8話 天気雨

 パチパチと弾ける音が反響する。


雨の音とは違う燃え盛るような響き。


ユラユラと陽炎が揺蕩たゆたう。


煙は、大地を包み。

広く、広く。


全てを溶かす爛れた塊が焼き尽くす。


それは、逃げ場のない盲目の逆襲。



グチャ。



グシャグシャ。



バシャバシャ。


跳ねる水の音は、波紋のように乱れていく。


つられて、人々は踊った。



踊って。

踊って。

踊って。

踊って。


踊り続ける。


踊りの会場には、似つかわしくない悲鳴コエを上げて。


どんどん、どんどん。


会場が荒波の渦と化す。



つい、愉しくなって笑みが零れた。



つい、悲しくなって涙が零れた。




───でも、心底どうでもいいこと。


皆が楽しいのなら、仕方ない。

皆が悲しいのなら、仕方ない。


余分なものは、ゴミ箱へ棄てましょう。


どうせ、一夜で終わる劇場なのだから。



────だから、もう幕をオロシテ下さい。




─────私がスベテを壊すまえに。


       *   *   *


 「はっ─────。あっ………」


──悪夢からようやく覚めた。


覚めた理由は、明白で。


そこで終わったから。

という安直なものだった。


だが、それで終わりで本当に良かったと思う。


見続けていたら、精神が断絶しかねないものだった。


あれは、俗に言う。

悪夢というものなのだろうか。


いや、悪夢にしてはリアルすぎて。

夢にしては、確かな感触があった。


もはや、ホラー映画を追体験している気分だった。


思いだすだけで吐きかける。


人の体内から、荊のような樹木が飛び出してきていた。


生えた箇所から、黄色と青の樹液が垂れ。


溶岩のように広がっていく。


それを苦しむ姿が踊りに見えた。


そんな、表現に我ながらゾッとする。


もう…見たくない。

死ぬ間際のような恐怖なんて。



 ふと額に手で触ると、汗がびっしり沸き上がっていた。


肩には、包帯がぐるぐると巻かれ。

しっかりと、テーピングされていた。


ガッチリ具合から察するに。

医者がやってくれたと思う、丁寧な仕上がりだった。



トントントン。


起きてしばらくしたら、三回心地よくドアを叩かれた。


反応したかったが。

すぐに、言葉がでなかった。


まだ寝ぼけているのか。

ぼーっと、ドアを見つめてしまう。


「はいるよー」

声の主は姉だった。


周囲を確認すると、病院ではなくて自分の家だ。


気づかなかった。


「起きてんじゃん。返事くらいしなさい…」


やれやれ。

と言った感じで濡れタオルを俺に寄越す。


「顔くらい。自分で拭けるでしょ、私を煩わせないで」


姉が持ってきたタオルを受け取って、上体を起こす。


……身体の動作がおかしい。


起き上がるので、精一杯だ。


めっちゃ遅いし重い。


なんとか顔、首、肩。

と拭き。


さっぱりとした。


さっきより、だいぶ気持ちが平常に戻ってきてる気がする。


「昨日は焦ったよ。帰ってきたら、徹いないし。留守電入ってるし」


「ご迷惑をお掛けしました」


ほんとよ。と姉は言う。


「学校行ってみれば、担がれて出てきて。

ほんと…焦った。叩きつけて、起こしてやろうと思ったけど、先生がいる手前。できなかったのが悔しい!」


どうやら、姉が家まで運んできたらしい。


学校に残っていた先生がいて、俺を看病してくれたのか。

あの精霊の仲間が看病してくれたのか。


どっちにしても、ありがたい。と、すみませんと心の中で謝る。


何はともあれ無事家に帰ってこれた。


「で。お身体の調子はどうですか。

姉は、たいそう気になります」


変な口調で姉は、体調のことを聞いてきた。


なんか久しぶりの安らぎが帰ってきた。と感じる。


「ちょっと身体が重いだけで。あとは、比較的いいよ」


そう。


身体の倦怠感以外は、普通通り。


「そうなのかしら?熱中症の再発とも聞いてるし、部活のケガとも聞いてるけど。

そこのところ、どう考えて?」


極めて優しく姉は問いただす。

こういう所、ほんと怖い。


何故こんな事態になったか理解できてるの?

と説明を聞くまで逃さない気だ。


「……」

すぐ返答をしようと思ったが、困った。


このことは、姉の聞いた話しと事実との異なりがある。


精霊ショウレイとか。

星霊セイレイとか。


空想的なモノが跋扈した学校の出来事。


自らその事柄に飛び込んだこと。


全部嘘に聞こえてしまう。


実際、自分自身、未だに信じられないことだから。


開き直って言おうとすることもままならない。


だから返答が、全部嘘に聞こえてしまうなら、嘘でも言おう。


学校もそう通っていると思うから。


「──うん。部活中に熱中症にまたなっちゃって。ふらついて、肩からズサーと行った」


「ふーん。結構擦りむいた?」


「豪快に」


豪快にガラスが刺さりました。


「それで、熱中症の方は?」


「すぐ治まったよ。水分不足が仇になったかも」


血液的に。


「…まぁ。無事でよかった。けど、何か言うことがあるよね。あと、私が言いたいこともある」


怖い眼と呆れた声で姉は、叱る。


嘘はばれなかったけど、自分のだらしなさは、ばれていた。


というより、ばれてる。


「ごめんなさい。もうならないよう、善処します」


その発言が気に入らなかったのか。

姉は無言の怒りを露にする。


目をしかめ。

口はへの字だ。


そうして、視線が俺の口元から離れない。


まだ、言葉が足りなかったらしい。


いや。


おそらく。

善処するという発言じたいが駄目だったと考える。


謝るなら絶対を約束しないと。


「……もう無茶はしない」


「──よろしい」


満足したのか、にじり寄った視線から解放される。


「…じゃあ、私の言いたいこと。いい?」


「慎んでお聞きします」





「私は怒っています」


AIの自動和訳のような日本語が耳にきた。

ごもっともで。


だから、もうしないと謝ったではないですか。



「──帰ってきて来なかったことに怒っています」


目を細めて。

姉は静かに叱る。


逆に。


俺が姉に対して怒っているかのようにも思えた。

そんな辛そうな顔を姉はしている。


止めてくれ。

俺はけっして間違ったことはしてないはずだ。


「……徹にも色んなことがあって。


やりたいことや、やるべきこと。

したいこと。したくないこと。


でもやっぱり。

人間だから、あれこれ無茶しちゃって──」


姉の言葉に黙って耳を貸す。


「いつかは限界がきて。いつかは終わりがくる。

当たり前だけど、当たり前ではなくなっちゃう。

そんなときが来るんだよ。


なんの例外もなく、必然に唐突に。

なにかが、壊れるときがきっと来てしまう」


どこまでも姉の発言は飛躍していく。


飛躍すれば飛躍するほど。

とてつもなく怒っているのを感じてしまう。


「私にも。徹にも。

ずっとは、来ないんだ。


だから毎日、徹の顔を見て。私の顔を見て。

今日を生きるの。とても──日常は不確かだから」


そうだ。

不確かなのは、なんとなく勘づいてる。


もう、朧気だが。


十年前。

ひどく悲しいことがあった気がする。


でも、思い出せない。

きれいさっぱり、もう思い出せない。


それが、本当に悲しいことであったのなら。

もし、今と変わらない日常があったとするなら。


それが、もし。

十年前に壊れていたのなら。


日常はいつから、日常なのか。

不確かだ。


今が日常なのか。

明日が日常なのか。


とても怖い。

俺が、姉や今あっている人に会えなくなるのは。


だから。

なくなっちゃったら、怒るだろう。


きっと、死にたいくらい。


大切なことだから。



「──だから、もう無茶はやめて」


哀れむように。

駄々をこねる子どもみたいに。


姉は言いたいことを俺に言った。


「……大げさ。でも…うん。分かってる」


「本当?なら──すっごく嬉しい。喜んじゃう!」


姉はそう言うと、力なくウィンクをしてからキメ顔をした。


ウィンクは、下手すぎて化粧失敗した人みたいな顔になっている。


くそっ!

写真撮ってやりたかった!


「……さてと。私はリビングにいるから。徹のお気に入りのコーヒーが飲みたかったら、来てねー」


姉は立ち上がって。そんな、誘い文句を言った。





 眠気も気だるさも拭いきれていないが、朝のひばりが顔を覗かせているのにようやく気づいた。


少し早く起きてしまった朝は、淡い期待を更に照らしている。


暖かな日差しはほのかに届き。


無地のカーテンがブランコに乗りたいようだ。


ゆっくり起き上がり、窓に手を掛け。

新しい空気を室内に循環させる。


期待通りにカーテンは喜んだ。


張り詰めた空気は、昨日へ置き去りにして。

今日の空気がやってくる。


昨日、あんな経験をしたおかげか、随分とまだ夢うつつだ。


もしかして、あんなことはなかったのではないか。


この傷も本当に部活でしてしまったのではないか。と、思考に耽る。


朝がやってきても朝を受けいられないほど。

明けるか不安な夜があった。


さまざまな、疑問が浮かぶけど。

とりあえずは、生きてる。


いつも通り、それでも朝がきた。

日常に帰ってきた。


───そのことに感謝しよう。


そう考えが行き着き。


あの子は大丈夫だっただろうか──。


そんは心配を反すうして。


自室を出た。



 階段をゆったりと下り、リビングへ。


扉の前に着くとガヤガヤ、人の声らしいものが洩れている。


テレン。

という効果音付きだ。


リビングに入ると、広く光が行き届くための古いシャンデリアの照明が待っていた。


それと、キッチンの鈍い光が視界に写る。


テクテク、リビングのソファーに座り。


テレビの声に耳を傾ける。


テレビは、最新のニュースがながれていた。


『昨日。湯目木崎駅付近で人を刺した。

と、警察署に男性が駆け込んできました。

同時刻、人が刺されたとも通報があり…』


物騒なニュースがすぎる。


湯目木町は、治安がいいで有名なのに。


まぁ、反社会的組織と宗教の抗争があった、都市部には目を瞑るけど。


『…ですが。刺された女子高生は起き上がり、何処かに行ってしまい。現在も捜索中です』


いやぁ最近の学生は強靭ですな。


刺されたままとか……やばくない?

どんな身体してるんだよと疑問に思う。


スマホでピピッターを確認してみると、地方のニュースなのにその話題で持ちきりだった。


『霊長類最強系女子高生』


『女子高生の腹筋に負けたナイフさんwww』


『傷が浅かったのでは?』


など。

さまざまな憶測とネット上では言いたい放題だった。


「変なニュース。まるで死んだ後に蘇ったみたい」


率直な感想を洩らす姉。


その手には、俺のお気に入りのブレンドコーヒーを持って来ていた。


「はい。お待たせしました。

海外から取り寄せました、特産配合のブレンド。


コロッセオです。


今回は、モカ風味の仕上がりにしてまいりました。重厚感溢れる味わいをどうぞ堪能してくださいませ。お客様」


「これは、丁寧にどうも」


机に置かれたコーヒーを手にとる。


ソファーから椅子に座り直し、コーヒーに全ての意識を注ぐ。


ズズッと、まず一口飲んで。

全てがコーヒーによって支配される。


それほど、美味。

美味というか、これこそコーヒーというか。


求めたモノはここにあった。

遠き理想郷だ。


暖かさ、したたかながら、奥にある深味を感じさせる味わい。


一口だけで、特別性を遺憾なく発揮されていた。


「やっぱり。食べ物より飲み物なんだね」


感慨深そうに姉は言う。 


「特にお茶系統は、別格だね」


そうですか。

と言ってキッチンに店員は戻る。


姉は実に軽快に、ポニーテールを揺らしながら。

うきうきで朝食を作り始める。


これが。


───日常だと笑うように。




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