21話 空白の現実④

 緋い光は頭上で暗闇を押し退け、輝き続ける。

脳に直接流される言葉はより、鋭利に頭に響いてきた。


「契約──?」


辛うじて押し潰されそうな意識から言葉を絞り出す。


「ぬ?…そうじゃった。会話がしたい、とだけ伝えてしまっておったな」


緋い光の声は光を解して、鈍く固めて言う。


「会話とは契約をしよう。の略じゃ。すまんかった。あの姿だと少々そちらよりの言葉遣いになってしまうからのぅ」


どんな略だよ。


「じゃあ、契約するみたいになってるのか、光のあなたと」


「……ほぅ。いい淀み、へり降ることもせずの不遜とは……わらべではなくわっぱであったか」


よく理解できないことを、どこか感心したような抑揚で緋い光は続ける。


「──そうじゃ。うぬらには、今時こんときからの契約者である。うぬらの喜びは苦しい、知っておるからのぅ!」


緋い光から来る風がぼおっと旋風を起こす。

床がガタガタと震え、柱はビシビシと硬い身体を捻る。


「つかぬことを聞きますが、トリイ。アサネはどこにいますか?」


「……ふむ。今のは仗が呼ばれたのか。…淺水の主導権限はここには在らず。仗の領域でな」


「了解です。では、どうすれば契約できるのでしょう?」


「え?ちょっと待って。本当にこのまま契約する流れでいいのか。詳細なことを聞いてないから──」


「それについては心配ありませんよ、トオル。トリイは精霊です。私たちに危害を加えることはないのですから」


そうか…精霊は人間を守るために生きている。

その存在であるため、そもそも俺たちに不利益なことはしない。


──だが。


「『悪性』かもしれない可能性が──」


「粗末な事象よ、そこの童。仗が斯様な存在で在ろうモノならば、うぬらは此処へ行かず──」


急に風が上昇気流になる。

緋い光が頭上に集まり、緋い風の柱となって文字を作る。


と指し示した。


「あの世じゃな」


軽い調子で緋い光は答える。


……なるほど。

もう、死んでいるということか。


「そして、精霊は契約約束を裏切りません。

裏切れば、『契約』は『呪縛』となって永遠に精神と運命を蝕み続けますから」


彼女は無表情で淡々とそう述べる。


「……恐ろしいことを聞いた」


こっちも契約を裏切ったら、生涯が悲惨な事態になるってことだな。


なら、余計なことは言えないし。

俺はこの台風の目から、絶対に目をそらしてはだめだ。


「では、契約会話をしましょう。対価は──」


「……待ってくれ。会話ならもうできるだろ。対価なんて─」


そう口にした瞬間。

身体に緋い光と重い風圧がのし掛かる。


頭と肩が徐々にジリジリと焼けていく感覚。

風が皮膚と骨を潰していく激痛。


「童。うぬは仗の従者か?或いは善き同胞か?」


「トリイ─!止めてください!」


「仗の理では魂は霧散せん。ヒトのモノよ、そう侮るな。戯れであろう?容赦はせんがのぅ」


「違、う──!」


呼吸が出来なくなってきた。

口が切れて、水分がこぼれて、中身の膜がズタズタになっていく。


「であろう──?」


「──カハッ──くっ」


風と光の重圧が消える。

そしてやっと、口の中に溜まった血を吐くことができた。


「対話とは契約である。斯様な場で、うぬらは仗の独話を盗み聞きしているにすぎぬのだ」


喉が焼けるように痛い。

後頭部には未だ感覚が戻らない。


「トオル。意識はありますね?」


頷く。

というか、それしかできない。


「治療します。動かないでください」


彼女はこちらに片膝をついて、肩に手を置く。

置いた手から鈍い光が洩れでて、画用紙にペンキをそのまま落としたように身体に広がっていく。


肩から背骨へ、背骨から頭部へ、光がじわじわと範囲を広げながら動いている。


「い──」


いきなり、頭部の焼けた部分あたりに痛みがはしった。


だが、その痛みは瞬きほどでじんわりと柔らいでいく。


氾濫した川の濁流を元の緩い流れに戻すように、ゆらりと頭部の感覚がはっきりしてきた。


身体の中は、ぽかぽかと暖かみを感じ。

口の中は、血の味が残っているものの潤いを取り戻していた。


なにをしたのか。

おそらくは、精霊独自の回復技術だろう。


彼女の額には汗がにじんでいた。

表情は相変わらずだが、よほど繊細な力の使い方をしなければいけないのかもしれない。


「ありがとう。もう大丈夫だよ」


「──ふ。良かったです」


安心したのか、彼女は目を軽く細めた。

そうして、俺より先にその場から立ち上がり。


「これで、再確認できました」


立ち上がりに、唐突に彼女は口にする。

覚悟は決まったと宣言する出で立ち。


俺があのとき見た、背中を思い出す。


「──ほぅ?童のは不粋が過ぎたのだが。

ヒトよ、うぬならば仗の対価に見合うだいじなるモノを提示するであろう」


緋い光と風が今度は彼女に降り注ぐ。

それに、一切の怯みなく彼女は緋い光を見据える。


「いざ、見合うモノでなければ、仗を同属と傲った童の無礼共々『呪縛』無くしてうつし世には還さぬ。だが、誠意を語れば契約をいそう」


「なるほど。私が見合うモノを出さなければ、話しは可能であるけれど契約はできない。

つまり、対価への受理がかなわなければ呪縛障害を受けるということですね」


緋い光は沈黙で返す。

静かに、門は閉じていく。


その最中。

微かに風が笑った気がした。


 彼女は閉じてしまった門を見つめたまま、彼女もまた黙りこくっている。


それから数秒経って意を決して、彼女は歩き出した。


「ずいぶん……悩んでいたみたいだったけど、決まったのか?大切なモノ」


言って、やっと立ち上がる。

緋い光がないから、また辺りは暗闇だけになっていた。


スマホを取り出し、彼女を探して光をつける。

見つけたとき、彼女はもう台座の目の前にいた。


「──はい。決まった、というよりは改めて決意したと言う方が正しいのですが。きちんと…決めました」


「そっか。なら、任せるよ。俺はどうやらダメみたいだし」


大切なモノのはずだったのだが。

あの緋い光には見合うモノではなかったらしい。


悲しいというよりは、悔しいという感情が沸いて出てくる。


なぜだろうか。

自分でもその感情の方が優先される意味が分からなかった。


彼女の元に歩いていく。

やや俯いたまま彼女の横へ。


「それで、君の大切なモノってなんだ?精聖錬で創るお気に入りの銃とか?」


「いいえ、そのような物騒はモノではありません」


「じゃあ、そもそも物じゃないとかか?」


「──惜しいです。私の物でなければ誰の物でないモノ。私が、大切であってほしい存在です」


なんだろう。

彼女が大切だと思う物。


記憶にある大事な存在、思い出とか?

彼女が生きている時間は短いと思うけど、見つけた、決めたりできたのはそういったモノだから?




 ──俺にはそういったモノがあるのだろうか。




ふいに、そう思った。


駆け巡る記憶の中は朧気なモノだらけで、俺自身の記憶には『核』となるものが何一つない、信じられない、と感じたからだろう。


楽しかった。


嬉しかった。


悲しかった。


苦しかった。


そんな、モノが希薄に感じる。

大切なモノがないわけじゃないはずなのに。


「それは、なに──?」


気になったから答えを聞いてみる。

すごく、落ち着いた声で。


「──それは」


彼女はこちらを見てきた。

信じるように、心から安堵するように。


彼女は一言を伝えるために全力で息を吸い込む。

そして──力強く口にする。


「──トオル。貴方です」


「───、──はい?」


クラスのやつらが、こぞって俺に冤罪をかけてきたときより俺はその一言に驚いた。


「──私にとって、大切な存在モノ。それが貴方と言ったのです。どこか、おかしなコトはありますか?」


首を傾げて無表情で俺を見つめる。

ものすごく嬉しいと感じてしまう視線だった。


無機質な視線だけど、決して離してくれない目線。

表情が変わらないからこそ真剣に捉えてしまいそうで──


「おかしい、とか。別に、そんなこと思って、ないけど…なんか、言い方がほら─」


憧れる存在から言われると、照れくさいというか。

無性に嬉しくて言葉に覇気がなくなっている。


「──そうなのです、ね。以後、気をつけます。で、では、トオル──台座に」


俺の言葉を受けてか、彼女は顔を無造作に暗闇へ向けた。


その方向には台座はない。

意図のない行為だが、意味は彼女なりにあるのだろう。


「分かった。それで大切なモノとして通るか分からないけど、台座にいてみるよ」


「……はい。…お願いします」


台座に腰を掛ける。


………。


……。


…。


門は開かない。


………。


……やはり人間ではダメ──


俺なんかじゃ、なんの助けにも……


「フ──ゥ。フッハハハ!五臓六腑が捌けそうだのぅ。実に幾年ぶりかの賜物じゃ。……モノを人間で寄越すとは善く考えたな、ヒトのモノよ」


笑い声が緋い光と共に溢れる。 

門が開かれる。


今度は隙間ほどではなく。

全てを迎え入れるかのごとく開け放たれる。


風は暴風に、光は煌々とでる太陽のように、俺たちを包む。


「──褒美じゃ。童、うぬも契約に介入することを赦す。ヒトの、だいじなるモノじゃからのぅ…」


もう一度、高らかに緋い光は笑うと。


 ───俺たちを白い世界に招き入れた。























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