。直後にブラックアウト。
『他の三人は隣の倉庫みたいな所に放り込んである。全員無事だ。一応ドアには結界を張ったが、気配を感知するくらいは出来るだろ?』
「………」
そんな言い分を信じられる筈もない。だが、葵は確かに隣の部屋に健吾たちの『気』を感知した。まだ意識を失っているのか、全員が倒れているようだが、生きていることは確認できた。
その上で彼女は信じられない。信じたくないというべきか。目の前にいる黒いヒトガタからは敵意を感じられなかったのだ。ただ、すぐに『当たり前か……』と、葵は思い直す。ヒトガタに敵意があれば、邂逅した時点で、葵たちは三途の川を渡っている。
「……なぜ私を?」
『宗家のご令嬢ってのもあるが……君が女性で、宇佐崎紬と歳が近いからだ。ま、別に誰でも良かったとも言える』
「宇佐崎紬と……?」
秋良は感情を交えずに淡々と語る。
彼女の身に起きたことを。
そうこうする間に異能が覚醒。正気に戻ってしまい、心が壊れた彼女の異能が暴走した……それが今回の行方不明事件の顛末だと。
そして、彼女を弄んだ張本人が早良勇斗だったということもだ。
「……その話が本当だとして……だから、早良勇斗を殺したのを見逃せとでも?」
『はは。別にそれはどうでも良い。クズを始末したのは俺の暇潰しだ。そんなことより、彼女のケアを頼むってことを伝えたかっただけだ。君は宗家のご令嬢なんだろ? 色々と異能者に接することもあるだろうからな。一応、百束一門のメリットとしては……宇佐崎紬の異能は『
健全な取引というものは、双方にメリットがないと成り立たない。基本中の基本。秋良は宇佐崎紬を助けるメリットを提示する。
「その話も眉唾もの。仮に本当だとしても、私に決定権なんてない」
『別に期待していない。ただ、彼女を助けるメリットが一門の方にもあるかも知れない……だから、助けられるなら助けてやって欲しいと言いたかっただけだ。あと、早良勇斗のクズなお仲間はまだ残っている。俺はそいつらも始末する。近日中に一門衆から死者や行方不明者が出れば、勇斗関連だと思ってくれ』
秋良が葵に伝えた言葉は本音。できるなら助けてやって欲しいというだけ。必ず助けろと言っている訳ではない。無理なものは無理という現実も知っている。
『……とまぁ。俺からは以上だ。一応、君からも質問があるなら聞こうか?』
「……あ、あなたは一体何者なの? 一部で噂になっている解決屋なの?」
『はは。そうでもあるし、そうでもない……という風にぼかしておくよ』
まともに取り合う気がない。葵は内心でイラっとする。質問があるなら聞くと言いつつ、黒いヒトガタはそもそも答える気など無かったのだと。
当たり前に、そんなイライラは秋良にも伝わる。
『……おっと。悪かったな。少し
そう言いながら、秋良は静かに跪き、目覚めぬ眠りについた早良勇斗の胸にそっと手を添える。
敢えてゆっくりと、厳かに“清浄”という魔法を使用して彼の遺骸を清める。
それは異世界において、戦場での戦士の葬送の儀式。本来は見届け人も戦士であることが望まれるのだが、桃塚葵がその代替。あくまでも秋良の自己満足に過ぎない行為だ。
『そんな儀式をするより、そもそも殺すなよッ!』
殺された側の勇斗からすれば、そんな文句の一つも言いたいだろう。
「……あ、ま、待ちなさいッ! そんなにも宇佐崎紬が心配なら、正々堂々と百束一門の前に出てきなさいッ!」
葵にはヒトガタが何をしたのか、その真の意味は分からなかった。
しかし、それは何らかの儀式であり、早良勇斗へ敬意を払ったのだということは理解できた。勇斗のことをクズだと言いつつも、彼を殺めたのは憎しみなどではなかったのだろうということも。
『まぁそのうちにお邪魔するかもな』
そんな一言を残し、黒いヒトガタは徐々にその姿を薄めていき……十秒もしない内に周囲の景色に溶けてしまった。
葵が周辺に『気』を巡らせてもその痕跡すらもう追えない。一級の認識阻害。隠形の技。
「(……何て奴なの……『裁定』の準備を早く進めないと……単純な実力じゃまるで敵わないけれど……私の異能なら……ッ!)」
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……
…………
………………
宇佐崎紬の異能の暴走に端を発した事件は、本人と巻き添えの二人を保護することで一旦は落着となり、警察の捜査は終わった。
しかし、別の事件も起きていた。
百束一門に属する者が、立て続けに死亡する。
早良勇斗という少年に関しては、秘密裏に“懐刀”と抜擢されていた為、百束一門に属する者としてではなく、普通の一般人として処理された。
死因は突発的な病死という体。
家族は当然に百束一門への不審を訴えたが、“懐刀”として抜擢する為にその辺りのことも話し合った上でのことであり、家族も表舞台に訴え出るようなことはなかったが、家族の悲しみは如何ほどのものだったか。
ただ、聖人君子、優等生な一面だけではなく、早良勇斗には裏の顔もあった。百束一門はそんな彼の本性の一端を掴んでいた。掴みかけていた。結局、当事者が死亡したことによって有耶無耶になってしまったが、そもそも彼は“懐刀”として秘匿された存在であった為、それ以上の調査は行われることは無かった。
それよりも問題は、早良勇斗と行動を共にしていただろう、疑惑のある一門衆が全員死亡したということ。
これについては、桃塚葵からの情報によって、一門の上層部は、犯人はあの黒いヒトガタで間違いないという見解を持った。
しかし、百束一門は、未だに黒いヒトガタを捕えることも、処断することも出来てはいない。また、同一人物、あるいは関係者だと目される解決屋についても、接触はできるが、認識阻害が強過ぎてまともに調査ができないという有様。
宇佐崎紬の事件をきっかけとして、百束一門は本格的に黒いヒトガタの存在を確認することになった。
特級の『鬼』として。
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