7話 土用雨②
後ろから冷淡な声がした。
その言葉に足を止めてしまう。
なぜなら、逃げ出せなかったときの、セイレイの威圧感が俺に纏わりついていて離さなかったから。
「
さすれば、命は長引くと約束しよう。──我等は、契約は裏切らぬぞ」
真剣な声だった。
苛立ちの中に理性が垣間見える。
会話はできる。
という彼女が言ったことが分かる気がする。
だが。
「こっちは、約束だ!それは、出来ない。俺は彼女を裏切ることはしない」
約束は最後まで果たす。
彼女が俺を拒絶し否定するまで。
いや、拒絶されようとも。
俺は彼女の手助けをしたい。
俺を助けてくれたのだから。
「裏切ることはない。
そもそも、
独善的に人間を庇護対象として視ているだけだ。到来するのは破滅という形にすぎない」
「……違う。おまえらには、分からないだけだ」
俺自身、
だから、本当のところ、分からない。
だが、そのことが本当にそうだとしても。
助けてくれた。
俺とも話して、ちゃんと守ってくれたのだ。
そこに感謝をしたら。
見捨てることなんてできるはずがないだろ。
───銃を構える。
「───ほぅ。それは隠しておくのが、セオリーではないのか?闇討ちならば、気休めにはなったかもしれんぞ」
振り返ることはせず。
銃は構えたが、射つ気はない。
ただ、決意を心に灯すため。
約束を信じるため。
「俺は──」
彼女から貰った銃を強く握りしめる。
貰ったときの言葉を思い出す。
「俺たちは──絶対─生きて、約束を果たす─!」
セイレイを横目で睨みながら俺はそう言った。
「……。……よくぞ……良くぞ!言った!
───称賛しよう!
君は数在る人間性の中でも価値がある人間だ…。
怯まず、無謀だとも理解しながら挑む。
我は君が好きだ!
さて、しまった。食欲が失せてしまったぞ」
巨大な腕を広げ。
いきなり、大声を上げてセイレイは、よく分からないことを俺に対して叫ぶ。
そうして、いつのまにか。
セイレイの威圧感は消えていた。
「有無。…だが。
故に……此処で消えるのが最善ぞ」
前言撤回だ。
全く分からない。
このセイレイは話が通じない。
最悪とか最善とか。
誰が決めた。
「……できないと言っただろ」
「そうか───残念だ」
その言葉を合図に、辺りが真空パックされたみたいに空気が奪われる。
いや、自分がセイレイの、あまりの威圧感に呼吸が出来なくなっているだけだ。
セイレイが指を上げる。
あれは、さっきの屋上を切った行動に似ていた。
──白い閃光が放たれた。
一面の白色に世界が変わる。
瞳は白の中。
迫る無色の怪物の牙。
光は、届くものだ。
どこまでも、どこまでも。
獣ように、喰らいつく。
飲み込まれた。
ただ、その真っ白いなにもないところに消化される。
きっと、そうして、もう、なにも、ヒカリが、
みえなくなるだろう。
そう思った。
彼女が渡した、盾が閃光を弾くまで。
「忘れていたぞ。イージスの盾。有りと有らゆるモノを防ぐという神代の防具。アイギスとも呼ばれていたか」
イージス?アイギス?の盾は閃光を弾いた後、役目を終えたのか霧となって蒸発した。
失くなった盾は、神話の防具なのか?
そんな代物を彼女は造ったのか?
一体、精霊ってなんなんだよ。
もっと、詳しく教えてほしい。
「ならば…」
──寒い?
大気が固まり、冷気が侵食する。
周りの熱が一気に吸われていくような…感覚に近い。
冷凍庫の中に放り込まれたようだ。
「あ──」
まずい。
身体の感覚が鈍くなってきた。
これでは、動けない。息も白い。
「無粋だったぞ。半人前の人間程度には、これで事は済む。…赦せ、君よ」
「──」
視界が役に立たなくなってきた。
冬眠するみたいに、緩やかに意識が沈んでいく。
あぁ、遅かった。
声をかけられたとき。
振り切って、逃げられていたら変わっていたかもしれない。
「どうなってる──?」
遠くから微かに誰かの声が聞こえる。
そんな、幻聴に耳を傾けると。
「何故、担がれてるのかは知らないが。
そこの人間!その場を動くな!」
ガタガタの意識をくぐり抜けて、凛とした声が届いた。
──刹那。
嵐の中のような突風で急激な寒さが霧散する。
視界が戻ると。
目の前には、届かないほど大きな背中があった。
脇には、銃刀法違反で捕まる刀の鞘が見える。
背丈は俺と変わらないが、大きく見えた。
彼女と同じように、強くて大きい背中。
また、守れた。
安心してしまった。
それが情けないと、感じてしまう。
「………ほぅ。半端者がまた一人増えたか。其れほどにこの街──否」
セイレイは攻撃を止め。
目の前の何者かに、話しかける。
「半端者は、おまえも同じだろ?
天災の星霊 ブァームベン・クロームスフィア」
「吠えるようになったな。
人の
「庇護した思いはない。
ただ、そこの精霊と一緒にいたという事実があっただけだ」
「……ふむ。幾年ぶりか。随分変化したな、小僧。
では、では。────。
……と、喰らうのは勿体ない。
やはり、つまみ喰いはいかんな」
セイレイは、笑う。
その含みのある笑いは、何かを警告しているようにも感じた。
「では──又。─────相まみえようぞ」
そう言うと、白い光を放ち空へ飛ぶ。
見上げたときには、姿はなかった。
「人間……。すまない」
振り返えると、助けてくれた男はそう謝った。
「もう少々早く気づいていれば、キミを巻き込むこともなかった。申し訳なかった」
二度。
その男はもう暗くなった空にそう嘆いた。
「いえ。助けてくれた貴方が謝ることはないです。巻き込まれた方が、悪い、ですから」
辺りが暗く、光もない性か。
顔も分からない。
唯一分かることがあるとすれば、おそらく人間ではないことだけ。
そして、星霊と敵対関係のようだったから、精霊の方だと予想する。
「そうか。身体は大丈夫か──」
心配したのか、近いてくる。
カッカッとブーツでも履いてるのか、ぶれない足音が鮮明に響く。
優しい人だ。
いや、優しい精霊か。
「な…」
精霊?
は、あと数歩というところで立ち止まる。
そこでようやく、顔が見えた。
髪は、白髪で耳くらいの長さでかかっている。
さらさらとしている髪をしているが、少し癖があるのか左側に寄っていた。
顔は、どこにでもいそうな顔。
でも、眼は切れ長で怖い。
眼だけで人を殺せそう。
瞳は、赤みがかっている。
赤といっても、朱色に近い瞳は、兎から獣性が解放された優しい眼でもあると感じた。
羽織っている、コートは夜の暗闇より黒く、固く揺れている。
ちょっと大きいと思う。
そういうチョイスは変わらないなと、しみじみ思った。
「──くっ。よりにもよってか…」
自虐的に精霊は囁く。
俯いた視線を上げ、自分に担がれている彼女を見つめる。
その眼は、もっときついものになっていた。
「その精霊は、オレが預かる。
心配はしなくていい。
キミはいつも通りの日常に戻るんだ。それがいい」
語りかける声は、やっぱり優しかった。
この精霊?なら大丈夫だろうと、彼女を渡そうとしたとき。
「………なきゃ。──さなきゃ」
彼女から、苦しそうな声が洩れた。
強く、鷲掴みに制服の襟を掴まれる。
息が荒く、穏やかな呼吸を自ら放棄してる。
「いっ」
だんだんと、掴まれていく強さが増してきた。
少し、痛くて苦しい。
だから、落ち着かせようと掴んでいる手を引きはがそうと、試みる。
だが、いくら力をいれて引きはがそうとしても、離れない。
まるで───そのまま首を絞められて。
あっさり殺されるんじゃないかと思うほどに。
「ろさなきゃ。
───殺さなきゃ。
殺さなきゃ。
殺さなきゃ。
殺さなきゃ。
───────ワタシが、殺さなきゃ───」
───覚悟した。
「それは、駄目だ──」
諭すように、信じるように。
優しい精霊は、彼女の手にそっと自分の手を置いた。
彼女の手と精霊の手が、触れたとき。
淡く、緩やかに小さな光が灯る。
息をふきかければ、消えそうな光が眩しくて仕方ない。
夜だからか、あのセイレイの光を見たからなのか。
この光は、とても心を落ち着かせた。
襟を掴む手は、しだいに緩まり。
スースーと、彼女は寝息をたてる。
「じゃあ、彼女は任せて。
キミは…──そうだ。
この学舎の保健室に行ってみるといい。
身体のけがをしっかり見てもらえるオレの仲間がそこにきている。
キミのけがは、ほっとくと後々面倒なようだ」
それじゃあ。
と言って彼女をヒョイと担ぎ上げて、人間じゃ、あり得ない跳躍をして何処かに行ってしまった。
本当に独りで任せてよかったのだろうか。
「はっ──」
思った以上に、疲労が激しく。
節々が痛くて身体が悲鳴を上げている。
彼女が渡してくれた、銃も未だ持ったまま。
根性で、ぎりぎり落とさずに握る。
身体は、階段を降りるので、やっとだ。
これじゃあ、彼女を運ぶことなんて出来ていなかったはず。
なんとも情けないことだけど、安心している自分もいた。
もう、雨の音さえ耳に入ってこない。
心臓の音だけが、執拗に頭に残る。
手すりを使い、ふらつきながら保健室前まで着くと、話し声が微かに届く。
「───さまは、ま──をして、───じゃ?」
「───。し────よ。いま───だな」
「だか─、──って言───や──!」
誰かいるのか、明かりがついていた。
ドアに、意地でも張り付き。
開こうと力を入れる。
けれど、開いた瞬間に意識が落ちていく。
なにも発することなく、身体が棒きれになったかのように、倒れた。
硬い地面に落ちた感触は、意識が消えかけているからか、しなかった。
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