第99話 辺境領主連合②

 しかし残った三名の領主にはやるべきことが山積していた。

 午後からランベットの領主屋敷に再集結して話し合いを再開することになった。


 事ここに至り、レンスヘルとリンメイラはようやく殆ど全ての情報をランベットに明かした。


 マサミツが貸与するという星の牙アステリナーヴの戦力がどれほど強大なのかをレンスヘルが数値化して開示すると、ランベットはさすがに呻き声を漏らした。


「これでも少なめの見積もりだというのか?」


 ランベットの問いかけにはレンスヘルが答えた。


「はい。星の牙アステリナーヴの他に、マサミツさんが可愛がっている猫がいます。この猫、名前を『海ちゃん』というのですが、その直下に数多の猫がいるのです。いずれも普通の家猫ではなく、私がこの目で確認した限りでは凶獣のオオカミヴートルを単独討伐していました。これだけでも一頭で討伐隊十名近くに相当しますが、残念ながら見積もりには加えることができないのですよ」


 レンスヘルは目を伏せて言いにくそうに語った。


「猫の星の牙アステリナーヴというべき存在なんですが、いったい何頭いるのか、あるいは何処に居るのか、まったくわからないのです。マサミツさんも把握できないらしく困ってました。五、六十頭くらいまでは覚えていたそうですが、今は数百頭に上るのではないかとも言ってましたが」


 絶句するランベット。


「この猫たちについて説明しますと……そうですね。ここアイアットを例にしますと今のアイアットには敵性勢力と呼べる連中が一人もおりません。猫たちがそういう連中を完全に排除したからでして、実はハーキムやライオクも同様の状況となってます。町の中に昔から住んでいた猫たちも仲間に加わっており、妙な輩が侵入してもすぐに放逐しているそうです。ですから猫が見張っている拠点には、密偵や暗殺者が忍び込むことも潜むことも不可能となってます」


「……は?」


「そういうわけで、猫たちの数がわからないという理由だけでなく、こういう守りの猫も戦力として換算してよいかという根本的な疑問があるのです。さらに町の外の『猫に近しい凶獣』は人の住む場所から離れて暮らすようになりました。これは凶獣を討伐できるリーダー格の猫が拠点には数頭常駐しておりまして、人を襲わないように説得した結果だそうです」


「……せ、説得?」


「ええ、説得できない猫族以外の大型凶獣については、追い払うか駆除しているらしいです。あとですね、拠点で暮らす猫たちとは別に、縄張りを広げようと大陸中を走り回っている猫も多数いるそうです。これも戦力として数えるわけにいかないでしょう」


「い、いったい……その猫たちは何のためにそんなことを?」


「ははは……私も同じことをマサミツさんに聞いたんですけどね。笑って答えてくれませんでした」


 レンスヘルは頭を掻きながら微笑んだ。


「ただですね、私の元にはマサミツさんが遣わしてくれたハチという猫くんがいて、よく観察して判ったのですが、彼は我々の会話を理解してました。人語を間違いなく聞き分けて行動を起こすほどの知力があるのです。かなり正解に近いと思う推測なんですが、マサミツさんから仲間だと信用された人の身の安全を計り、願いを叶えるように行動しているだけではないでしょうかね」


 話を聞いていたランベットは、しばらくの沈黙のあと何かを振り切るように話し始めた。


「……信じ難い話ではあるが、私を引っかけているわけではなさそうだな。わかった、信じるよ。信じないわけにはいかないじゃないか。あのマサミツ殿がその猫たちの元締めなんだろう? それが数百頭もいる? もう驚くのは止めだ。数千人規模に相当する兵力が辺境で満遍なく自衛活動を展開しているのと同じってことだな。つまり我々は現在、猫たちのお陰でかつてないほど安全な状況にあって機密が漏洩する恐れもなく、領民の生命が危険にさらされることもない。そういうことだな?」


 この問いにはレンスヘルが答える前にリンメイラが代わりに答えた。


「ええ、そのご理解で宜しいかと。それとランベット様。最新の情報をお伝えしますわ」


「最新の、か。……できるだけ穏便に頼むよ」


「目下のところ、海ちゃんの勢力は辺境全域に及んでいます。それとは別に中央領主の領地にも偵察の網が広がってますわ。実は先日ベンドマイン領がウェイオン国からの侵攻を受けて大変でしたの。幸い、最愛の夫がこれを阻止してくれたのですが、残党が中央領主側に逃げ込んでいる可能性があって、猫ちゃんの一団が逃亡先を見つけようと張り切っているみたいですわ」


「穏便にと言ってる傍から次々と放り込んできたな……もはや聞き返すのも馬鹿らしいんだが一応確認させてくれ。その猫たちの行動内容は貴女が把握していて、ウェイオンの残党が見つかるのも時間の問題だということかな? その結果、中央領主の支配域にまで猫たちの捜索範囲は広がっているということでよいか?」


「その通りです、ランベット様。もしかすると中央領主たちの領都も猫ちゃんたちが支配域なわばりにしてしまうかもしれませんわね、うふふ……」


 リンメイラの謎めいた笑いにランベットもつられて苦笑いを浮かべた。


「なるほど。もう障害になるものは何もないということだな。他に隠していることはないか? これ以上何か出てきても私にはどうしようもないと思ってくれ。……ないならば奴らが仰天するほど大胆にやってしまうのが最善手だと思うのだが二人はどう考えているんだ? まあ、そのつもりで話をしていたのだろうがね」



 そして、ランベットは当初の規模を変更して最大限にまで広げること、つまり全辺境地域の全領主を対象にするべきだと言った。これもまたリンメイラの狙い通りの展開だった。


 すぐに文官、武官を問わず官吏のほぼ全員をアイゼルに呼び寄せることになった。最低限の人員は自領に残さないとまずいが、これから予想される建国までの長い道のりを余裕をもって歩むことはまず無理だと思われたのだ。


 先んじてリンメイラたちの官吏一行がすでにこちらに向かっていると聞いて、ランベットは再び「はあ」と息を吐いた。


「貴女の用意周到さは私の上をいく。味方でよかったよ」


「それを言うなら私の最愛の夫に認められたことを誇ってくださいな。あの人が動かなければこの話は最初からなかったのですから」


「ほう……この領主連合はマサミツ殿の発案なのか? 彼はすごいな、あれほどの知恵者をどこで見染めたのだ?」


「うふふ……そんなことは後でもいいでしょう? それより準備することはまだまだたくさんあるのですよ。のんびり構えている暇はありませんわ」


 これから新国家の政治、経済、軍事について討議し決定しなくてはいけないのだ。優秀な人材をとにかく搔き集めて人手を増やすしかなかった。


 子領になる中小領主にも協力を要請することになった。


「しばらくの間、大人数が寄り合って使えるような建物があるといいかしらね」


 翌日に再来訪したマサミツは、この妻の何気ない一言だけで巨大な講堂を一晩で建ててしまった。ここに集まる頭脳集団が共に寝起しながら集中して取り組める施設である。宿泊や会議が可能なように作られていた。


 その建物の中へどこからともなく現れた沢山の猫たちが食料をどんどん置いていく姿があった。

 しばらくして料理や宿泊施設の運営が出来る者の募集が開始された。

 こうして目的を遂行するための大掛かりな環境が急ピッチで整えられていった。


 その後の数十日間、およそ三か月ほどかけて、連合の一員となる領主とその文官や武官、彼らからの推薦を受けた有能な領民たちが集まって、建国のための協議に途方もない時間を費やすこととなった。


 それは国という新たな統治の仕組みを作り上げるために通らねばならない茨の道だった。

 領主連合国家という形態で初めての国造りに取り組むのは、この世界に人々にとってはハードルが高かったのだ。

 全領主家の頭脳を搔き集めてなお、浮かび上がる問題の解決策を見出すのが難しく、苦闘の日々連続となったのはやむを得ないだろう。


 しかし長年にわたる中央領主たちの非道な所業には誰もが腹に据えかねており、恨みつらみが抑えきれないほど鬱積していたことが彼らの意欲と使命感を支え続けた。


 中央支配への恨みを一気に晴らせるとあれば多少の無理も厭わず、寝る間も惜しんで官吏たちは考え、討論し、成果を纏めていった。


 参加したある高級文官が後になって当時をこう回想した。


 一種異様な熱を帯びた集団が怒号飛び交う中で同じ時間を共有し同じ目標に向けて突き進んだ。修羅場の幽鬼が肩を組んで目的地へ行軍しているようだったと。


 こうして連合国家の大筋が固まると、参加の是非を中小領主へ問う説明会を開始することになった。

 これにはリンメイラが積極的に動いた。

 中小零細領主らの参加こそが建国の要と睨んでいたからだ。


 招きに応えてアイアットを訪れた各地の辺境領主や集落のリーダーたちは、リンメイラに付き添う星の牙アステリナーヴを間近で紹介されて腰を抜かした。

 さらに領都の外の訓練場に連れていかれ、七頭勢揃いの星の牙アステリナーヴを前にして魂まで抜かれたようになった。


 最後に訓練場を出たところで、メイディアーマとアネシスが凶獣ナサロックを仕留める様子を見せた。この凶獣は少し離れたところを縄張りにしていた個体で、猫部隊が発見して追い立てて連れてきたものだった。


 一本角の狂暴なサイがあっという間に倒されたのを目の当たりにした途端、それまで毒気が抜かれたようだった領主たちの目つき顔つきが一変した。


 それをリンメイラは見逃さなかった。

 扇で口元を隠し、満足げに微笑みを浮かべていた。


 その後は領都アイアットに戻って、連合国家の政治と経済について丁寧に説明した。翌日は領主らが検討する時間が必要であろうと自由行動にしておいた。


 三日目の昼。

 最終的な参加の意思を問われたときに連合の誘いを断る領主は一人もいなかった。


 念のため、改めて今回の建国の最大の狙いが中央領主との対決、その排除と領地の奪還であると聞かされてもその意思は変わらなかった。


 星の牙アステリナーヴであれば凶獣を討伐できると証明したからだ。

 

 辺境で生きる人の一番の脅威が凶獣なのだ。


 完全に、とまで言わずとも危険性を大幅に排除できるとあれば、領民の命を守る立場の彼らがこの申し出を断る選択肢はありえなかったのだ。


 たとえ、辺境を蹂躙しかねない中央領主との全面対決が待っていても、今日死ぬか明日死ぬかと怯る領民をまずは救う必要がある。それが辺境弱者たちを保護する領主の共通した考え方だった。


 誰一人として星の牙アステリナーヴと凶獣の違いを正しくは理解できていなかった。

 しかし少なくとも、凶獣の脅威を減らす決め手になると判断したのである。



「メイはそれが分ってたから、ちょっと強引にメイディアーマとアネシスに凶獣討伐を実演させてみせたんでしょ? 十分な成果だと思うよ」


 さらに数十日が経っていた。

 正式な建国宣言の準備がすべて完了した夜のことである。

 マサミツとリンメイラは領都アイアットの空いていた屋敷を借り受けて寛いでいた。

 三か月にわたって集まっていた各地の領主と官吏たちはすでに自領に帰っていった。アイアットに留まっているのはリンメイラくらいだ。レンスヘルも昨日のうちにハーキムへ戻るためここを発っている。


 中小領主たちの参加の意思を取り付けるために敷いた妻の作戦を、マサミツが思い出して褒めているところである。


 リンメイラは少し物足りそうに頷いた。


「うん、でもね。やっぱりメイディたち星の牙アステリナーヴが私たちの仲間なんだって分かって欲しかったわ。見た目だって全然違うじゃない? こんなに愛らしいのに凶獣って呼ばれたりしたら悲しいわ」


 ぎゃう!


 話を聞いて理解したのか、メイディアーマが頬を摺り寄せた。

 ほぼ同時に、猫の踏み踏み隊がわらわらと姿を現してリンメイラの膝の上に乗り、乗り切れない子が周囲をぐるりと囲ってしきりに横になれとばかりに手を出して引っ張った。


 リンメイラはいそいそとマサミツの膝枕に頭をのせて横になる。

 するとすぐに猫たちの癒しのフミフミが始まった。


「お疲れ様、メイ。あとは僕に任せてゆっくり休んでおいてね。中央領主たちの動きは僕と海が完全に把握できているから何も心配いらないよ」


 マサミツは妻の髪を撫でながら労った。


 建国の宣言は数日のうちに中央領主たちの下に届くだろう。


 それが決戦への火蓋を切るはずだ。



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