第14話 激闘


 仁王立ちの「狂い熊」に対して海ちゃんは、今までの戦いと同じように猫足から猫パンチの連続攻撃を仕掛けた。


 もちろん全力手加減なしである。


 デト・ティグラの牙を弾いた黒い霧の中へ潜り込むように、海ちゃんが猫足で接近して一気にジャンプする。

「狂い熊」が気が付いたときには、海ちゃんの猫パンチ(右)が頬に叩きつけられていた。


 どごーん!


 巨体が大きく反対側へ揺らいだ。


 黒い霧には阻まれなかったが、地毛自体が固くてそれほど効いていないようだった。

 すかさず踵を返して飛び上がり、猫パンチ(左)をお見舞いする。

 カウンター気味のパンチがこめかみの辺りに決まる。


 どがっ!


 さっきより鈍い音がした。

 今度はちょっと効いたかもしれない。

「狂い熊」が吹っ飛ばされるように宙に浮いたが、すぐに態勢を立て直す。


 ぐうおぅぅぅぅ!


 憎々し気な咆哮を上げるのを海ちゃんは冷静に観察していた。


(森の動物たちとは比べ物にならないほど頑丈ね)


 海ちゃんがこれまで叩きのめしてきた中で強いと感じたのは二頭だけだった。

 この場にいるデト・ティグラが筆頭、その次がレーヴェ(ライオン系)の群れを率いていた雄の個体である。


 それ以外は、海ちゃんから見ればほとんど同じだった。


 逆に言えばこの二頭だけが力も知恵も抜きんでていたということだ。

 危険種の中でも「デト」を冠する強力な個体の中のナンバーワンとナンバーツーである。


 そして「狂い熊」はその倍は強いというのが海ちゃんの見立てだ。

 ただ、その強さの理由の大部分が纏っている黒い霧にあると感じた。


(あの黒いモヤモヤに触れるとピリピリする。きっと身体によくないもの。あれで身を守っているのかしら)


 今度は「狂い熊」が攻撃してきた。


(速い! こんなに大きいのに私と同じくらい早く動けるのね!)


「狂い熊」の大きな手爪が海ちゃんがいる場所を正確に薙いだ。

 わずかな差で避けたが、避けた先にも容赦なく次々と襲ってくる。


 海ちゃんは残像でしか見えない速さで動き回っているのだけれど「狂い熊」はその動きをしっかり捉えて攻撃も正確に繰り出している。


(う! なんてこと!)


 海ちゃんの脇腹に「狂い熊」の爪が掠った。


 大きく後方へ飛び、さらに二度後ろへ下がった。

 そして猫足を使って動きを認識できないようにする。


 脇腹に細い切り傷が出来ていた。

 赤い血がツーっと流れ、美しい毛並みから滴り落ちていた。

 この世界にきて初めて負った傷だ。


これ「狂い熊」に好きなようにさせると危ないわ。こっちから攻撃をしないといずれ負けちゃう)


(ボス!)

(海さま!!)


 傷口をペロペロ舐めはじめた海ちゃんにハチたちは心配になった。

 こんな姿は初めて見たのだ。


(大丈夫よ。それよりもう少し離れていたほうがいいわよ。わたしも少し暴れるから)


(え!?)

(ええ!?)


 今までのは暴れてるっていわないの? と思ったけど口には出さないでおいた。



 標的の姿を見失った「狂い熊」が辺りを嗅ぎまわっている。


 海ちゃんは猫足のまま再びジャンプした。

 今度は「狂い熊」の右腕に向かって。

 そして猫パンチをせずに前足でその太い腕に爪を立てしがみつく。



 スキル「猫キック」

 相手が気が付かないうちに後足のキックを連続で繰り出す。

 前足で捕まえた相手だと猫パンチより強力、にゃ。



 海ちゃんの両後脚が分厚い毛の上から全力の蹴りを叩き込んだ。

 それも一瞬で二十発連続。


 ぐごぉき!


(あ、折れた?)

(ええ、折れましたね)


 ハチたちは信じられない光景に唖然としていた。


 ぐおおおおぉぉぉ!


「狂い熊」が痛みに絶叫する。

 折れたというよりぷらんぷらんしている。

 右腕が千切れそうといったほうが正しいようだ。


 海ちゃんはお構いなしにそのまま左腕へ飛びついて、再び猫キック二十連発。


 べぐきっ!


(また、折れた!)

(両方折れちゃいましたね)


 全力の猫キック二十連は、骨どころか筋肉や皮までもズタズタに砕いて細切れにしていた。


 これで両腕の攻撃はもうこない。


 いったん「狂い熊」から飛び退いた海ちゃんは、すぐに次の攻撃に移る。


(ここで攻撃を止めると危ない気がする)


 さっき受けた傷から血が流れているのに飛び回った海ちゃんは、さらに傷が広がって自分の血にまみれてしまっている。

 それでも攻撃の手を緩めるつもりはなかった。


 痛みで二本足で立っていられなくなった「狂い熊」は、うずくまって呻いていた。

 息は荒いが赤く血走った両目は戦意が衰えていない。


 敵である海ちゃんの姿をしっかり目で追いかけている。

 何かを狙っているかもしれない。


 実はこの時「狂い熊」は腕の治癒回復を優先していた。

 黒い靄の正体は邪気である。呪いがかかっているが防御と回復ができる。

 このまま時間がたてば再び両腕が復活することになる。


 しかし海ちゃんの姿は「狂い熊」の視界から消える。



 スキル「爪とぎ」

 爪を出して研ぐ。研ぐほどに爪が長く鋭くなる。

 硬いほどよく研げる、にゃ。



 猫足を使って無防備な巨大な背中へ飛び乗った海ちゃんは、硬い毛に爪を立ててとぎ始める。


 ガリリ

 ガリリ…ブチッ

 ガリリ…ブチッ…ブチッ

 グサッ

 グサッ


 三回ほど研ぐと海ちゃんの爪は短くなるどころか二倍ほどの長さとなり、さらにブチブチと分厚い毛の鎧を裂き始めた。明らかに切れ味が増している。


 そしてとうとう毛皮を突き抜けて肉に突き刺さった。


 海ちゃんは広い背中のあちこちで爪とぎをする。

 地道ながらにも何度も繰り返す。

 痛みに悶える「狂い熊」が背中を下にして海ちゃんを押しつぶそうとするまで続けた。


「狂い熊」も血まみれになった。

 海ちゃんのお返しである。


 ハチとデト・ティグラは、「狂い熊」に密着して黒い霧に隠れてしまった海ちゃんが何をしているかはハッキリわからない。


(ボスは何をしてるのか?)

(よく見えませんね……。あの苦しみようはただ事じゃないですけど)


 ようやく海ちゃんの姿が見えたのは、背中をズタズタにされてもだえる「狂い熊」から飛びのいたときだった。


(お前たち、そろそろ準備しておいて。出番が来たら合図するから)


 海ちゃんの指示にデト・ティグラは奮い立った。


 背中の痛みにゴロゴロと仰向けで悶える「狂い熊」。

 それは弱点を敵にさらけ出していることに他ならない。

 立っていれば飛び掛からないといけないが、今は地に倒れているのだ。

 絶好のチャンスである。


 問題は黒いもやか霧のようなものだった。

 これがあるとデト・ティグラの攻撃は通らないようだ。


 海ちゃんの攻撃が効いたせいかかなり薄くなっているが全身の禍々しさは変わらない。硬い毛皮を貫くにはこのもやが邪魔だった。


 海ちゃんが「狂い熊」の首筋あたりに向けて砂を掻くような動作をする。



 スキル「猫砂かけ」

 猫専用認識阻害系スキル「内緒」に含まれるスキルのひとつ。

 気に入らないものを隠したり除去する。

 砂がなくてもいい、にゃ。



 黒いもやが掻き消えていく。

 喉笛あたりがはっきりと見える。


 デト・ティグラはもう感動すら覚えて、その光景を見ていた。


(いいよ、思いっきりやってね)


 合図とともにデト・ティグラの美しい姿が一足飛びに「狂い熊」に迫った。

 迷いなく的に向かう矢のように。


 傷ついた顎の痛みなど知ったことではない。

 これほどのお膳立てをしてくれた海さまボスの気持ちに応えられるなら死んでもいい。


 デト・ティグラの牙は硬い毛皮を難なく突き抜けた。

 食いついたまま首を振り食いちぎる。

 そして再度食らいつく。食いちぎる。

 食らいつく。食いちぎる。

 食らいつく。食いちぎる。

 食らいつく。食いちぎる。




 デト・ティグラが我に返ったとき「狂い熊」は二度と動かないものになっていた。


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