13話 姉、午睡。あるいは、熟睡。あるいは……

 もう、すっかり夜の空気になった家への帰り道。


足音は二つ。

街路を行く。


俺と転校生のワズの足音だ。


トコトコと特にもう話題もなく。

ワズと俺はもうすぐ着くであろう家へ無言で歩いていた。


すると。

ブルブルとスマホが音を鳴らした。


確認すると、姉からのメッセージだった。

『まだ?💣️』

という。


爆弾の絵文字はなんだろうか。

そろそろ爆発するよー。

ということだろうか。


メッセージを返そうと思ったが。

もう家が見えていた。


ので。

スマホをしまい、早歩きで玄関まで行く。


俺の家は築何年かは忘れたが少し古い一軒家だ。

二階建てで、和室なんかもある。


和室は父親の部屋だから、あまり入ったことはないし、入ってはいけない。 


四畳半くらいの小さな和室に、なにか家族に見られてはいけないものでもあるのだろうか。


インターホンを押す。

リビングにピンポーンと機械の音が響く。


それと同時にガタガタと音を鳴らして、二階から下るような音が漏れて聞こえる。


ガチャ。

と扉の鍵が開く音がして。


力任せに扉が開き、姉が首を覗かせた。


「既読無視はダメ絶対!」


開口一番。

お叱りの言葉を姉からいただいた。


「家がもうすぐだったから」


「それでも返事する!」


「はい、はい。すみませんでした」


「反省してないな…」


姉はため息を俺に吹き掛けるように吐く。


「とりあえず。お帰りなさい」


「うん。ただいま」


ひどく、安心する響きだ。

いつもなら、本当にいつものことのように流すのだが。


今日は特別だ。

いろいろあって疲れた。


「ほんとに、ただいま」


「えぇ、お帰り」


姉も俺と同様に噛みしめるように挨拶を繰り返す。

ちょっとだけ笑みが零れた。


「ところで?なんで遅くなったのかな?」


すぐさま、強く唇を結ぶ。

そうだった。


お叱りがあったんだった。


きっと、今日のことをありのままに話したら、また心配される。


保健室にいたという点と。

帰りが遅いという点で。


だから、俺は思った。


昨日叱られたとき。

今日の帰り道のとき。


また、強く思った。


この人に叱られてはいけないなと。


「それは──あぁ、転校生に学校を紹介してたんだ」


「転校生?」


「うん。ワズ!いるかー」


……。

………。


あれ、帰っちゃったのか?


まずい。

非常にまずい。


「いないじゃない。もしかして、ウソを──」


「…声がでかい。これじゃあ、近所迷惑になることがわからないのかい」


ワズはこちらを見ずにひょっこりと。

玄関前に現れる。


腕を組み合わせており、少し不機嫌そうだった。


「良かった。こちらが、転校生のワズでお隣さんのホームステイさん」


ワズが自ら自己紹介する前に。

丁寧に姉に紹介をする。


「……」


姉は俺とワズを交互に見ながら唖然としている。

それほど、転校生でホームステイが驚くべきことなのか。


いや、驚くわ普通。


「このワズを紹介していて、遅くなったんだごめん」


「…………」


「姉ちゃん?」


「──えぇ。そうだったのね。てっきり、また熱中症やらケガしていたから、遅れたのと」


「さすがに昨日今日で忠告されたことは破れない」


「ずっと、破れないでいてほしいのだけど」


力無げにワズから俺に視線を動かす。

そして、睨むように眼を細めてから姉は口を尖らせた。


「彼からは、学校のことをずいぶん紹介されました。それはもう、頭にこびりつくほどに。なので、もう家へ帰ってもいいです?」


ナイスだ。

ありがとう、ワズ。


さっきは、ふてくされてごめん。

明日、なにか奢ってあげよう。


「あぁ。じゃあな」


「……はぁ。また、明日」


よっぽど、不機嫌なのか。

露骨にため息を吐かれる。


この短時間で二回も姉と友達にため息を吐かせた。

もしかして、俺は呆れられてるのか?


そうして。

ワズはすぐに隣の眩楽几さんの家へ向かった。


俺はワズに手を振りながら。

家の敷地から眩楽几さん家が見えるところへ移動する。


ワズは俺が手を振ってることに気づいたらしく。

軽く手を上げて振り返し。


本当にワズは眩楽几さんの家に入っていった。


「ワズ君だっけ?彼って今日転校してきたの?」


「うん。今日、転校してきた。それと、転校日より前からここに住んでいたらしい」


答えながら。

家のドアを開ける。


「……?住んでいた?」


「さっき言ったじゃん。眩楽几さん家にきたホームステイの子だって」


「眩楽几……。あっ……そうだった」


姉は考え事に夢中なせいか。

俺がもう玄関の中にいることに気づかない。


「姉ちゃん。家閉めるよ」


「了解ー。……って待って!」


閉めんなー!

と玄関に、叫んで姉は走って入ってきた。


      *   *   *


 姉のお手製オムライスを食べ終えて、洗い物を俺はしていた。


「『現在 岸浪きしなみ町で建物の崩落事故が多発しております。古民家などの家、周辺を通る際には注意してください』」


流し見ていたお笑い番組は夕方の報道ステーションにすでに変わっており。


そんな報道に俺は耳を傾けていた。


岸浪町は八将繁華街の南口方面にある町だ。

士の実家があるところである。


封鎖されていることと関係があるのかもしれない。


「最近、事故や事件多いよねー。徹も気をつけなさい。出かけるときなんかわ。お姉ちゃん、すぐに助けにいけないから」


悠々自適にソファーでくつろいでいる姉が、チョコをつまみながら言う。


「俺は助けられるお年頃か?むしろ、姉ちゃんの方が心配なんだけど」


「心配をかけられているうちが、花とも言う。どう?おひとついかが?」


チョコ一粒をこれ見よがしに、俺に見せつける姉。

俺はいらないと首を振った。


姉は悲しそうにチョコを見つめ。

撫でたりして、チョコを慰めている。


「それは……他の人に言ってくれ。俺は嫌だ。姉ちゃんが俺に心配をかけるのも、かけられるのも」


姉はチョコを撫でるのを急にやめ。

一口で食べてしまう。


「……徹は難しいことを言うなぁ。私はお姉ちゃんだよ。それくらいさせてよ。……あぁ、でも。そうね……徹のお父さんに怒られちゃうから、やっぱり…」


そこで姉はしどろもどろになり。

何を言ってるか分からなくなった。


「……うん。酒でも飲むか!」


何かを言って姉は立ち上がる。


姉はチョコがなくなったのか台所へやってくると。冷蔵庫を開け、銀色の缶を取り出した。


「ん?……まさか、酒?姉ちゃんが!」


「なによ。羨ましいの?」


ニヤニヤ笑いながら、リビングに姉は戻り。

ドスっと、やけに大きな音をたててソファーに座った。


「いや、羨ましくはないけど…。……姉ちゃんって酒嫌いじゃなかったっけ?」


「そうだっけ?忘れたー」


洗い物から眼を放し。

姉を見てみると。


本当に忘れているのか。

酒をグビグビと飲んでいた。


「ほら、成人式の帰りの飲み会で吐いたっきり、嫌いになったって」


「あー。そんなこともあった、あった。数ヶ月も前のことだから、忘れてた」


「数ヶ月だったら、覚えてるでしょ。……なんか、今日の姉はいつにもまして、ズボラが全面にでてる気がする」


「なにか言ったかなぁー?」


鋭い眼光が台所の壁を越えて、突き刺さる。


「なんでもない。姉ちゃんは完璧です。超人、無敵、最強です」


「そこまで言われると、何故かほんのり私がダメ人間であると思えてきた」


ほんのりではなく。

だいぶ、ダメであると思う。


特に自身のことに関しては。




 洗い物はあと、1/3程度残っていた。

洗い終えた皿とコップが食器置き場にたまり。


少し、達成感がでてきたときに。


「……徹はさ。私のこと、どう思う?」


姉は唐突に台所こちらに振り返ることもなく。

姉自身のことを聞いてきた。


「は?いきなりどうした?」


「なんでか、気になったっていうかー。気になった」


「……」


さては、酔ってるなこの姉。

数分しか経っていないのに。


それでは、吐くはずだ。


「猫と犬の中間みたいな存在」


「えー。なにそれ、答えになってニャいワン!」


「きも」


思ってることなど、山のようにあるが。

勿論、答えるつもりはない。


なぜなら、姉だからである。


「きもいとはなんだ!きもいとは!酒吐いてやる!」


「臭っ……」


「臭いはやめて。ほんとにやめて」


台所なので、匂いはこないはずだが。

直感がそう言っているのだ。


香水でもごまかせないくらい。


姉は臭い。

と。


──でも。


「……考えてみればそれだけなのか」




 しばらく経って、姉は静かになった。


リビングには、またお笑い番組の笑い声が虚しく響き。


台所では、ポツポツと流れずにいた水が落ちていた。


ようやく。

洗い物が終わったのだ。


姉との会話があったから、長く感じたが。

ものの、20分ていどだっただろう。


「姉ちゃん!……。酒の片付けは自分でやっ─?」


台所からリビングを見る。

姉の姿はなかった。


不思議に思い、リビングに行くと。

ソファーから崩れ落ちたのか、床で気持ちよさそうに姉は寝ていた。


全く、嫌いなのに酒なんか飲むからだ。

酒臭いし。


ほんと、この人は……。


「……仕方ない、か」


姉を担ぎ上げ。

ソファーにそのまま寝かしつける。


「重いとは言わないでおこう……」


グーグーと。

ソファーに埋もれる姉。


上下に僅かに動く豊かな胸と肩。

いつも、俺と話しているときのうるささを忘れた清楚な唇。


肌はソメイヨシノの花びらのように白く。

触ってしまったら溶けてしまいそうなほど、繊細な煌めき。


料理のときに、邪魔だからという理由で縛っている髪型ではなく。


ごく自然に艶やかな長い髪を露にしている。


黒く、滑らかに澄んでいる髪を惜しげもなくソファーに広げ。


微かばかりか、髪の毛が目蓋にかかってしまっていた。


ふと。

その髪の毛をどかしてあげようと何故か思った。


ゆっくりと近づき。

顔にかかっている髪の毛をどかそうと。


姉の顔に接近する。

初めて出会ったときとは違い。


姉はずいぶんと大人びた顔つきになっていた。




───瞬間的に懐かしい思い出がよぎる。


俺と姉が会ったのは、小学二年生の頃。

夏休みが終わった直後だった。


夏休みの旅行から帰ってきたら家に姉がもういた。

オムライスを三人分作って待ってた。


姉の親。


俺の親戚にあたる人が亡くなったそうで、親戚間で俺たちと住むことに決定されたそうだ。


つまり姉は、本当は親戚のおばちゃんなのである。


そして、姉は俺のおもりを父親に頼まれた。


姉がきたときは、母が亡くなってしまった後だったから、俺はなにも反応できなかった。


ただ、生きた心地がせず。

ただ、そばにいたはずの誰かをずっと探していた。


夏の終わりとともに。

俺はどこかにあったが消えて。


残ったのは、行き場のない恋しいという純粋な絶望だけだった。


父親はそれと同時に家に帰ってくることが少なくなっていき。

仕事にばかり行ってしまうようになった。


さすがに3ヶ月帰ってこなかったときは、それはもう、一日中口を聞かないくらい怒った。


明日になったら、許してやる。

と怒りながらその日は寝た。


翌日になると。

父親はもう居なかった。


すごく、悲しかった。


それと。ものすごく、自分に怒りを覚えて顔を自ら殴ったのを今でも鮮明に記憶している。


そうして、俺はよく知らない姉と過ごす時間が多くなっていった。


最初はどう接したらいいか。

分からなくて、いつも無言だった。


姉も、オムライスのとき以来。

俺に必要最低の言葉をかけるだけになっていた。


そんな関係が変わったのは、姉がきて半年以上経ったときのこと。


その日は学校が弁当の日で。


小学生にとって、弁当とは特別を味わえるものであり。


例にもれなく、うちの学校も色めき立っていた。


でも、俺はそんな気分にはなれずにいた。

なぜなら、姉が作った弁当だからだ。


当時の俺は、姉を思い浮かべると母親が浮かんできてしまう。


そうなると。

とたんに悲しくなって、食事が口を通らないことが多かった。


弁当では尚更だ。


そして、弁当の時間がやってきた。


みんなが弁当を開けて、食べはじめても俺は弁当のふたを開けれずにいた。


はしゃぐ同級生の声。

自慢する女子の声。

弁当箱をみせつける男子の声。


親に対しての感情をぶつける誰かの声。


───バシッ。

と、ガヤガヤ騒ぐ教室に怒っている先生でも入ってきたかのようなドアの開く音。


「……。うん──。徹くん!一緒に食べよ!」


その音に負けないくらい大きな声で姉が現れた。

声は震えていた気がした。


グランドで食べていいかと。

先生に許可をもらいに行くから待ってて。


と言い残し。

俺の返答も確認せずに姉は走っていってしまう。


担任に廊下を走るな!

と怒られても姉は走るのを止めなかったらしい。


担任の先生の後日談である。


そうして、連れていかれたグランドで。

姉と肩を並べて涼しそうな木陰の下に座る。


言葉はやはり見つからず。

弁当のふたは開かないまま。


俺はどうしたらいいか。

戸惑っていると。


「……食事をするときはさ。友達といっしょに食べたほうがおいしんだよ。知ってる?」


俺は首をふる。


「うん、そうだね。私とおんなじだ。私もわからないときがあった」


姉は弁当を大事そうに膝にかかえたまま。

遠くにある校舎を眩しそうに見つめる。


「……大切な友達が言ったんだ。

独りで食べると寂しいけど、みんなで食べると楽しいのが食事だって。だから、食べたときにおいしいって分かっても。独りだと寂しくなっちゃうけど、みんなと食べていたら楽しくておいしいんだよ」


俺は不思議と姉のその言葉が胸の奥で去来する。



姉の友達は、寂しかったからこんな言葉を姉にかけたのだろうか。


もしかしたら、当時は姉が俺のように寂しい思いをしていたのかもしれない。



「───だからね、友達になろう。徹くん。、お友達に」


姉は、今までに見たことのない真剣な顔もして、ずいぶんおかしいことを言ってきた。


あまりにおかしくて。

つい口元が笑ってしまう。


大きな笑いではなくて。

小さなやっと自然にでた笑い。


きっと、自分は嬉しかったんだ。


誰もいなかった隣に寄り添ってくれたことに。

声もでない声に、気づいてくれたことに。


「……?笑ってる?なに、私、おかしなこと言ってた?」


「……うん。すごく、おかしいことしゃべってた」


「どこが?」


純粋な眼と口で聞いてくる。

まじまじと顔を見たのはこれが初めてだった。


「友達っていうところ。だって、ボクらは──」


「なに?」


そこで気がついた。


姉の愛らしくも愛おしい疑問に花をつけた華やかな瞳と。


俺のなにも見ようとしなかった灰色の苔のような瞳が会ったとき。


なんで、んだろうと気がついた。


「………グスッ」


「…えっ!?」


そのあとは、泣きながら姉の作ってくれた弁当の中身。

を食べた。


ずっと、溜め込んでいた涙で味が分からなかったけど。


寂しくはなかったのは覚えている。



そうして、俺は姉をとして扱った。

友達にしては、所々対等でないことが多かったが。


姉権限的なもので。


でも。


あの頃の俺にとって、それこそ家にずっと友達がいてくれてるような楽しさがあった。


徐々に俺は、現状を受け止められるようになっていき。


なんやかんやあって。

今では、この人を姉と見たり友達としても見ていたりする。



 かかっている髪を払おうとして、寸前で手が止まる。


俺は少し悩み。

姉のもとから離れる。


近くにある布団を持ってきて、姉にそっとかけた。


「……毎日ありがとう。俺が思っていることはそれだけだ」


そう眠っている姉に言い残し。


リビングから出た。















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