1章:飢え

 私は「幸せに飢えている」


 表層意識ではなく、潜在意識としてそうなのだ。


 私の実家は山奥のにあるドがつくような田舎。


 鶏小屋の掃除から畑仕事、お風呂を沸かすために薪割りをするなど、セカンドライフとして想像する生活を余すことなくやってきた。


 両親ともに頭でっかちな性格で「これが正しい」と思ったことは、一度も曲げたことがなかった。


 勿論、全てが悪い方向に作用するわけではないし、大きな選択をするときは楽だった。


「両親がこう決めたから」で済むのだから。


 現に高校を卒業するまでの間、お年玉が少ないことと、畑仕事に駆り出されること以外、これといった不満はなかった。


 そんな両親が「手に職をつけろ」と言った。


 前時代的な考えの持主なので「男は仕事、女は家庭」と言い出すと思っていた私は、予想外の答えに喜んだ。


 専業主婦以外の道を選んでもいい。


 それだけで、心の中の私は踊り狂っていただろう。


 大学はどこにする?今から受験勉強頑張らなきゃ!こんなところから通える大学なんてないし、きっと一人暮らし!。


 特別成りたいものはなかったが、何にでも成れるという期待だけが膨れ上がった。


「知り合いのが住んでいる近くに美容師学校がある、そこで2年間住み込みで勉強し、資格を取ってきなさい。」


 その膨れ上がった期待の風船は、すぐに割れた


 大きく膨れ上がった分、爆音が頭の中で鳴り響いた。


 途端、血相を変えて抗議したのはよく覚えている。


 今まで一度も両親に怒鳴ったことなんてなかった。


 自分から、あんな汚い暴言の数々が出るなんて思いもしなかった。


 感情に任せ、ひたすらに、何度も。


 何を言っても覆ることはない。


 なら、これぐらい許されるだろう。


 いくら勉強が苦手な私でも、18年間もあれば脊髄反射で答えられる。


「両親の考えは、覆られい」


 それからの日々は人生で一番辛かった


 両親の知り合いはまったく交友的ではなく、突然転がり込んできた私を「除け者」として扱った。


 考えてみれば当然で、今まで一度もあったことのない「知り合いの娘」。


 両親が無理に頼んで、2年間という期限付きで承諾させたのだろう。


 本人に直接言えなかったところを察するに、両親は恐れられていたのかもしれない。


 初対面の人間に、隠す気のない悪意をぶつけられたのは、人生で初めての経験だった。


 それからの私の扱いは「使用人」。


 朝出かける前に全員分の朝食、帰ってきてからは夕飯の買い出し。


 休日は部屋の掃除からお風呂掃除までこなし、一日たりとも休む暇など与えられなかった。


 友達と遊びに行くときは決まって安いカラオケ。


 遠くへ出掛けるお金も、時間もありはしなかった。


 一刻も早く戻りたい。


 不純な原動力が、勉強嫌いの私に力を与えた。


 その結果、資格は一発で合格。


 やっと帰れる解放感、初めてやりきった達成感が入り混ざり、持っていた紙をぐちゃぐちゃに濡らしたのを覚えている。


 実家へと戻る日。


 思ってもいない感謝を知り合い家族に伝えると、「またいつでも来てね」と涙された。


 絶句した。


 神経を疑った。


 これまで除け者として、侮蔑の視線を向けてきた家族に、恐怖すら感じた。


 両手に荷物を持っていてよかった。


 自然に握られたこぶしの言い訳を、探す手間が省けるのだから。


 それからしばらくして、近所の美容師見習いとして働いていていた。


 接客自体は好きではないが、髪を切っている時はそれだけに集中できるので、楽しかった。


 両親から、縁談の話を持ち掛けられたのは、ちょうど季節が廻った頃だろう。


 内心、「またか」とあきらめつつ、あれよあれよと流されるまま、結婚した。


 結局、あの二年間で取得した資格は、1年後にお役御免。


 私の人生って、何のためにあるんだろう。


 あのままだったら、悪徳宗教に入信し、高いツボを買わされていたかもしれない。


 だが、夫くんとの生活が、私を変えた。


 夫くんはお世辞にも、世間一般の「いい旦那」とは違う。


 パチンコ、競馬、麻雀、飲み会、車、バイク、宝くじ。


 取ってきた給料の半分は、これらの趣味に消えていく。


 ただ、夫は勉強も運動もそつがなくこなせるタイプで、人からも好かれやすい。


 専業主婦である私を抱えつつ、趣味も全うできるぐらいの稼ぎがあったのだ。


 本当、「なんで私と結婚したの?」と思う。


 それでも、確かに「幸せを」を実感していた。


 パチンコで負けた時、「ごめん、負けちゃった!」と、悪いことを許してもらう子供みたいな笑顔が好き。


 子供の頃の嘘のような武勇伝を話し、「あの時の俺、見せたかったな~」と、自慢する無邪気な笑顔が好き。


 バイクの後ろに私を乗せ、わざと怖がらせるようにスピードを上げた後、「あはは、びっくりした?」と、悪戯が成功して嬉しそうに笑う横顔が好き。


 自分はきっと、バカになったんだ。


 少女漫画を読む友達に、「お花畑」と名付けた私が、まるでその名を襲名しゅうめいするかのようだった。


 子宝に恵まれ、夜泣きの権利を振るう毎日を、幸せに感じていた。


 満たされていた。


 飢えなんて、感じる間もないほどに。

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