22話 空白の現実⑤
──誘われた世界は、漂白されたみたいに真っ白だった。
平衡感覚や空間認識があやふやになり。
自分が立っているのか、空中に浮かんでいるのか分からない。
そんな世界にぽつん、と俺は存在している。
「精霊の私から視てもここは理解できない。…いいえ、そもそも次元そのモノが──」
その中で幸いにも、彼女が側にいることが唯一の安心できることだった。
彼女はこの世界に困惑しているようだったが…
「変格ではなく、昇格……一次的にハジマリを騙すことが可能であると──鳥居の精霊とはそういうモノなのですね」
と、どうやらすぐに府に落ちたのか辺りを見回しはじめる。
つられて、俺も白い世界を見回した。
一面の白紙世界。
色を持たず、形を定めず。
この世界には『個』というモノが存在しない。
全て『全』で統一されている。
『どこ』も。
『なに』も。
この世界には ありえない。
まるで、意識の空白を連続させているような世界。
「意識が溶けぬとは、中々に見応えあるではないか
声のした方へ振り向く。
そこには──
朱い狐はちょうど自分の腰くらいほどであり、綺麗な姿勢で俺たちを見ていた。
「狐──?」
「ほぅほぅ。驚いたであろぅ?我が正体は狐である。ただの狐じゃ。
狐が流暢に人間の言葉を喋ってる。
字幕つきの海外の映画を観ているみたいだ。
それも、絶妙に薄ら笑いのような表情をこちらに向けて言っている。
「かわ──いい──」
側にいる彼女は朱い狐を凝視したまま固まっていた。
つい、大丈夫かと思って肩を叩く。
「──、─は!……トリイが狐の姿だったとは驚きですね。想像していたのは、強面の陰陽師風おじいさんでした」
「確かに」
厳格なおじいさん声というか、威厳バリバリ感じてたし。
彼女の想像する姿で登場しても違和感なかったな。
「納得するでない!どんな印象で
朱い狐の愚痴が始まった。
怒りが高まってきたのか、あれやこれと文句が止まらなくなっている。
「止めたほうがいいんじゃないか」
「トオル。あれはこちらが関与しても止まりません。愚痴とは、いつまでも晴れないモノですから」
「……それも、そうだったな。待つことにするよ」
朱い狐の陰陽師への愚痴が終わるまで黙って待つことにした。
数分経って息を切らしたのか、ダミ声になってまで罵倒し続けたせいか、愚痴が一端途切れてこっちに注意が向いた。
「──うぬ、らも、そう思うじゃろぅ?」
とりあえず、頷いておく。
俺は全肯定で済ませた。
一方彼女はというと。
「彼らには彼らなりの正義がありますから。一概に嫌いと呼称するのは如何と申します」
きっぱりと正論を振りかざした。
まずい──と。
また怒りだして、今度は自分たちに矛先がくるかもしれないと思って眼を閉じて頭を下げたが。
「──承知の上じゃ。仗にも非はある。彼奴らが嫌いとは、彼奴らを好きになれないの意味じゃ。昔話は面倒なのでな、略すが、それはまぁ─記録に値することが
怒号がこちらに降り注ぐことはなかった。
矛先はどうやら過去にあるらしく、こちらを見向きもしない。
朱い狐は静かな憤りをさらけ出し。
ため息を一つした。
そして、朱い狐は自身の胸部に手を入れると、年季があるキセルを朱い毛から不思議と、取り出してきた。
朱い狐は器用に爪でキセルを挟み、口に持っていき、口につけた。
苦しそうに朱い狐はキセルを吸う。
そうして、渋い顔をして煙を吐いた。
「相変わらず、まずいのぅ…」
朱い狐の細い目つきがさらに細くなる。
単にキセルの煙が目に入っただけかもしれない。
「……遅くなってしまい、すまんのぅ。契約を始めようか─」
言って、キセルをしまい。
朱い狐は顔を左右に振り、煙を顔の周りから払いのけた。
「──の前に。うぬらには守ってもらいたいことがあるのだ」
唐突に改まって言葉を朱い狐は正す。
真剣ということなのだろうか。
今までの言葉に無い、こちらへの敬いが感じられた。
「それは何ですか?」
彼女は聞く。
「一つ。ここであったことを公言してはいけない」
なぜ公言してはダメかなのかは分からないが、素直に頷く。
俺がこのことについて喋ったとしても、大抵の人間は虚言と思うはずだ。
そもそも、話す機会などない。
「二つ。元の世界では仗のことを
扱うもなにもないだろう。
淺水先生と、この朱い狐とは違う。
だから、頷く。
「最後に。仗に助けを求めないことだ」
……。
あくまで朱い狐はこれ以上に人間と関与しないことを選んだ。
……頷く。
「分かりました。その三つを守ればいいのですね」
「そうじゃ。その約定を破るときがくるのなら、仗がうぬらを───殺すことにしよう」
最後の一言は獣の低い唸り声に似ていた。
言葉にしては形が定まることのない音の羅列。
咆哮に無理やり意志をこめた唸り。
こめかみを劈く電波。
頭の中で恐怖より先に明確な死が射出され、体がゾワリと震えた。
「──はい。絶対に守ると誓います」
それに、彼女は淀むことなく言い切る。
俺も固く口を結んで頷いた。
「うむ、約定をここに
契約は──立証される。では、
朱い狐は含みのある微笑みを浮かべた。
「まずなぜ、トオル、貴方を巻き込んでまでこの世界に来て話しをしたかったのかを説明しましょう」
それは、俺が一番気になっていたことだ。
話しをするのなら、保健室でもよかったはず。
なら、なぜ?
こうまでしてここで話しをしなければいけなかったのか。
まるで、あの世界では話してはいけないことのように感じる。
「この世界で会話をするというのはアサネからの提案でした。ここなら一番安全であるという点と、彼女なりの配慮という点から鑑みたそうです。
後者は理解できませんでしたが、安全というのは納得です」
なぜ、彼女は安全に拘るのか。
俺はわからなかった。
安全もなにも、この世界には不安しかないし。
いつ死んでも不思議じゃない。
「安全なら、保健室の方がまだ理解できた」
それが俺の素直な感想だった。
この世界に怯えることもなく、会話だってできたはずだ。
そもそも、淺水先生じゃなくてなんで朱い狐との会話なんだ。
「すみません──それは─」
彼女は神妙に口を開く。
怖れるべきことのように。
「貴方は今、ある
「え──?」
その事実はあまりに受け入れ難かった。
だって、あの星霊の他に、別の星霊に目をつけられているなんて、恐ろしすぎる。
「星霊の名は──ウィロ・アンサンタム。この名前に聞き覚えはありますか?」
見慣れていなかった公園を思い出す。
現実かも曖昧だった公園の景色がかすめる。
公園には黒い少女。
その黒い少女の名前はたしか──
「……………ああ、会った」
ウィロ・アンサンタムと名乗っていた。
その少女に俺は出会っていた。
「よく、無事でした。……本当によかったです」
彼女は胸を撫で下ろす。
息を吐いて、もう一度呼吸を開始する。
「俺もびっくりだ。あの子が星霊だったなんて、それで無事なことあるのかって。確かに、おかしな感じだったけど…悪夢かとも思ってた」
あのときは、目が覚めるような覚醒だったから、疲れかと、そう思ってた。
逆に気づかなくてよかった。
ワズに取り乱した姿を見せて、変なやつだと思われたかもしれないし。
二度と外には出たくないと引きこもってたのかもしれないから。
彼女は俺の顔を窺いながら、星霊の説明を続ける。
「ウィロ・アンサンタムは『
「……そんなのがなんで俺を?それに、『精霊喰らい』ってどういう意味なんだ?」
「直球です。精霊を食べてしまうのです」
「それじゃあ、なおさら俺を狙うわけがない。なんでなんでだ、いったい…」
星霊って精霊を食っちゃうのか……。
もはやなんでもありだな。
なら、人間なんてひとたまりもない。
彼女だって敵わないかもしれない。
それは嫌だな。
「トオル──貴方が狙われている理由は──」
彼女はそこで言葉を止めた。
思い悩むように、自身を責めるように。
言葉を言い出そうとして何度も口が音を出すのをやめる。
だが。
「私──が原因です」
彼女は振り切った。
責任を感じてもなお、倒れずに俺にそう伝えた。
「なんで君が──?その星霊とは接点はないんなら、君が原因で俺が狙われるわけないはずだ」
「…それは違います。ウィロ・アンサンタムは高濃縮な存在である精霊を求めて活動をしているのです。
なので、ウィロ・アンサンタムにとって私という人間に宿る『人間の善性』の精霊は、特大の栄養素。
それに密接に関わる貴方はいいおびき寄せ品になってしまっているのです」
「そうなのか……。全くおかしなことになってるな」
驚くより呆れてしまっていた。
だからと、納得をしてしまった。
「──すみません、トオル。また貴方を巻き込んでしまって─」
「大丈夫だよ。巻き込まれにいったのは、俺自身だったし」
結局、自業自得なのだ。
それを俺は責めることもできなければ、心配される言われはない。
「どすればいいかな──?」
言葉は咳払いするかのように出た。
唐突に自分自身に嘔吐感を覚える。
「解決手段は二つあります。
一つ目はこのトリイの世界に隠れ続ける。私たちがウィロ・アンサンタムを倒すまで。
二つ目は私と常に行動を共にし、ウィロ・アンサンタムを誘き出したところを最高戦力で倒す。
それが私とアサネで立案した共闘契約戦線です」
彼女は、欠けることのない確固たる意志を持った瞳で訴えかける。
離されない瞳。
落ちない瞼。
そこに、自分が死ぬかもしれないと迷う心はなく。
目の前の俺を死なせないために命をかける覚悟があった。
本当に、彼女はおかしい。
たかが人間一人に対してここまで守ってくれるはずがない。
裏があるのではないか。
利用するため、生き残るための布石ではないか。
と──
──そう思わせない強い瞳が俺の胸を裂く。
いつまでも強くあろうとする眼は、いつのときか諦めかけた誰かの心根にはあまりにも毒だった。
「トオルは──どちらがいいですか」
だから、俺は───
……
…
──一緒に闘いたい。
「君が闘うなら、俺も闘う。当たり前のことだ」
「……分かりました。頼りにしてます」
彼女は俺から朱い狐の方へ視線を移した。
俺の応答に不満がないかと、問うように。
「二つ目の方針じゃな。童には期待はせんが、うぬには期待しておる。ぬかるなよ」
方針については不満は無さそうだ。
唯一、俺という存在をぬいて。
「あの、あなたは何故俺一人のために助けてくれるんです?失礼ですけど、俺への扱い的におかしいと思うんです」
「……助けではない。協力じゃ。童は自惚れるな。じゃが、スジはよい、仗も童なぞと協力はありえぬ」
やっぱり、よっぽど嫌われているらしい。
だから、余計理由が気になる。
「仗はこの『人間の善性』である精霊の護衛を主さまからの任より承っておる。じゃから、仕方なく。仕方なくのぅ。童を守りたいという人の
仕方なくを、二回ほど誇張して言われた。
……けど、なるほど。
この状況は彼女が作りだしてくれたのか。
俺が死なないために。
「ありがとう。この恩は必ず返すよ」
彼女に向かって万感の意を示す。
「はい。無事にトオルが生きられること……それが私への恩返しになります。忘れないでくださいね」
そうして、だっと、彼女から肩の力がぬかれる。
表情こそ変わらないがその仕草は安心したと言うようだ。
「……気は進まんが、これより童は協定者となり、我等となった。ならば、仗のあらましも多少は知るに値しよう」
朱い狐は優雅に、体を解きほぐすように、立つと。
それまで固まっていた尾が放たれる。
一つ、二つ、三つ……と、合計九本の尻尾が満開の花を咲かせるように、ひゅるりと出てきた。
「仗の名はキュウテン。
『鳥居の精霊』にして
九本の尻尾をはためかせて、朱い狐は自身をそう名乗った。
朱い狐はキュウテンという名らしい。
なんとも、イメージとかけ離れた可愛らしい名前だ。
「……なんじゃ、うぬの斯様な眼は。不躾ではないものの、相応しくない眼をしているのぅ。
…まぁ、よい赦す。自己提示はここで終いじゃからのぅ。
人のモノよ、うぬにも補足するべきことがある。
耳を傾けよ」
九本の内、五本の尻尾を器用に束ね。
キュウテンは人間の手を真似た形を作る。
束ねた尻尾から、まるで人差し指かのように一本だけ束からほどかれる。
その人差し指を示す尻尾は、キュウテンの、狐の口元にそっと置かれた。
「…主さまにはこの協定を内密にしてほしいのじゃ」
その尻尾は秘密にしてほしいという合図だったのか。……なるほど。
ところで、主って誰だよ。
さっきも言っていたような。
「…それは私たちにとってデメリットでは?あのヒトの協力がなくては『精霊喰らい』は倒せません」
「心労には及ばぬ。これは仗たちにとって些事でもあり、主要なことじゃ、善き計らいとは眼には見えずして
…仗がいるのじゃ、『精霊喰らい』討伐へは主さまは必ず駆けつける。ならば、斯様であろう」
「…分かりました。トリイ、ではなく、キュウテン。アナタを信用して了承します」
「…済まぬな」
俺も遅く頷く。
理解はできていないが、キュウテンは俺を仲間と思ってくれた、ならそれくらいの都合はいいはずだ。
で、主さまって誰だ?
「──ならば、仗から最後の言伝てじゃ。
放課後は保健室に寄れ。情報の共有の場とする。
…理解したら解散してよい」
キュウテンから、閉幕の言葉を言われる。
一日の終わりに情報を共有するために保健室まで来ることになった。
それに文句はない。
仲間としては当然の義務だ。
「──はい。この世界を設けて下さり、ありがとうございました。キュウテン。願わくば、アナタの主にお礼を言いたいのですが…お願いできますか?」
「それは、うぬが直接主さまに申せ。仗の言伝ては貸さぬ」
「…了解しました。私からしっかりとお礼をしにいくとします。ですが、宛がなくて困っていてですね─」
彼女が真剣にキュウテンに聞く。
だが、キュウテンは黙秘を行使した。
呼吸一つさえ、洩らさない。
「口は開いてくれなさそうですね。……わかりました。アナタの主に対する忠誠が度がつくほど本当と理解しました」
キュウテンは不服そうに頭を横に傾ける。
当然であると言いたげだった。
「それでは、お邪魔しました。帰りたいのですが、どうすればいいのですか?」
「──」
キュウテンは答えぬまま、目を閉じた。
そうして、コスモスの種のような瞳は閉じたまま。
「──
精聖錬を呟いた。
白い空間は暗転する。
昼と夜とが反転する。
その中で、緋い
赤い門を指し
意思に交わった空間は空気の層を断絶させる。
集約して熱に溶かされていく夜の空間。
溶けた夜は赤と混じり合い、徐々に物体を成し、帯びていく。
その形は神社の入り口である『鳥居』の形になっていった。
「そこからじゃ。忘れモノはないな」
「ありません。また放課後会いましょう」
言って、彼女は『鳥居』へ歩いていく。
瞳で礼を伝えて『鳥居』まで。
「トオル。帰りましょう──」
彼女は呆然としている俺に振り返る。
「あ、ああ、そうしよう」
キュウテンからようやく視線を外す。
驚いている暇はない。
話しも約束も済んだ。
なら、この場にいる必要はもうない。
気になることはあるけれど、早く帰らないと。
──手遅れになる気がした。
走って彼女の元へ行く。
行く途中。
「─童は、ちと待て」
キュウテンに声を掛けられ。
身体はゾワリと震え、硬直した。
「人のモノよ、先に帰れ。童と話したい」
「──?そうですか、では先に帰っています」
彼女はそう言い残し、さっさと帰ってしまった。
俺とキュウテンを信頼して行ってしまった。
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