第13話 狂い熊


 マサミツがオオタカデト・サクルに襲われながらも無事生還して、五日が経った。


 この五日間、マサミツは拠点嬉野コーポの周囲で採集をしながら手書きのマップを作っていた。まず南に向かったのが初日、翌日は西へ、その翌日は東を調べた。

 朝食後から日が落ちるまでがマサミツの外での活動時間で、その間は海ちゃんは丸くなって寝ている。


 樹々の密生具合、沼地や小川、開けた草地などを書き込み、採れた植物と見かけた動物の種類などもメモしておく。飲める水場や釣りができそうな場所もいくつかあった。

 危険種を見かけたときは名前のほかに大きく「D」と書いた。そして慎重にその場を離れた。

 寝る前に海ちゃんを膝に乗せ、メモを元にして地図にしていった。



 その一方で、毎日マサミツが就寝してから朝にかけて、海ちゃんは物凄い勢いで海ファミリーの縄張りを広げていった。


 マサミツが調査を終えたエリアは、もちろんそれより先に縄張りにしている。

 初日に周囲をぐるりと一周半径五キロメートル程を縄張りにしたあと、その外側に向かって螺旋状に巡り猫族を次々群れの仲間に加えていった。敵対しようと立ちはだかる他の種族は追い払った。


 そうしていたら昨日、とても高い岩の壁が行く手を阻む地点にぶつかった。

 まっすぐ先に進めない。

 海ちゃんは壁沿いを全力で走り続け、一晩近く走って結局元の場所に戻ってきてしまった。

 どうやら海ちゃんたちがいるこの一帯は、岩壁に囲まれているらしい。


 かなり高い岩壁だった。

 海ちゃんは垂直に近い岩壁に爪を立てて登ろうとした。

 でもこれも途中でやめた。

 きっと朝までかかっても登り切れないと思ったからだ。



 そして今日、海ちゃんはハチとホワイトタイガーデト・ティグラを連れて、ある場所に向かっていた。


 実は、岩壁をぐるりと一周している途中で妙な気配がする場所があるのに気が付いたからだ。とても嫌な気配だったので壁から離れて走り抜けたけれど、縄張りの中である以上放っておきたくなかった。


 このことをハチに話したら


(ボス、「狂い熊」だよ、それ)


 と教えてくれた。


(「狂い熊」ってなに?)


(恐ろしい化け物。この森であれだけは敵にしちゃいけない。見つかったら無事にはすまない)


(ふーん、そっか)


(ボス、まさか……?)


(ふふふ)


 海ちゃんはちょっと微笑んだ。


(あの白くて綺麗なトラ姉さん、なんて言ったかな?)


(へ? ああ、アスファルのデト・ティグラかな)


(ハチ、彼女に明日は一緒に来てくれるように頼んでおいてくれる?)


(!)


(彼女、ずいぶん気にしてたから挽回のチャンス必要よね?)


 初日にマサミツが襲われたことを海ちゃんは知っている。

 マサミツが話してくれたから当然だ。


 翌日になって、海ちゃんはジロリと一瞥したあとハチには何も言わなかった。

 けれど、海ちゃんからちょっと離れたところでデト・ティグラが巨体を小さくしてうなだれているのを見て、悟った。


(ばれてるー!)


 自責の念で一杯になったホワイトタイガーデト・ティグラは、ハチの緘口令を破りボス海ちゃんに謝りに来たのだ。


 それ以来ハチは今日まで、針のむしろに座っている気分だった。

 いっそその場で叱られるほうが良かった、と思うくらいに……。


 そして今、デト・ティグラに挽回のチャンスを与えようとしているということは、ハチもまた同じ立場なのだということだ。


(ううう「狂い熊」……。無理、無理。アレだけはダメ……。でもここで逃げたら……)


 もう群れにはいられなくなる。


 ハチは泣きそうになりながらも、海ちゃんに頷くしかなった。




 そして今。

 海ちゃん、ハチ、そしてデト・ティグラの三頭は岩壁にあいた横穴の前に来ていた。

 穴の入り口あたりはそこそこ広い原っぱになっている。

 踏み固められた足跡が森の中と穴の中を往復するように残っていた。


(ここにいるね。嫌いな気配が強い。ものすごくイヤな気配!)


(ボス、「狂い熊」はたぶん寝ているはずですぜ)


(滅多に外に出てこないけれど、ひとたび暴れ始めたら手が付けられない。これまで戦いを挑んだものは、同朋を含め全て退けられています。多くは死んで喰われました)


 ハチとデト・ティグラが説明すると海ちゃんは宣言した。


(「狂い熊」を引き摺り出して倒す! ここは私たちの住む場所! マサミツに危害を与えそうなものはゼッタイ排除!)




 海ちゃんから殺気が放たれた。

 凄まじいの一言に尽きる殺気が横穴の奥へ向けて飛んでいった。


 その余波でハチは危うく昏倒するところだった。

 デト・ティグラは奥歯を噛みしめて耐えた。


 これで反応がなければ海ちゃんは文字通り「中に入って引きずって外に出す」つもりだった。デト・ティグラが戦える場所でないと彼女を連れてきた意味がないからだ。


 ちなみにハチについてはほとんど期待していない。戦力というより罰として怖い思いをさせて許すつもりで連れてきただけだ。

 それでいいのか、ハチ?



 ぐるるるるる


 どしん、どしんと音を立てて「狂い熊」が横穴から姿を現した。



 これまで戦ってきたどんな敵よりも大きい。

 地球の熊など比べるべくもない巨体である。


 何より海ちゃんを警戒させたのは、その全身を纏う禍々しい霧だった。

 汚らしい黒い霧を撒き散らす姿は辛うじて熊の形をしているが、輪郭をぼやかすほどに濃い霧に包まれいて、さらに黒い霧が外に向かって吹き出ているようだった。


 海ちゃんは尾の先まで毛を逆立てて戦闘態勢をとった。


(あ! だめ!)


 止める間もなくデト・ティグラが飛び出していた。


「狂い熊」の姿を見るまではデト・ティグラに戦いを任せて、もしも危ないようなら海ちゃんが助けるつもりだった。


 だけど咄嗟にスキルで強さを計ってデト・ティグラよりも遥かに強いことを察知した。だから攻撃を自分にまかせるように言おうとしたところだった。



「狂い熊」とは三倍以上の体格差がある。

 それをものともせず、デト・ティグラは地を蹴って急所の頸部に牙を向けた。


(あぶない! さがって!)


 遅れて海ちゃんは指示を出すと同時にスキルを発動していた。



 スキル「威嚇フー」

 猫専用認識阻害系スキル「内緒」に含まれるスキルのひとつ。

 「威嚇シャー」の同系統別効果の上級スキル。

 相手の意識を強制的に自分に向けさせ敵と認識させる、にゃ。



 宙を飛んでいたデト・ティグラに襲い掛かった「狂い熊」の鋭そうな爪が、ぴたっと止まる。


 後方から殺気とともに威嚇する海ちゃんに「狂い熊」が標的を変えた。


 勢いに任せて飛ぶデト・ティグラが「狂い熊」の首筋に牙を突き立てた。


 ガン!


 そして目を剥いた。

 自慢の牙が黒い霧に弾かれた。


 その黒い巨体を蹴って海ちゃんの横に着地したデト・ティグラの口から血が流れていた。

 牙が通らないどころか顎にダメージを受けている。デト・ティグラは苦々しい思いで唸った。


(海さま。こやつに攻撃が通りません)


(うん、これの相手は私がするよ。思っていたよりかなり強いからお前たちは下がっててね。合図するまでは身を守っていること)


 ハチたちが距離をとって下がった気配を感じると、海ちゃんは「狂い熊」を睨みつけた。


(やっと全力で戦える!)


(え?!)

(ええ?!)


 ハチもデト・ティグラも、これまで海ちゃんが全力を出していなかったのだと知って思わず驚きの声を上げていた。

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