第9話 祝福の力
マサミツはウサギだったものの燻製肉とブロック状の生肉、毛皮を見て考えていた。
「海、ちょっと離れていて。試してみたいんだ」
立ち上がったマサミツは海ちゃんを自分の背後に座らせて、残った屍骸の全てを意識しながらもう一度、祝福の言葉と欲しいものを思い浮かべてみた。
―― ベネディクション
光の粒が大量に現れて消えた時、そこにはあったのは調理可能な肉、火が通ってすぐにでも食べられそうな肉、なめし終わった毛皮の山だった。
魚はきれいに三枚おろしになっていて、鳥は肉のほかに羽根が一塊となっている。
マサミツが思い浮かべた通りのものが並んでいた。
にゃ! にゃあ!
海ちゃんがびっくりしている。
血液や端肉はどこにもない。欲しいと思ったものに目の前の材料が形を変えて、それ以外は見当たらない。
実は缶詰に入った肉も思い浮かべてていたのだけれど、さすがになかった。
そこにある材料で作れるものだけが現れるのだろう。
マサミツは祝福の魔法のすごさと恐ろしさを同時に感じた。
その直後、混乱した思いに反応したかのように ちりんちりん♪ と心地よい音がした。
マサミツの意識に、これまでの知識とは違った何か別の意識の残滓のようなものが浮かんだ。
<祝福>は
<祝福>は
<祝福>は想いと意思を全うする力。
<祝福>を与えられしは力に値するもの。
<祝福>に躊躇は要らず、危疑は要らず。
<祝福>は想いと意志にのみ従う。
転生前には一度も使ったことのない古めかしい言葉があってその意味を理解するのに時間がかかった。
けれどマサミツには、その根底に流れている「願い」のようなものにすぐ納得したように感じた。
「なぜ僕がここへ来たんだろうと思ってたけど、それは海も関係してるんだね?」
マサミツはしばらくその場で考え込んでから、海ちゃんを抱え上げて膝の上に乗せた。背中の毛を優しく撫でる。
海ちゃんが にゃ! と応える。
「僕が前の世界でやってた仕事を海は知らないと思う。だけど今感じた『願い』の主は知っているみたいだった。海と一緒にここにきたのは海の願いを叶えるためだと思うけど、海の願いも含めて僕の願いも叶うように
マサミツが独り言のように語り掛ける言葉を、海ちゃんが耳をピクピクさせて聞いている。ただ、軽く毛を梳くマサミツの手に目を細めているのでどこまでわかっているのかわからない。
「きっと最初に貰ったこの家と知識や情報を好きに使っていいから、海といっしょに思うように生きてってことなんだろうね」
にゃん、にゃあにゃっ!
うん、そうだよ! と言ってるみたいだ。
それから解体して加工された材料を抱えて冷蔵庫に入れた。
とても入りきらないと思ったけれどなぜか収まってしまった。
これも祝福のおかげなんだろうか?
いや、きっとそうなんだと思うことにした。
食材を片付けているうちに、いつのまにか海ちゃんがキャットタワーのてっぺんで丸くなって寝ていた。それを見たマサミツは自然と微笑んでしまう。
「ちょっと出かけてくるね」
マサミツは森に入ろうと思っていた。
もともと今日はそうする予定だったのだ。
ここがどんな場所なのか何日かに分けて調べてみたい。
しばらくの間ごそごそと荷物を取り出したり、外に出て準備を整えたマサミツは、もう一度海ちゃんの姿を見てから出て行った。
ぱたんと閉じた玄関扉に海ちゃんが頭を上げた。
そして にゃうん と鳴いてからまた目を閉じた。
(ハチ、むれのみんな。マサミツをおねがいね)
◇◆◇◆◇◆
マサミツは森に分け入った。
もらった知識によると、この世界の動物は地球に比べて大きく狂暴なものが多い。
食物連鎖の頂点が人間という点は同じだけれど、人が襲われることも日常的にあるらしい。その脅威の中で生き延びて人間らしい生活を営むことすらなかなか難しい世界だということだ。
物置から持ち出した草刈鎌と、廃材になっていた木の板に取っ手をつけて持ってきた。盾代わりに役に立つかもしれない。何もないより安心だろう。
それとバックパックを背負っている。肉はいっぱい手に入ったけれど植物性の食材がないので集めてみたかったのだ。
「なんだろう。ちょっと楽しいかも」
マサミツはつぶやいていた。
「子供のころの遠足? というか探検みたいだな」
能天気なことを言うマサミツ。
本来ならば。
マサミツが嬉野コーポの敷地から出たとたん、ほんの数分で肉食獣の餌になっていただろう。
今は海ちゃんの縄張り内部なので比較的安全だ。何より海ファミリーがこっそり陰から護衛しているので危険は皆無といっていい。
もちろん指揮をとるのはハチである。
そんなことは何も知らないマサミツは森の雰囲気を確かめながら結構スタスタ歩く。
天気が良くて湿度も温度も快適である。
「日本だったら初夏の一番過ごしやすい時期かな」
時折遠くで聞こえる獣の声を耳にしてもそれほど怖いとは思わない。
マサミツには危険を察知するような力はない。ただ五感による恐怖に対してはそれなりに耐性がある。
これは地球にいたころの経験が大きいのだろう。
マサミツは元・市役所勤務の公務員である。
福祉課で生活保護家族のサポートを行っていた。ケースワーカーという専門職の走りとなる仕事だ。
その所属課や職種内容からは危険な仕事というイメージはないけれど、実務は過酷なものだった。
命の危険や恐怖を覚える場面が幾度もあった。
ある時、薬物でラリった男が包丁を持ち出してマサミツと対峙したことがあった。マサミツは徒手空拳だったけれども、持ってた革鞄で防戦しながら警察に通報し、男の住んでいたアパートから保護対象の母親と娘を助け出したことがあった。
また、違法に生活保護費を受け取っていた暴力団関係者を訪ねて行って、顔面を殴られたり脅されたことも一度や二度ではない。ただ、それが仕事であり、マサミツがやらなくても誰かがやらないといけないのだからと耐えて仕事を続けてきた。
そんなことを若いころに経験したお陰か、大抵のことには動じなくなっている。
もしかしたら祝福のおかげでそういう部分が強化されているのかもしれない。
マサミツは周囲の植生に目を向けながらどんな植物や動物がいるのか丁寧に確認しながら歩いていた。
「あれは柿に似ているけどなんだろう」
頭上の枝に柿の実のようなものがいくつもぶら下がっていた。
ちょっとだけ集中して見る。
名前 ディオス
状態 よく熟れている
説明 地球の柿の実とほぼ同じ。可食。
いつもの青いウィンドウとは違う小さな表示が視界の先に現れた。
「なるほど。祝福のおかげかな。ありがたい情報だ」
マサミツはふと思いついて、両手を掬うように広げた。
そして
――
どさどさっ!
「うわっ」
柿の実が次々とマサミツが広げていた手の中に落ちてきた。
手に入りきらないほどだ。半分近くが地面に落ちてしまった。
「やっぱりそうなんだ。こうしてほしいと思ったことが叶うんだね」
複雑な心境でマサミツは柿をバックパックに入れていった。
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