第10話 解決屋
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納得のできないままに女は歩く。
太陽が沈むのを渋り、最後の抵抗とばかりに西の空をオレンジに染めている頃。
女にとっては、仕事が終わりを告げてくれるにはまだ早い時間帯だ。
先輩である男の後ろをただただ着いていく。彼女の内心には疑問、猜疑……そして若干の怒りが胸の中に燻ぶる。
二十代半ば。パンツスーツ。短めの髪に薄い化粧。スポーツメーカーが作った機能性を重視したローファーで地を蹴る。
女の名は
現在、彼女は先輩刑事である
他の課も動いている事件であり、現状では捜査に行き詰っているのは確か。動員人数も多く、科学捜査や地道な聞き込みを経てのことだとしても、彼女は今回の甘地刑事に否定的だ。
「(まさか警察組織がオカルトの類に頼るなんて……甘地さんは受け入れているようだけど……有り得ないでしょ)」
彼女たちが調べているのは行方不明事件。
年齢も居住エリアも違う三人が同じ日に消息を絶った。ホームレス、警備バイト、女子中学生。
まだ関係性などは不明瞭ではあるが、警察は他の二人はぼかしたまま、未成年者である女子中学生の公開捜査に踏み切っている状況。
既に四日が経過しており、目撃情報や防犯カメラの映像などがシラミ潰しに確認されているが、どれも消息を知る決定打にはなっていない。
そんな中で、甘地捷一と前島早苗はある人物と接触する為に動いていた。
解決屋と呼ばれる人物に繋がりのある情報提供者。
もはやオカルトの類だ。
早苗からすれば意味不明。
ただの情報提供者ならともかく、解決屋などという怪しげな人物が実在することも、そんな人物に警察組織の人間が頼ろうとすることも。
「着いたぞ。ここだ」
繁華街の外れ。どちらかと言えば飲食系よりも、オフィスビルが並ぶ一角。
とあるテナントビル。半地下構造となっており、急な階段を数段降りて扉がある。外からは分かりにくいが、その扉には『bar genge』と書かれた小さなプレートが掛かっていた。
「……ここはバーですか? ジェ……ゲンゲ?」
「神仏が姿を変えて世に現れることを意味する『
「…………」
使えるモノを使うというのは当然のことだが、それはあくまでも『現実的なモノ』に限る。警察がオカルトなり神頼みとは世も末だと……前島早苗にとっては受け入れがたい。
そんな後輩の不快感を察し、苦笑しながら甘地はドアに手を掛ける。
バーが開店するには明らかに早い時間帯ではあったが、上品な響きのドアベルの音と共に扉が開く。
カウンター席のみの小さな店。その店内は薄暗く妖しい香りが漂っていた。
扉を閉めてしまうと、外の喧騒も店には進入できない模様。静かに流れるジャズだけが耳を優しく刺激する。
少し奥のカウンターの中には、白いシャツにベストという典型的なバーテンダースタイルの白髪交じりの初老の男性。店の雰囲気に調和している。もはや背景のように溶け込んでいると言っても過言ではない。
時間帯もあってか客は誰も居らず、店の中には、甘地と前島という金を落とさない無粋な訪問者と、それを受け入れたマスターだけ。
落ち着いた印象の店。
これが気の乗らない、不本意な仕事でなければ、客として足を運んでみたい店だと、早苗はそんな風に思っていた。
「マスター。いつも悪いですね。電話でお話しさせてもらったように、今回も少しご協力を願えないかと……」
「いえいえ。甘地さんにはお世話になっておりますから……」
甘地が申し訳ないという空気感で、さっそくにマスターへの協力を願う。その姿に早苗は違和感を抱く。
「(もしかして、本当に“いつも”のことなの? オカルトに頼るのが?)」
甘地とマスターの間には一種の気安さ、常連の空気が横たわっている。それを早苗は察知し、その背景を考えてしまう。
「早速ですがマスター……今回の行方不明の三人に心当たりはありませんかね?」
公開捜査の対象は現状では一人だけだ。にも拘わらず、甘地は当たり前のように三人だと告げた。たとえ馴染みの情報提供者であっても、その余りにも呆気なく情報を出す様に、早苗は若干眉根をひそめてしまう。
「ふふ。相変わらずですね甘地さん。いつも言っているように、私はただ仲介するのみです。詳しい事情などとてもとても……」
凛々しくも好々爺のような雰囲気を纏うマスターではあるが、早苗はその言動にどこか嘘くさいナニかを感じてしまう。そして、それは先輩である甘地も当然に把握しているはずだろうとアタリも付けた。
彼女がちらりと先輩の横顔を窺うと、そこには張り付いた営業スマイル。甘地の瞳は笑っていない。
「……では、いつも通りに、事情を知っている者へ繋いで頂けますか? 最近は“解決屋”なんてのもいるようじゃないですか?」
「耳が早いですね。流石は甘地さん。ふふ。『コレを機に解決屋を引きずり出せ』……という指示でもあったのでしょうか? 今回の件では百束一門も動いているとお聞きしましたが?」
「はは。さて何のことでしょう」
マスターと甘地。
お互いの事情を承知の上で、裏の要望をぶつけあっている。流石に早苗も気付いた。ここへ来たのは、オカルト協力者への繋ぎだけではないと。
「……実のところ、今回の件については解決屋が既に動いています。なので、ある程度以上の情報は持っていると思いますよ」
「何故とお聞きしても?」
「詳しいことは存じませんが、行方不明者の身内の方から何らかの依頼を受けたとは聞いております」
「……なるほど。それで……その解決屋とやらと接触するには?」
甘地の目的は解決屋への接触。その狙いは事件解決の糸口のみならず、“上”からの指示でもあった。界隈に出没する、正体不明の『異能者』を引き摺り出せと。
そのような裏の事情を知らされていない早苗にとっては、まったくもっていい迷惑ではある。
警察関係者の中でも『異能』について知る者は限られており、その絶対数は多くはない。もちろん早苗は知らない側だ。
甘地とて、警察組織の者としてではなく、そもそもの出自が百束一門に属する家だったというだけのこと。この度の“上”とは、警察ではなく百束一門を指す。
「ふふ。もうそこに居ますよ」
マスターが軽く入口の方を見やる。
その視線を追った二人も見た。
「ッ!?」
「な……ッ!」
早苗のほんの数歩後ろ。入口にほど近いバーチェアに座る人物。
しかも、その手にはグラスが収まっており、既に一杯やっている。
「俺に何かご用で?」
二人が店に入ってきた時には確実に居なかった存在。異質な者。
「(あ、あり得ない!? さ、さっきまで……こんな人は絶対に居なかった!)」
咄嗟に男から距離を取ろうとして早苗は思わず甘地にぶつかってしまう。それほどに驚いた。
彼女には、いきなり現れた男しか目に入ってこない。
歳は二十代後半から三十代前半。椅子に座っているため分かりにくいが、体格は普通。身長もそれほどに高くはない。女性の中では比較的高身長である自分と同じ程度だろう……そんな風に早苗は見立てる。
店内の光の加減によるものか、少し褪せたように見える短めの黒髪。顔立ちは可もなく不可もなくという特徴のないものではあったのだが、彼女は男から目が離せない。
瞳だ。
死んだ魚の目……ぴったりな表現だと早苗は思った。その瞳には、まるで吸い込まれるような虚無感が漂う。見る者に不思議な感覚を抱かせる。
「……あ、あなたが解決屋? 私は多相警察署生活安全一課の甘地という者です」
「甘地さんですね。はじめまして。俺は…………と言います。解決屋と名乗った覚えはないのですが、いつの頃からかそう呼ばれていますね」
「「?」」
早苗と甘地はその名が聴こえなかった。男は確実に口に出していたのに。
「あぁ……お二人は俺の名を認識することはできないようですね。残念ながら、姿を覚えておくこともできません。いまこの場だけの関係です。……失礼ながら、甘地さんにはこういう事もある程度は理解できるのでは?」
当人にはその力は薄く、末席も末席とは言え、百束一門に名を連ねる甘地捷一には解決屋の言い分が理解できた。『気』という不可思議な力を操り、超常の力を用いる存在を知っている。
そして、甘地には解決屋の能力に心当たりもあった。『認識阻害』の異能。
「え、ええ。似たような現象は知っています」
「話が早くて助かりますよ。それで? 行方不明者の消息の件ですか?」
バーのマスターも、甘地も、解決屋と名乗る男も……前島早苗を置き去りにして話を進める。
当然に彼女には疑問もあるが、甘地が単純にオカルトの類に傾倒しているのではなく、何らかの事情があるというのを知った。ここで無理に話の腰を折る必要はないと判断して、いまは先輩刑事の添え物として静かに控えている。後は解決屋とマスターを注意深く観察するのみ。
「……既に動いているとのことですが、あなたは彼女たちの消息を知っている?」
「ええ。把握してますよ」
気負いのないあっさりとした答え。
甘地でさえ想定外の答え。思わず急な反応をしてしまいそうになるが、彼は自らを抑えた。
「……警察の捜査にご協力いただけますか?」
「もちろんですよ。既に“俺”に出来る仕事……一つの依頼は終わりましたしね」
虚ろな瞳に昏い嗤い。
事件解決に繋がる情報を持ちながら、警察から協力を乞われるまで動かない。情報などを売り物にしている者達にとっては当然のことかも知れないが、前島早苗はそんな連中の在り方に憤りを覚えてしまう。
「一応の参考として、あなたの今回の仕事の内容をお聞きしても?」
だが、甘地はその程度で動じることはない。少なくとも表面上には出さない。
「依頼人への義理立てがありますからね。ま、詳しい内容は伏せますが……人を害するようなモノではなかった……とだけお伝えしておきましょう」
「まぁ詳細を明かせないのはそちらも当然のことでしょうが……行方不明のままでも依頼人の要望には応えられたと?」
「否定も肯定もなしで。ま、とにかく捜査への協力はしますよ。海沿いの工業地帯に、
解決屋の男はいっそ呆気ないほどに軽く情報を吐く。多数の遺体があることもだ。
「……それは一体? そこまで判っていて何故に?」
「甘地さん。さっきも言ったように、“俺”の仕事は終わりなんです。俺は壊すのや隠蔽するのは得意だけど、それ以外はてんで駄目なんですよ。『異能』には詳しくない。つまり、ここからは『異能』の専門家の領分……ってことです」
甘地は真意を探ろうと、解決屋をじっと見つめる。だが、そこには事実以外の含みは見えない。少なくとも、彼の刑事としての勘は、目の前の解決屋から虚偽の匂いを嗅ぎつけることが出来なかった。
「……そうですか。ご協力に感謝いたします」
「あ、甘地さん、本当に良いんですか……!?」
軽く一礼して甘地は場を辞する算段だが、早苗としては、もう少し情報を引き出せるのでは……と未練を残す。
「ここが引き時だ。これ以上の情報は得られない。……そうでしょう? 名無しの解決屋さん」
解決屋の男は酷薄な笑みを浮かべ、軽く杯を掲げる。溶けた氷がからりと鳴る。まるでその通りだと言わんばかりに。
「で、でも……ッ! 多数の遺体があるなんて情報を……軽く聞いて終わりにするなんて!」
早苗には、甘地がこうも簡単に引くことが信じられない。少なくとも現場の廃ビルの場所は吐かせるべきでは……と、未練が固まりつつある。
彼女のそんな態度は警察関係者として、刑事としては当たり前のこと。ただ、ソレが通じない相手だということを看破できなかっただけ。その点においては、甘地に一日の長があったという証明になった。
「はは。いい心掛けですね。素晴らしい。まさに警察官の鑑だ」
「ッ! あ、あなたねぇッ! 他の情報ならいざ知らず、人死の情報を秘匿するなんて! それに、行方不明の一人は未成年の女の子なのよ! 心が痛まないのッ!?」
「よせ前島!」
制止を振り切り、早苗は解決屋だという怪しい男に詰め寄り、バンッとカウンターを叩く。火の出るような瞳で睨みつける。
ある程度の場数を踏んできているのもあり、その姿は様にはなっている。一般人相手にはそれなりに効果はあるだろう。
ただ、今回は相手が悪い。
早苗としては凄んでいるつもりだが、解決屋からすると、チワワがその場で回転しながら吠えているようにしか見えない。威嚇にもならない。可愛らしいと感じるほどだ。
「くくく」
「な、何がおかしいのッ! さっさとちゃんとした場所を言いなさいッ!」
甘地は勇ましい後輩の言動に気が気ではない。彼は知っているのだ。こういう連中がどれほど不味い相手なのかを。
「前島。止めろ。頼む……本当に止めてくれ……今なら無知を晒しただけで済む……俺の監督不行き届きとしての詫びで済む」
「甘地さん! 何故ですか!? コイツは重要な情報を持ってるんでしょ!?」
早苗は気付かない。甘地の顔色が優れないことに。本気でこの場をどう切り抜けるかを心配していることに。
「刑事さん。正式にお名前を聞いても?」
「……生活安全課一課の前島よ!」
「はは。問われて答える。教科書通りの名乗りをするなら、詰め寄る前だったね」
「この……ッ!」
解決屋の嘲笑。
彼からすれば滑稽でしかない。警察官が所属と名を明かさずに詰問をするのなら、こんな中途半端ではなく、とことんやるべきだと……そんなどうでも良いことまで考えてしまう。
「甘地さん。ここへ連れてくる以上、事前にある程度の事情を説明しておいて頂かないと……困るのですが?」
「も、申し訳ない、マスター。……前島、言っただろ? ここのマスターには“色々と”世話になっていると……もう止せ」
「あ、甘地さん……くッ!」
幕引きだ。甘地の目は本気。マスターからの声掛けは渡りに船であり、貸しをつくったとも言える。
そんな先輩刑事の様子を見てしまい、早苗も引かざるを得ない。
「はは。甘地さん。俺は別に前島さんのことをどうこう言うつもりはありません。ただ、貸しだと思うならちゃんと伝えてくださいね? 今回の件は“専門家の仕事”だと……百束一門の者に」
「……承知した。うちの若いのが失礼をした。ここから先は、百束一門の領分だと必ず伝える」
甘地は軽く頭を下げ、早苗を押し出すかのようにして急いで店を出る。気が変わらないうちに出ないといけない。
実地で良いだろうという甘えがあったのだ。まずは現場で存在を知らせ、帰る道すがらにでもキチンと申し送るつもりだった。『異能』や『百束一門』のことを。諸々を後輩に伝えないままに一緒に動いたことを甘地は後悔する。
店を出た後も、彼は無言で後輩の腕を取り歩く。意味の無い行為ではあるが、甘地は一刻も早くマスターや解決屋から距離を取りたかった。
もう既に解決屋の顔も、声も、体格も、性別も分からない。若干の『気』の素養がある甘地であっても、綺麗に認識を阻害されている。解決屋がそれなり以上の異能者であることに間違いはない。
「……甘……さん! ……甘地……! ……甘地さんッ!!」
不意に聴覚が仕事を再開した。甘地の耳に音が……屋外の喧騒という情報が一気に響く。後輩を引き摺りながら、かなりのハイペースで歩いていたことに思い至る。
「……ッ!? ……お、おう。すまないな前島」
「……はぁ、はぁ……い、一体何なんですか!? あの人たちはッ!?」
早苗としては当然の疑問。彼女は『こんなことなら、先輩がオカルトに傾倒しているという方が分かり易くて良かった』とまで思う。自分自身がオカルトを経験した以上は猶更だ。
「さっきの胡散臭いマスターはともかく! あ、あの……か、解決屋が……お、思い出せないんです……! ついさっきのことなのにッ!?」
そして、前島早苗は知ることになる。『異能』という特殊な能力を。
彼女が嫌った正真正銘のオカルト。そんなモノと対峙せざるを得ない現実が、確かに自分達の目の前に広がっているのだということを。
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