第15話 接近

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 夜半頃。さりとて工場地帯は眠らない。ぎらつく人工の明かりが、吐き出された煙と共に闇に馴染み、一種の幻想的な美しさを演出している。工場夜景というものか。


 しかし、その美しさは当然に稼働している工場に限られており、闇夜と静寂を友とする場所も少なくはない。


 静まり返った廃ビル。

 行方不明の女子中学生がその異能を発現した……発現してしまった場所。少女とクズ勇斗との偽りの愛の巣。


 いま、そこには闇に紛れて集団が展開していた。


 百束一門。気と異能を操り鬼に対処する者その実働部隊たる者達。一門衆。


「まさか『解錠』の異能で異空間への繋がりすら“ひらける”なんて……」

「事前の調査で見当はついてたからね。空間系の異能は稀有で強力なことが多いと聞くが……覚醒したばかりだから技が粗い。流石に尻の青いひよっ子に遅れはとらんよ」


 解決屋という怪しげな者から情報提供はアタリ。

 すぐさま異能の痕跡の残る廃ビルとその“現場”が特定されて調査もされたのだが、空間が閉ざされており、対処できる異能者の手配に数日を費やしていた。


 そして呼び出された者の異能は『開錠』。名の通り鍵を開ける異能。たゆまぬ研鑽により、遂には意図的に閉ざされた空間すら開くという壊れ性能を発揮することになったという。


「さて。私の残りの仕事はこの“開いた道”を維持するだけさね。“中”は……このビルと同じ程度の広さか。精々気を付けな」


 異能『開錠』の使い手たる老齢の女……磐戸いわとは、一段落したとばかりに、用意されていた椅子に腰掛ける。


「承知した。“中”の捜索は一班が対応するが……お嬢様、それでよろしいか?」


 一門衆の中でも、師範代と呼ばれる現場指揮官の笹本ささもとという壮年の男が、宗家のお嬢様である桃塚葵にお伺いを立てる。そこに敬意はあるが、あくまでもこのお伺いは形式としてのお約束のようなやり取りに過ぎない。


「はい。構いません。若頭の名代とは言え、私は名ばかりのお飾りです。現場の指揮は笹本師範代にお任せします。私の班も指揮下に入りますので、指示を願います」


 応える葵も慣れたモノ。肩書は立派ではあるが、彼女は一門衆としてはあくまでまだ下っ端であり、若頭の名代というのも本人の言葉通りに本当にただの飾りでしかない。


「では、お嬢様の班は四班という振り分けにします。これより、中の捜索を一班が受け持ち、予備として二班はここで待機。私は二班と共に残りここで指揮を執る。三班と四班は念のためにビル内の精査だ。……各自動け」


 笹本からの正式な命令ではあるが、実のところ、他の班員は既に作戦の配置に付いていたりする。


 彼らは四人で一つの班。そして班は四つ。全体指揮の一人と開錠の異能者を加えて総勢十八名の一門衆がこの現場に集まっていることになる。


 特別に凶悪な『鬼』が相手という訳ではなく、一般人である女子中学生の異能が暴走した結果ということも把握した上で、この人数を揃えるのは異例中の異例。集められた者も、今回の作戦には何らかの裏の意図があることを察している。


「師範代。一班、行きます」

「磐戸さん。入口の確保はお任せいたします」

「あぁ、任せときな」


 磐戸が繋いだ少女が引きこもる場所への道。“入口”は空間自体が、風のそよぐ水面のように揺れて波紋が浮かんでいる。その範囲は一般的な試着室の姿見鏡くらいか。


 恐る恐るではあるが止まることもなく、一班と呼ばれた一門衆が“入口”を潜って“中”へ。


「さて。じゃあ私達も行きましょう。事前の取り決めの通りに三班は西側から奇数階。私達は東側から偶数階よ。順に精査していきましょうか」

「分かった。……ところで葵、例の奴は参加していないみたいだな」

「……健吾、その話は後よ」


 そして葵たちも動き出す。

 四班は東側の階段を使い、偶数階を精査するという形。当たり前のことだが、事前調査の段階で既にビル内は精査済みではあるが、念には念をということ。


 全体の数は多くとも、班ごとに動くことで、敵からの襲撃を誘発するという意図もあったりする。想定される敵は黒いヒトガタ。ただし、それは本題ではなく、葵たちも襲撃を受ける可能性は低いだろうと想定していた。引っ掛かってくれればラッキーという程度の仕込み。


 持ち場に向かうために移動し、他の班と完全に別れてからようやくに葵は健吾に応じる。


「……健吾。早良勇斗は作戦に参加しているらしいけど、あくまで彼は“懐刀”。イレギュラーが無ければ出てこない手筈よ」

「イレギュラーねぇ……わざわざ現場でそんなのを待たなくても、普通に呼び出して対面させてくれれば良いのに……」


 桃塚葵としては不本意ではあるが、彼女の班とは、それ即ち宗家のご令嬢の護衛たち。


 今回の作戦の裏の意図……事件を引き起こした張本人であり要救助者たる少女を葵に確認させる……という事は、現場指揮官の笹本と葵の護衛には当然に知らされている。


 流石に彼女の異能『裁定』については伏せられたままではあったが、笹本などは薄っすらと察してはいた。


「総代も若頭も……大仰に話をしてたけど、今回の現場はあくまで私たちに経験を積ませるモノで、この場で物事を進めさせる気はないと思うよ。救助対象が未成年だから、歳の近い私と健吾が呼ばれたっていうのもあるんじゃない? ……実際、二班にも十代の女子が配置されてたしね」

「……まぁ、たぶんそうだろうとは思ってたけど……今回はあくまで救助がメインってことだよなぁ」


 決して気を抜いている訳ではなかったのだが、葵も健吾もこの現場でいきなり修羅場になるとは思っていない。現に、獲物は保持しているが、二人共学校帰り的な制服のままという、あきらかに場にそぐわない格好。


 そして、班員である大人二人もそれは同じ。今回は特殊な作戦に、年若い二人を参加させること自体が主だろうと考えていた。


「お嬢様。この階は問題なさそうです」

「そうみたいですね。では、三班とも間を合わせつつ、次の階へ進みましょうか」

「ま、楽勝だな」


 葵たちの一連の言動、その考え……


 残念ながら、それはフラグだ。



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 ……

 …………

 ………………



 自らを閉ざす少女。


 チート所持者の被害者にて、今回の事件を引き起こした張本人であり、巻き添えとなった者からすれば紛れもなく加害者。


 名を宇佐崎うさざきつむぎ


 まず、彼女の世界から音が消えた。その次に視覚。胸……心に痛みを感じた気もするが、痛みが強すぎたのかそれは一瞬のことだったと……彼女は思い返す。


 憧れの先輩である早良勇斗との逢瀬……と、その偽りの世界の終わりを、聴こえない、視えない場所……紬は閉じた心の中で思い返している。繰り返し、繰り返し、繰り返し。


 本心から望んでいた筈だった。彼女が勇斗と結ばれることを望んでいたのは確か。ただ、それはお互いに想い合う関係の結果としてだ。


 ただの都合の良い人形として、性欲の捌け口として扱われるなど……望んでいた筈もない。


 自らの異能が覚醒してしまったが故に、彼女は知ってしまった。早良勇斗が自分に何をしていたのかを。


 そして壊れた。


 勇斗を拒絶した。全てから逃げたい。ここではない何処かへ消えたいと……願ってしまった。


 彼女の異能がソレの望みを叶えた。


 あとは、静かに閉ざされた空間で弱っていくだけ……の筈だったのだが……


 侵入者。


 紬に少しだけ音と光が戻ってくる。


『まったく。何があったのかは知らないが……依頼初日で行方不明、二日目でコレかよ。こりゃ後でマスターに頼んで記録ログでも見せてもらわないとワケが分からないな……くそ。高いんだよなぁログ。完全に赤字か……』


 黒いヒトガタ。

 閉ざされた虚ろな心であっても、紬は何故かハッキリとその存在を感知することができた。もっとも、本人が詳しい理由を知る由もないが、それは当たり前のこと。 


 ヒトガタの濃密な魔力は、異能者でなくても無視はできない。その上、強い魔力というモノは、同じく魔力を持つ者からすれば一種の誘蛾灯のような性質を持つ。良くも悪くも引き寄せられる。ときに、その身が灼けることになってもだ。


 もちろん、ソレに恐怖を感じる者も居る。


(……この人……嫌だッ! さ、触らないで……!)


 少女の異能が黒いヒトガタ……秋良を拒絶する。『接触アクセス』を拒否する。彼女の周囲の空間が歪む。迂闊に触れようとすると、空間ごと捩じれ、生身の肉体であれば惨たらしい結果になりかねない。


『お? 心を閉ざしてても反応はするのか。……うーん……こりゃ無理だな。異質な魔力……みたいなのを辿ってはきたが、こうまで拒絶されるとなぁ。無理矢理引き摺り出せないこともないが、碌でもない結果にしかならないな』

「な、なんとかならないんですか? こ、この子を何とかすれば元に戻るって言ったじゃないですか!?」

『いや、それはそうなんだが……今の彼女を動かすのは難しい。あんたも、今みたいに周囲が蜃気楼みたいになっている場合は彼女に近付かない方が良い』


 紬は気付かなかったが、彼女の異能の発現に巻き込まれた者が二人。

 ホームレスの老年男性と警備バイトの青年。ホームレスの男は我関せずとこの異常事態にも、どこか達観している様子だったが、青年の方はそうでもない。当たり前に混乱と恐怖を抱いていた。


『とりあえず、今はあんた達を連れて出るのは難しい。無理矢理やれば彼女が決定的に“壊れる”かも知れない。ま、食料や水は運び入れるから、しばらくはそれで凌いでくれ。まともに対応できそうな連中に話をつけてみるさ』

「そ、そんなぁ!」

『あ、いまの彼女は自発的に飲み食いできないかも知れないから、可能なら介助してやって欲しい。なるべく急ぎはするけどな。ただ……さっきも言ったように、彼女の周囲が蜃気楼のように揺らいでいる時は絶対に触れるな。色々と


 泣きの入る青年を無視して秋良は話を進める。この時はまだ、彼は紬の……クズの食い物にされた、哀れな宇佐崎紬少女の詳細までは知らなかった。


『(難解な空間系。術式は僅かにしか理解できないな。俺じゃ綺麗な解術は無理。それに術……異能を解いたところで、彼女には専門的な心理ケアを必要とする状態なのは間違いない。こういう治療なりケアに役立つ便利な異能がこの世界にあれば良いんだがな……)』


 まだ詳細は分からない。しかし、秋良には少女の心が壊れかけているのは分かっていた。心が壊れたヒト……少女と似たような事例を見てきた。異世界で。山ほど。



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 ……

 …………

 ………………



 一門衆が“入口”を開いた頃。

 日に日に弱る……衰弱していく少女。その無事を確認する為に、秋良も“中”に居た。当然、一門衆とは別ルートで出入りしている。


『よう。無事か?』

「あ!? ヒ、ヒトガタさん!? ど、何処に行ってたんですか!? 急に居なくならないで下さいよ! さっきからグラグラ揺れるし、凄い大きい音も!!」

『あぁ、心配しなさんな。ちゃんとした救助の連中がゴソゴソしてただけだ。直にここへやってくるだろうさ』


 紬が『接続』したのは、かつて誰かが創っただろう異空間ではあるが、そこは元の廃ビルを忠実に模倣トレースした空間に過ぎない。そして、向こうの一階に“入口”を開いた一門衆は、そのままこちらでも一階から探索をはじめることなる。


 ちなみに紬たちが居るのは八階。何故彼女がこの階を選んだのかは不明だが、『接触アクセス』の発動で跳んだ当初からここに居た。


『連中が此処に辿り着いたら、ある程度の説明はこちらからする。ただ、あまり俺の近くに居ると誤解されるかも知れないから、少し離れておいた方が良い。あのホームレスの爺さんにも声を掛けて一緒に居てくれ』

「え!? あ、は、はい……!」


 青年はこの訳の分からない状況において、怪しい事この上ない秋良……黒いヒトガタを割と信用していた。というより、信じるしかないというだけ。


 ストックホルム症候群。


 誘拐や監禁などの際、被害者と加害者が時間や場所、状況を共有することで、本来は憎むべき加害者に対して、被害者が好意や友好、信頼や結束などの感情を抱くようになるという心理状態。


 青年の秋良への信用信頼は、ストックホルム症候群の変則的な形とも言える。


『(飲食への反応は多少あるが、衰弱している上に排泄は垂流し……本気でこのは不味いな。もし百束一門で対処出来ないなら……力尽くか)』


 そして張本人たる宇佐崎紬は、秋良に触れられることを拒絶したままではあるが、青年の介助での飲食は僅かに受け入れていた。ただし、引き続き意思疎通は難しく、その場から動こうともしない。生理現象もそのまま。


 敵意が無い為か、触れられずとも秋良の『清浄』という魔法は届く。それにより、彼女の身の清潔を維持は辛うじて出来ているが、そもそも栄養や水分を十分には得られていない。衰弱する一方。


『(まだほんの子供だ。未成熟な心を他者にいいように操られるのが……正気に戻ってしまうのが……どれほどの負担だったか……)』


 秋良は『済んだ事は仕方ない』と割り切れる。過去は変えられないという当たり前を冷静に受け止めるだけ。彼が思うのは次。少女の未来。現代医療が、壊れた心に対してどれほどのモノかは、秋良には詳しいことは分からない。しかし、速効性がないだろうことは理解していた。


『(長い時間が掛かる……それでも彼女が“元”に戻ることはない……か)』


 それはただの感傷に過ぎない。残念ながら、秋良の扱う魔法の中に、宇佐崎紬の心を救済するモノはない。無理なものは無理。できない。無力。


「あ、ヒトガタさん! 物音が!? 誰か来ます!」

『(俺の気配を感知して、まっすぐここに向かってきたか……それなりに優秀だな)』


 秋良は魔力の制御こそしているが、その気配は今は敢えて垂れ流し。引き寄せるためにだ。


 彼らはお互いに対面することになる。


 百束一門の者たちは異形の黒いヒトガタと。

 そして、秋良は本格的に彼らの前に姿を晒すことになる。


『鬼』として。



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