第15話 被毒と被呪

(変ね。血が止まらない。それになんだか身体が重いわ)


 デト・ティグラが倒したばかりの「狂い熊」の遺骸の横で、海ちゃんはペロペロと自分の傷口を舐めていた。立っていられないほどの倦怠感があった。


「狂い熊」からは黒い靄は消え失せて嫌な感じもなくなったというのに、海ちゃんは自分がどんどん弱っていると思った。


(海さま。なにかおかしいです。力が抜けていく……)


 デト・ティグラもまた自分の異常に気が付いた。


(ボス! それは毒だ! まずいぜ、なんとかしないと!)


(毒? 「狂い熊」の?)


(ああ、「狂い熊」からどうにか逃げられても毒で死んでしまうんだ。俺もずっと前に死にかけたことがある!)


 ハチが慌てている。


 海ちゃんは傷から毒がはいったらしい。あの熊の爪は毒手だったようだ。

 デト・ティグラは、おそらく喉を食いちぎったときに毒の血を口にしたせいだろう。


(ハチ、お前はどうやって助かったの?)


(わからない。毒にやられてじっと死ぬのを待つしかなかった。何日も苦しんだけれど意識が戻ったときは毒が消えていたんだ)


 ハチ自身は知らないが彼には毒に対して生まれながらの耐性があった。それで辛うじて命を繋ぐことができた。


(ハチ、お前はきっと幸運の持ち主なのね)


 海ちゃんはしばらく考えてからハチに命じた。


(マサミツをここへ連れてきて。お前のことは知らないはずだけど、なんとかお願いするの。諦めないでお願いするのよ? マサミツは優しいから必ずわかってくれる)


(ボス! まさかこのまま死んでしまうのか!?)


(マサミツを置いて死ぬもんですか。お前が間に合えばわたしたちをきっとマサミツが助けてくれる。ぜったいに)


 海ちゃんはそう言ったものの


 ── わたしはともかく、彼女は間に合わないかもしれない。


 海ちゃんの傍らまでふらふらと歩いてきたデト・ティグラを見て思った。

 苦しそうな荒い息。気怠そうに伏して目を閉じた。

 静かにしてなんとか回復を待つしかない。自然に身を委ねる生物の本能に従っている。


 海ちゃんは自分の体力にまだ余裕があるのを判っていた。

 少しずつ弱っているけれど、半日以上は生き延びられると思う。

 でも美しきホワイトタイガーにそれほどの生命力はないようだ。


 ── ああ。お願い! マサミツ、彼女を助けてあげて!


 ハチが嬉野コーポへ駆け出した後ろ姿を見送った次の瞬間だった。


「海! 海!」


 聞きたくてたまらなかった声が届いた。


「海! 無事か! がんばれ!」


 木々の間を抜けて駆けてくるマサミツの姿を見て海ちゃんは喜びの声を上げた!



 みゃああああああ!



 ■□■□■□■□



 地図を作り始めた日から、マサミツは視界の隅っこに小さく光る点がいつのまにか見えるのに気が付いた。

 白い点と青い点が常に光っている。緑の点は時々現れては消える。


 なんだろうと思ってしばらく観察を続けていたら想像がついた。


 白いのはマサミツ。青いのは海ちゃん。緑は海ちゃんのそばにいる仲間の位置。


 朝マサミツが採集に出かけると青い点との距離が離れていく。帰りは近づく。


 夜ふと目を覚まして青い点の位置を確かめるとずいぶんと離れた場所を移動している。きっと海ちゃんがパトロールしてるのだと思った。


 部屋の中でくつろいでいると緑の点がすぐそばで光るのでそっと冷蔵庫の後ろをのぞいたら鉢割れの猫がグーグー寝ていて思わず微笑んでしまった。


 そして今日、夜半に目が覚めて海ちゃんの位置を見た。


 今までにない遠く離れた場所に青い点。緑の点がそのそばに二つ。


 少し離れて、見慣れない真っ赤に光る大きな点があった。


 胸騒ぎがした。

 マサミツは採集で使う装備を身に着けて嬉野コーポを飛び出した。


 ここ数日のフィールドワークを通して、体力や運動能力が地球にいた時より格段に向上しているのを体感している。ギフトとスキルのおかげだと思う。

 そして夜の帳が下りる森の中へ飛び込んでも視界ははっきりしていた。


 嬉野コーポの周りで待機していたマサミツの護衛当番たちは、あっという間に走り出すマサミツに驚いた。平時は八頭で周囲の索敵と排除をしているけれど、夜中にマサミツを護衛するのは初めてだった。

 しかもいつものんびりと採集しながら探検していたのに、今夜は猫族もびっくりするほどの速さで走り出したのだ。


 海ファミリーは大騒ぎになった。

 マサミツを見失ったら大変である。

 怪我でもしたらどうなるのか恐ろしくて考えたくもない。

 最強の呼び声の高かった白いアスファルが護衛に失敗して、とぼとぼと歩いていたのを皆が見て知っている。


 縄張り中の猫族が勢ぞろいしてマサミツのあとを追うことになった。

 そうやって一時間ほどでマサミツは目的の場所に到着し、続いて海ファミリーが背後の森の中に潜んで周囲の安全を確保した。



 ■□■□■□■□



「海! うわ、ひどい怪我だ。しっかりするんだ」


 脇腹の傷から血が流れ出ているのがすぐに分かった。

 海ちゃんを膝にのせて丁寧に身体を調べ始めた。


 すぐに調べ終わって、目に見える傷は一か所だけだとわかった。

 ただ全身が血にまみれていて泥や土に汚れている。

 そして元気がない。


 みゃうううう


 海ちゃんが鳴いた。


「そっちを先に?」


 海ちゃんの視線の先に、数日前マサミツを大きなタカから守ってくれたホワイトタイガーが横たわっていた。


「きみは、海の友達だったのか」



 マサミツの声が聞こえているのか、耳をピクピクと動かしたけれど眼を固く閉じてじっとしたまま動かない。口の周りが血だらけな以外は外傷はないようだ。

 それにしては海ちゃんよりも具合が悪そうだった。


 首をかしげてマサミツは状態を確認しようと意識を集中させる。



 種族  デト・ティグラ(アスファル)

 説明  地球のベンガルトラ。白変種はホワイトタイガーとも呼ばれる。

    肉食。危険種。

 状態  被毒(凝固阻害性致死毒、溶血性致死毒)



「いけない! これは駄目なやつだ! すぐ解毒しないと死んでしまう!」


 マサミツは以前のような戸惑いも迷いもなく、祝福の名前とともにホワイトタイガーの解毒と治療を即座にお願いする。


 ―― ベネディクションクリスファウの祝福


 ぼうっと白い身体が淡い光に覆われた。

 全身から黒い毒の煙みたいなものが立ち上って消えた。


 ゆっくりと目を開けたホワイトタイガーは、起き上がってぶるぶると身震いをする。

 さっきまでの悪寒や痛み苦しみがきれいに消え去っていた。


「大丈夫? もう苦しくない?」


 マサミツが心配そうに話しかけると、ホワイトタイガーは


 ぐるぐるるるる


 と喉を鳴らした。


 みゃうううううう!


 海ちゃんがそれを見届けて喜んだ。


「次は海の番だよ。その傷はちょっと変な気がするから診察するよ」


 ちりりん♪


 名前  海ちゃん

 種族  ロシアンブルー

 状態  被毒(凝固阻害性致死毒、溶血性致死毒)

    被呪(衰弱、自然治癒阻害)



「海! 大変だ! 呪われてる! 毒も! すぐ治すからね!」



 驚いたマサミツが祝福の名を告げる。

 願いは海ちゃんの解毒と解呪と治癒だ。


 ―― ベネディクションクリスファウの祝福



 強い光が海ちゃんを包み込んだ。

 真っ黒な靄が海ちゃんの身体から押し出されていくのが見えた。

 光が消えるとすぐに海ちゃんが体を起こしてマサミツの腕にすりすりを始めた。

 ケガもきれいに治っている。それどころか毛も元通りで汚れもとれてツヤツヤの毛並みである。


 念のためもう一度診察してみたら毒も呪いも表示が消えていた。



 みゃうん


「どういたしまして」


 ほっとしたマサミツは、やっと周囲を確認する余裕ができた。


 夜目がきくとはいっても真夜中だ。

 なんか小山のような黒い物体があるなと思って目を凝らしてみたら、巨大な熊の死骸だと気が付いて絶句した。


「海、まさかこれと戦ってたの?」


 みゃうう!


「それに海、なんか身体が大きくなって雰囲気が少し変わった気がするんだけど……」


 海ちゃんを持ち上げて、だらーんと伸びた姿にマサミツは呟いた。


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