15話 西日 柊佳来襲!

 教室の前で俺は目の前の人物と対峙する。


「あの……。そこ、通っていいですか」


「えぇ、お好きなように──。通れるものなら、どうぞ?」


初めて会った西日柊佳は俺に対して、敵意増し増しでそう答えた。


繊細さを強調させる黒髪の艶。

首もとまで、ストレートに心地よく伸びている髪。


色白く、日本美人を彷彿とさせる透き通る肌。

繊細で厳かな和の美しさを際立たせる眉毛。


対して。

瞳の中は新緑である。


顔立ちは、きめこまかに練られた飴細工のように隙というものがなく。


和の自然さと洋の耀かがやかしさを混ぜこんだような美の化身。


そう、表現してもきっと。

文字に負けないことだろう。


前に、こんなような解説をしたような……。

きっと気のせいだ。


思わず、こんな解説をするくらい。

そのくらい……見惚れてた。


瞬時に我にかえり。

恐る恐る、西日を見る。


西日は口元の微笑を崩さずに、綺麗な曲線を描いたままでいる。


つぶっている眼は笑っておらず、平坦な形に留まっていた。


彼女が俺に対して言葉の節々で威圧する原因はおそらく、昨日の待ち合わせらしきことをボイコットしたからであろう。


よし。

全体的に俺が悪い。


いくら恐怖があったとはいえ。

いくら噂を鵜呑みにしたからとはいえ。


声を掛けるか手紙で返事を返していればこんなことにはならずに済んだことだ。


何とか現状を打破、もとい、解決するため。

何事もなかったかのように、保健室へ誘おう。


あそこなら、無駄かもしれないが落ち着いて説明くらいはできる可能性がここよりは上だ。


なにより、保健室の淺水先生の証言つきである。


穏便に済ませるられることだろう。

そう信じたい。


クラスのあの様子は異常だし。


もしその異常が、西日柊佳によるもとだとしたら俺との関係であると思う。


だとするなら、俺は皆に謝るべきだ。


いつも皆には迷惑をかけられているが。

ヤツラは、ほっとけない仲間だ。


困ることも多かったが。

楽しいことはそれなりにあった。


俺が貸した金の大半を投資に使ったとか。


俺は、カラオケのドリンクバー使ってなかったのに、ドリンクバーを壊したから、一緒に修繕費払ってとか。 


シャーペンの芯を年中盗まれたりとか。

一緒になって告白現場を盛り上げたりとか。


文化祭で使うはずだったサイリウムを全部切って、中身出して血痕とかふざけたり。


体育祭のとき。何故か先生に秘密でバザー開いたりとか。


なら、やっぱり。

見捨てるわけにはいかない。


いや、やっぱり見捨てていいかも。



 俺は逡巡した意見を飲み込み。

喉に力をこめる。


「あ、そのー、やっぱり気が変わりましたので保健室なんかどうです?」


勇気を出して言った言葉は、これまで生きてきた中で一番力がなかった。


それもそのはず。


西日の剣幕は、さらに深く深く額に刻まれつつあったからだ。


眉を寄せに寄せて、俺をこれでもかというほど睨んでる。


がさない。どこへ行こうとも、私はあなたをのがさない」


どうやら、ヤバい。

話が通じていない。


声の重みがさっきのときより、比べものにならないほど低い。


ベースのE1(41Hz)より低い。

もはや、怨念に近い。


「──ふぅ。俺は逃げないよ。だから、まずは話をしよう。クラスだと厄介なことになりそうだから、保健室とかでどうでしょうか?」


落ち着け。

相手は怒髪天だ。


俺は、怯えてはならない。

慎重に、かつ、相手のペースに飲まれないよう。


当然、自然に。

交渉しなくてはならない。


女子を怒らせると、ほんと、取り返しのつかないことになるのは日鞠で経験済みだ。


だから尚更、冷静に振る回らなくてはいけないのであるのだ。


「保健室……。えぇ、それはいい提案ね。そこなら、ながーくお喋りが続けられそう」


なぜか。

保健室というワードに助けられた。


保健室には、俺をどうにかできるものがあるのだろうか。


彼女の怒りの表情は、さらさらとしだいに砂のように口許に落ちていく。


その代わりに、笑みが浮かびあがった。

砂からできた渇いた笑み。


それはきっと。

海に流されることができない砂だ。


「あーなるほど。そういう感じですか、ならお手柔らかにお願いします。あと、授業があるのでお早めにしてくださると……助かります」


「授業……?あの、特にためにもならない烏合うごう団欒だんらん会場のこと?あれで、徴収できるものがあるとするなら、鳥のふんくらいのものと理解してないのが驚き。全く恐ろしいところね、学校って」


かつて、これほど授業という単語でここまで罵倒出来たものはいるだろうか。


堂々と主張しすぎて、逆にカッコいいまである。


だが、うちのクラスを想像すると。

いい得て妙だ。


あのクラスを飼育する時間がまずもったいないし。

あれらから徴収するものがないからである。


「そう。その場にいないとこれからの進路に関わるので……」


「よく判らない。トオルくんは授業が好きなの?」


「いや、全然。むしろ、嫌い」


すらすら言葉が出た。

思考する間もなく。


「……。貴方も結構ストレートね。不快じゃない。そういうの、どちらかというと好きよ」


真顔でそんなことを言う西日。

初対面なのに、結構グイグイくるなこの女子。


好きとか言われたら、世の中の男子高校生はそれだけで好きになってしまう。


全く、困ったもんだ。


「あーそれじゃあ、早く保健室に行きましょう。西日さん」


俺は、若干照れながら階段の方へ身体を向かせ。

首だけ西日に振り向いて言った。


「えぇ。その前に、この子たちを解放してからにする。もう用は済んでしまったから」


この子たち?解放?

普段聞かないような言葉の羅列を耳にする。


つい、不思議と興味が湧き。

西日の行動を見守る体勢になった。


踵を返し、教室の扉の前でなにやら服装を整えている西日。


どことなく、なめかわしさを感じる手つきで服装の手入れを進めていく。


優雅に風雅に、服装を気にかけるさまはどこかのお嬢様のようであった。


何故かそう呼ばれている西日柊佳という女子生徒。


彼女がそう揶揄される噂的なものは、士や日鞠から聞いたが。


あれは、比喩的表現であると俺は思っている。

そう信じている。


確かに、有無を言わさない威勢と迫力はあるが。

剛健は言い過ぎというか、失礼だ。


俺は今の彼女の洗礼された手つきや仕草を見てそう思わざるおえない。


恐怖は感じたけど。


「では──んんっ」


西日は、これから召し使いでも呼ぶかのごとく。


パチン。


と、軽快な響きを指で鳴らした。

俗にいう指パッチンである。


「整列──できる?」


呟いた言葉は、至極当然であるというものだった。


自衛隊の招集命令のような。

レストラン開店前のノルマ提示のような。


然るべき行いを遂行させ。

絶対服従を誓わせる。


支配者たる号令の仕方。


そんなような一言だった。



 反応した者は、誰だったか。

むしろ、反応しない者は誰であるか。


ぞろぞろと。

感情を殺した音がクラスを支配する。


いつも通りの単なる離席であるなら、まばらであるはずの足音であるが。


均等に近く、軍隊を想像させるのが今回の足音であった。


どういう状況だ、これ。

西日のために全員が動いているのか?


先にその疑問がやってきて。

次に、驚きすぎて、驚くこともできなかった。



「3名欠席。他32名全員揃いました!西日様!」


西日の前にクラスメイトが綺麗に整列する。

苦い顔をするものや逆に光悦している者もいた。


まぁ、見た目は美少女だからうちのクラスの男連中は付き従ってるだけかもしれない。


でも、女子もいるしな。

……どうだろう。


やっぱり、この状況は俺関連なのか?


「……案外従順なのね。それじゃ、夢子さん。……なにかほしいものはある?」


女子生徒は、ピキンと背筋を正し。

精一杯眼を閉じて天井を見上げた。


物凄く緊張しているのが分かる。


「いいえ!滅相もごじゃいません、西日様!私どもに褒美など。西日様が私にお声をかけて下さるだけで感激の至り。極上の一品でありますからゆえ、そのような軽はずみなお言葉は慎み下さいますよう、お願い申し上げます。私が死にかけてしまいます」


忠誠心を超えて、崇拝の域まで進行している女子生徒の高速進言。


発言通り、その女子生徒はクラクラしていて今にも倒れそうにしている。


男女とか関係なかった。

もはや、西日の信者であった。


「……。盲信するのは構わないけど、いきすぎると本当に身を滅ばす可能性があるのよ。……気をつけることね。でも……悪くない。──いえ、今の発言は忘れて」


悪くないのか……。

そんな問題発言みたいなことを言うから、あらぬ噂が増え続けるのかと俺は推測した。


「あなた達の協力は必要なく終わったけど。私に協力してくれたお礼をしたいの。金銭しか持ち合わせていないのだけれど、それでいい?それでいいのなら代表者は前にきて」


一同、ガヤガヤしだし。

小さな討論会が開かれる。


しばらくして彼女の呼び掛けに応じたのは、後嶋だった。


「失礼します。代表者の後嶋界十です。お金は……こちらくらいの額でどうでしょうか?」


なにやら紙を取り出し。

にんまりと笑顔を作り後嶋は、そう告げた。


西日は、驚いて少し首を傾げた。

それはどいう意図の疑問?なのか。


というか、そんな西日の行動より。

後嶋が提示した金額が気になる。


あいつは金目のものには特にがめつい。

できれば、今回はトラブルにならないと願うばかりだ。


俺は、この事態の中心にいないと信じて。

黙って行く末を見届けることにした。


「疑問ね。何故あなたが代表者になるの?あなたの悪い噂……特に金銭関係に関してはよく耳にするから、不安なのだけど。……よって、このことは保留にしてもいい?」


彼女はまぁまぁな堅実な人物であった。


そして、なるほど。

首を傾げたのは、そういう意味か。


その発言に皆は、唖然としている。

今さら何を言い出すんだと。


約束が違うじゃないかと。


「これは、私なりの善意。今、私があなた達に借りを払ってしまったら、それこそ勿体ないのわかる?彼、絶対にお金を分け合うなんてしないのよ」


そう西日は断言した。

人を見抜く力が十全に備わっていると思った。


「ギクリ。そんなことないですよ、皆さん。俺を信用してくださいよもぅ」


後嶋がなんか言ったけど、なんだろう。

言葉が滑稽になるほど聞き飽きた回答だった気がする。


「そりゃあ、ないぜ!!あんたから金貰えるとふんだからよ、従ったんだよ。わざわざ苦渋の決断でよ、苦渋の決断で!仲間売ってさー。俺たちがいからないわかないよなぁ……!!」


体格が熊のような筋骨粒々なラグビー部の男子生徒が声を荒らげる。


仲間を売ったと言ったぞ、こいつ。

売られたのは絶対俺だ。


おそらく、俺がもし逃げたときのためとか。

俺の情報とか流したな。


もう、こうなることだろうと予見していた。

やはりトラブルはつきものだ。


いいかげん。

振り回されるのは勘弁だ。


事も大きくなっているようだし。

ほんと、どう決着つけよう。


……。

………そうだ。


元はと言えば、俺が西日のことを無視しなければこんなことにはならなかったのかもしれないんだ。


「なら、これが一番だな──」


ため息は、このためにあるかのように。

自然と、俺は身体と一緒に身をのりだしていた。


制服からはじけ出てきそうな筋肉。

西日よりも、二回りも大きい身体。


それが、怒り心頭で荒ぶっていいる。


クラス中を響かせる足音じたんだ

脇をしめ、狙いを済ます真剣な表情。


彼の次の行動を誰もが予想した瞬間だった。


「覚悟……しろよなぁ──!!」


そんな、弾丸を具現化させたか。

熊を人間にした男子が猪突猛進で彼女に向かう。


「おい、待て!原田…!返り討ちにあうぞ─!!」


後嶋の声は届かない。

そのまま、西日の身体へ巨体が迫る───!


「恐れを知らない生き物は、ラーテルだけで充分──よ?」


前に西日はなにやら、構えをとっていた。

あれは、どこかで見たことがある。


合気道だっけ。

まぁ、どうでもいい。


──俺がわって入ったのだから。


豪速球の肉塊が俺の胸中にクリーンヒットした。

あばら骨が何本か粉々になったかもしれない。


心臓の音が急速に遠くなる。

脳の揺れが急難信号を鳴らす。


それらの振動だけが身体を反響し、痛みなんて一ミリもなかった。


実に安心して眠れそうだ。


だから、不安なんてない。


唯一不安なのは、後ろにいる西日柊佳が怪我をしていないかだった。



       *   *   *



『ほら言っただろう?あの女の子に関わると録なことにならないって。徹は、ほんとバカだよねぇ』


 いつからか黒い水面に俺は顔をつけていた。


水の中を覗くと現実ではなく、夢とも捉えたがい空間であった。


敢えて示すなら、巡間はざまとも呼べるだろうか。


そこには、俺と。

水の波紋が作る小さな影法師がいた。


『忠告も無視しちゃってさぁ。交わしたでしょ、あの女の子と。……もうやだやだ。あの子苦手なんだよねぇ』


表情はないのに、影法師は嫌そうに揺らめいて。

俺になんとなく気持ちを伝えようとしている。


『あぁそうか。今回は、死にそうじゃないから口は聞けないか。せっかくなのに、残念。今やれそうなことは……やっぱり、助言くらいしかないかぁ』


影法師は、残念そうに揺蕩うと。

静かに揺れはじめ、影を濃くして言った。


『あの女の子にこれ以上関わると、もう元の生活には戻れないよ。ボクは、宣告はしたから。それでも関わり続けるなら、ボクは徹に手を貸さない。力を使わせない。だからどうか、本当に死なないように頑張んなよ』


影法師は、揺れを止め。

ただの影となる。


『……最後になんだけどさ。なんで気づかないかなぁ、徹ってアイツよりバカだよね』


と──別れを告げるように影は囁いた。







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