第17話 プロローグへ至る
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異様な振動。
空間そのものが悲鳴をあげている。
しかし、現実世界においては実際には何も揺れてはいない。一般人を含め、勘の良い者には何がしらを感じるという類のモノ。
「磐戸さん……コレは?」
「……何者かが、“中”から空間を無理矢理に抉じ開けて、“こちら”に出てこようとしてるみたいだね。力尽く……全く以て無様な技だねぇ。ほら、それより……“入口”から残りの班員が出てくるよ」
既に要救助者の内の二人は班員と共に出てきていた。肝心な張本人である宇佐崎紬はお預けとなったが、待機していた笹本達は、中に“黒いヒトガタ”という異物が居ることを知ることになる。
磐戸の言葉のとおりに、彼女が維持していた入口から、残りの班員……眞鍋達が飛び出してくる……と同時に脱出者は警告も飛ばす。
「磐戸さん! 急ぎ“入口”を閉じるんだッ!」
「ふん。言われずとも!」
表面上は
このまま空間が中から裂けるのであれば、行き場を無くした異空間を形成するナニかが、入口を通じて噴き出してくる。ナニが起こるか判らない。とっとと出入り口を塞ぐに越したことはない。己の身はともかく、一般人がまだ付近にいるのだ。
「ぬぅぅッッ!!!」
“入口”がぐにゃぐにゃと歪みながら小さくなっていく。術者である磐戸は、その全霊を以て閉じる。己の異能を畳む。もう店じまい。
そんな磐戸の姿を見て、指揮官である笹本も全員に指示を飛ばす。入口が閉じるのをのんびり待つような真似はしない。
「全員このビルから退避しろッ! 要救助者は担げ!」
ただ、残念ながら……異常な空間の歪みと悲鳴の影響か……彼等のインカムはまともに作動していない。ビル内の安全確保の捜索担当である、三班と四班には指揮官からの指示が届かない。
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……
…………
………………
「ねぇ健吾……これ、明らかに異常事態よね?」
「……だな。下で何やら騒いでるようだけどインカムが機能してない。それに……何だかゾワゾワする」
六階を確認中だった四班……葵たち。当然に彼女たちも異様な気配を感じてはいた。
「お嬢……コレはちょっと不味いかもな。退避も考え……ッ!?」
「ッ!?」
「うげッ!?」
「あッ!!」
ザワリ、グニャリ、バツリ、ドロリ、ボトリ。
ビル内に居た葵たちの班は、そんなよく解らないナニかに触れた。感じた。
ソレは空間が裂けて弾ける感触であり感覚。一瞬のことではあったが、ナニかが通り抜けた。皆に怖気が走る。
「な……何なの!? いまのはッ!?」
「……お嬢様。異常事態です。撤収しましょう」
四班は宗家直系のご令嬢である、桃塚葵の護衛班。葵に経験を積ませるとは言いながらも、その身の安全確保が真っ先に出てくる。
「
「……健吾、私の異能は『先導』よ。変なネーミングは止めて頂戴」
葵の護衛の一人。二十代の女性。常村の異能『先導』。
自分が取るべき行動を抽象的にだが感知することができるという代物。通常時ではただの勘よりは確度の高いという程度だが、危機状態であればあるほどに頼りになる
「健吾のバカはともかく……常村さん、どうなんですか?」
「……お嬢様。実のところ、私の異能は“進め”と判断しています。つまり、上の階にナニかがあるのでしょう。先ほどの気味の悪い気配も上から降ってきたように思います。しかし、コレは明らかな異常事態です。あくまで私の異能は私自身に影響が強い。進んだ結果、私は無事でも、お嬢様にとっての危険があるかも知れません」
常村は異能者として自身の能力について自信はある。しかし、護衛としての感覚は別。異常事態においては、護衛対象を避難させるのが鉄則だと彼女は固く信じている。
「…………今回の作戦は救助であり、未だに異能を使った張本人たる
「お、お嬢様! しかし……ッ!」
「よせ常村。俺たちは護衛ではあるが、あくまでリーダーはお嬢だ。結果としてその判断が間違いであっても、お嬢……ついでに健吾もだが……その命を持ち帰るのが、俺たちの本来の役目だ」
もう一人の護衛の男……
「……いつもすみません。常村さん、馬頭さん」
「お嬢が謝る必要はない。何だかんだと言いながら、俺だって常村の異能は信用している。『先導』が“進め”というなら、進むことに大きな間違いはないだろう。まずは七階に居る三班と合流だな。念のために常村は異能を全開にしつつお嬢の前を行け。俺は後ろを警戒する。健吾はお嬢に張り付いてろ」
「……は、はい。分かりました。前を行きます」
「了解です。ま、言われなくても俺は葵に張り付いていますよ」
葵たちの判断……常村の異能は確かに正しかった。彼女たちの命は保障されており、その上で、今回の要救助者である宇佐崎紬を助けるという道を示していたのだ。
ただし、それ以外については考慮されていない。葵たちが遭遇する恐怖や絶望、失望に怒り。そんなことまで異能は感知してはくれない。教えてくれない。
さぁ、邂逅の時だ。
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……
…………
………………
廃ビルの八階。トレースした元の空間と同じ座標。そこに黒いヒトガタとぐったりとした少女は居た。出てきた。
秋良は空間を形作っていた楔を壊し、紬の避難場所をなくし、無理矢理に元の空間へ吐き出させた。
表には出なかったが、秋良は確かに聴いた。
(やめて!! もう戻りたくないの!! 放っておいてよぉッ!!)
少女の悲痛な願い。心からの叫び。
流石に心身の負担が大きかったのか、彼女は意識を失い、異能の発現も完全に停止する結果となった。
彼女の嫌がる様子が、多少秋良の心に響きはしたが、あのまま放置するという選択肢はなかった。壊れた心がいずれ再生することを信じ、命を繋ぐために彼女を“現実”に引き戻す。それは紛れもなく秋良のエゴ。それを自覚した上で、彼には後悔もない。
『(思っていたより彼女の消耗は少なくて済んだが……それでもかなり無理をさせてしまったな。くそ。百束一門に期待し過ぎた。どうせこうなるなら、まだ彼女が元気な内にとっとと連れ出せば良かった)』
秋良は彼女の異能が空間同士を接続したり、歪めたりする類のモノだと看破していた。つまりは、空間そのものを彼女が維持している訳でもない。接続した先の空間が壊れれば、元の場所へ戻るのみ。異世界に存在した難解な時空間魔法と似たような性質だった。
『(ここは……あっちと同じく八階? 突入してきた連中は……気配が遠い。既にビルから退避済みか。ビル内に残ってる連中も居るようだが……さっきのオッサンのように話が通じるかね。割と気配が雑なんだが……)』
即座に周囲を把握する秋良。その上で、先程の突入班の面々が、ビル内に居ないことも察知する。
『(……そして覗き見してるのは“先輩”か。割と慎重だが、俺が気付いてることには気付いてない。その辺りは俺の方が上だな。……鈍感系主人公ってやつか? はは)』
異世界の元勇者様が観ている。黒いヒトガタと少女を。一連の動きを。己の品性の下劣さの生き証人を何とかしようと潜んでいる。
秋良はそんな
『(先行する四人……の内、三人はまだまだ未熟。残りの一人はそれなりだが、さっきのオッサンほどじゃない。……もう彼女の異能も消えたことだし、
階段を上がってくるのは、桃塚葵率いる四班の面々。彼女たちは七階で三班と合流を果たし、残りの階をこれまでと同じように精査していくことになった。
秋良は秋良で、東側の階段から上がってくる葵たちの気配に合わせて、自らの気配……どころかその姿さえも消していく。
黒いヒトガタという趣味の悪いモノではなく、本当の意味での隠形の技。
激しく動きながらは流石に無理でも、ただじっとしているだけなら、秋良も完璧に近い隠形は出来なくもない。長時間に及ぶとボロが出るが。
ただ、彼の計算違いは……思っていたよりも元勇者がクズだったということか。
……
…………
常村を先頭に、周囲を警戒しながら葵もたちは八階へ到達した。
まだその姿は確認できずとも、既に全員が気付いている。
この階に人の気配があると。薄く小さい微かな気配。
「宇佐崎紬かどうかはさておき、この弱々しい『気』は助けを要する者だな。常村、『先導』の反応は?」
「……特に変わりません。“進め”と。敵性反応は今のところ察知してませんが……こればかりは、師範や師範代クラスの方々であれば『先導』を掻い潜ることも出来るので……」
常村の異能は、大まかな未来予測、危険性の察知を可能としているが、相手の意図的な隠蔽に上を行かれればそれまで。『先導』も万能というわけでもない。当然に秋良の隠形も看破できない。もっとも、今回は秋良の方に敵対の意思はないが。
「常村さん。ここからは俺が前に出ます。葵もそれで良いか?」
「もちろん。私の守りは問題ないから」
犬神健吾。
葵と並び、同年代では頭抜けた実力を持つが、単純な実力は常村や馬頭にまだ及びはしない。
それでもこのような場面で彼が前に出るのは、その特性故のこと。
頑丈さと回復力こそが健吾の本領。
時にはその身を投げ出して主を護るという犬神家らしい特性。血統によって継承される……『死に損ない』という身も蓋もない呼び名の異能の持ち主。
そして、一行は健吾を先頭に、弱々しい気配を辿り……見つける。気配の持ち主。間仕切りのない大部屋の床に倒れている少女。
「……アレだな。取り敢えず俺が近付きます。まぁホラー映画でもあるまいし、いきなり彼女に襲われるなんて事はないでしょうけど」
「健吾、くれぐれも油断しないで。彼女に敵対の意思がなくても、今回の件は異能の暴走が発端らしいから……」
葵たちは倒れ伏す少女から若干の距離を取りつつ警戒を緩めない。知っているのだ。暴走する異能の脅威を。
健吾とて、軽口を叩きながらも決して油断はしていない。
何の訓練も受けていない、そんな一般人の不意に覚醒した異能であっても、時には百束一門の達人クラスの者が犠牲になることもある。異能に関しては、単純な強い弱いの話ではない。
健吾が恐る恐る少女に……宇佐崎紬に近付いて、しゃがみ込む。警戒のためにまだ触れはしない。
「……完全に意識がない。『気』も弱々しいし呼吸も浅い。これは偽装なんかじゃない。体力や『気』を消耗したことよって、限界を迎えたんだと思う……すぐに搬送した方が良さそうだ」
健吾が検分した結果を告げる。皆の注意が、意識が、少女に集中する。
隙間の瞬間。
その場の誰も気付かなかった。
認識することが出来なかった。
ただそこに居た。現れた。
ソレは異形。立体の影。
まるで墨汁をたっぷりと含ませた毛筆で、幼児が人型の塗り絵をしたかのよう。枠線をはみ出ても気にしない。しかもその墨汁の黒は、まるで炎のように揺らめいてもいる。
黒いヒトガタ。鹿島秋良。
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……
…………
「クソッ! あいつまだ居たのかよッ!? 俺の『
それは勇斗の一撃。強硬手段。隣のビルから様子を伺っており、隙を見てのこと。
健吾が
誰にも気づかれない筈だった。しかし、実際には黒いヒトガタに防がれる結果に終わる。
ただし、防いだ側の秋良も流石に内心では焦っていた。それほどに強く鋭い一撃であり、思わず真の隠形が解けるほど。
勇斗が咄嗟に思い付いた計画では、今ので
それでも怪しまれるようなら、現場に居る者の記憶をまとめて改竄することすら勇斗は考えていた。異世界チートを持ってしても、おいそれとは使用できない、生贄を要する禁術……代償魔法によってだ。
こんな時のために、彼は自身に擦り寄ってくる者には“生贄の刻印”を施しており、準備もしていた。当然、当人の了承などない。
「くそ!くそ! あいつ……ッ! 只者じゃないッ!! ……くっ! どうする? どうすれば……? あまり手の内を晒すのは……しかし……いや……まてよ? あの黒い奴を……」
思考を重ねる勇斗の前……隣のビルでは、突然に現れた異形の鬼と葵たちの班……百束一門がぶつかっている光景が繰り広げられていた。
秋良の懸念の通り、冷静な話し合いが出来る者は現場には居なかった。もっとも、いきなり異形の者が現れれば、それも当然の結果と言えるが。
「……そうか。ごちゃごちゃ考える必要もない。あの黒いのに全て押し付ければ良い……整合性が取れなければ、代償魔法で関係者の記憶をすり替える。亀河たちの切り捨てを考えていたところだったし……丁度いい」
こちらも邂逅の時。
勇斗はタイミングを見計らって現場に介入することに。
行った先に違いはあれど、共に異世界帰り。異世界のパラメータを持ち帰った、この世界においてはまさにチート所持者だ。
不死の一般人として、異世界の魔法や戦いを二十年に渡って研鑽してきた秋良。
その命に限りはあれど、勇者として、生まれながらにチートを与えられ、魔王軍と戦い抜いた勇斗。
お互いがお互いに特別な思いなどはない。
憎しみや特別な因縁はない。
秋良はただクズが気に入らないだけ。
勇斗はただ自分の立場を守るため。
ただそれだけ。
『(ようやく出てきたか。今回の“
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