三章
手に入れたいもの
旅館の仕事をなんとか笑顔でこなす。夜は伯爵としての仕事を片付ける。
それが精一杯だった。
「奥様、お食事はどうなされますか……?」
控えめに聞いてくるメイド。
「ごめんなさい。お茶だけくれる?執務室に頼むわ」
はい。と静かな返事でメイドは下がる。執務室の椅子に座ると目眩がした。しばらく目を閉じた。
でも眠れない。リヴィオがいなくなってからぐっすり眠れた夜なんてない。
「セイラ様、少しでもお食事を召し上がったほうが……」
執事のクロウが入ってきた。心配そうに私を見ている。
「なんだか食欲がないのよ。心配させてごめんなさい」
いいえ、食べたくなったら、いつでも用意しますからとクロウがお茶を置いていく。
熱いお茶を飲む。少しホッとした。
……ホッとしちゃいけない。きっとリヴィオは今、辛い思いしてるのに。私だけこんな……涙がこぼれていく。
心が苦しくて、想いを閉じ込めて、やり過ごそうとしたけど、一人になると無理だった。
ポタポタと涙が琥珀色のお茶の中へ落ちていく。
アイザックは言っていた。私の心は弱いと。『黒猫』を奪ってしまえば私など容易いと。
確かにそうだ。前世のカホの性格が私を強くしてくれたのに……寂しさや孤独にとても弱い。もっと強くなりたいのに。
どうしたら取り戻せるの?取り戻したい。
ふとカホならどうする?と思った。小学生低学年の頃にガキ大将と名を馳せたこともある。仲のいい友達がいじめられたときも仕返しに……いや、やめておこう。
とりあえず平和的解決を目指したい。
あの後、カホはめちゃくちゃ母さんに怒られていたじゃないの?
……そうね。動くわよね?
カホはこんな時、待たないだろう。涙を私は拭う。泣いているだけではダメだ。
カホ、どうか私に強い心を貸してほしい。
立ち上がると、私は空中に向かって言った。
「アオ!お願いがあるわ」
黒龍を呼ぶ。私はなんだって利用してでも彼を取り戻すわよ!
それが神であろうとも!
「な、なんじゃ?」
漆黒の夜のような黒猫が現れた。
「可哀想だとは思うが……シンとリヴィオが決めたことなのじゃ。苦情は聞かぬぞ!」
私はうん。わかってるわ……と頷き、アオと話をした。
早朝、ジーニーとトトとテテとクロウ、アルバート、マリアを呼ぶ。執務室に集まってもらい私は話を切り出す。
「みんなにお願いがあります」
私の声が静かな部屋に響いた。
「これから私はリヴィオを取り戻しに行くわ。だけど最悪、王家への反逆罪に問われたり、追われる身になるかもしれない。このナシュレや温泉旅館、各種事業……もし、何かあったとき、この後のことを頼みたいの」
シンッと静まり返ったままの室内。誰も言葉を発しない。
いつも明るいトトとテテすら口を閉ざしたままだ。マリアは兄のことが心配なのか、泣きたいような顔をしている。
ジーニーが口を開く。その声はとても優しい。
「セイラ、泣きすぎだ……目が腫れてる。そんなにリヴィオがいないとダメか?」
「そうみたい……」
私が無理やり笑ってみせるとジーニーはそうかと頷いた。
「じゃあ、閉じ込められた姫君を助けに行かないとな」
「リヴィオが聞いたら怒るわよ?」
「勝手なことをしたのはあいつだろ?こっちが怒りたい」
ジーニーは本気で少し怒っているようだった。何も私達に話さず、一人で抱えていたことにきっと怒っている。
「何か考えはあるのか?」
「うん。私一人の責任でこれはしたいの。帰って来れない可能性もあるから……みんなにはこの作り上げてきた物を頼みたいのよ。守りたいのよ。ナシュレもリヴィオもみんなも……欲張りでしょ?」
「いいや。セイラらしいよ」
ジーニーが泣き笑いするような表情をした。
「セイラは我らに居場所をくれたのだ」
「変人とか言われていたのに、ここに呼んでくれて……嬉しかったのだ!」
トトとテテが言う。
「お兄様をよろしくお願いいたします。一人にさせないでほしいのですわ」
マリアは深々と頭を下げた。
『お帰りを使用人も領民も全員がお待ちしております』
クロウとアルバートがそう言って、一礼した。
私は最後になるかもしれないナシュレや旅館などを見て回る。
桜は散り際で、風が吹くと花びらが舞う。フワフワと風に舞う花びらを見る。
もう一人の私は強気で負けず嫌いで明るくて前向き。でも恥ずかしがり屋で色んなことに悩む女子高生。
無事に出会えたのかな……?
二人が今、幸せだといいな。
桜の花びらがゆっくりと舞う。時間が一瞬止まり、遠くの記憶まで運んできてくれそうな気がした。
私はリヴィオやシンヤ君がしてくれたことを返したい。
一人になんてさせない!
負けないで……と、どこからか空耳かもしれないが、そんな声が聞こえた気がした。
私は負けない。
またみんなで温泉に入って、美味しい物を食べて、笑っていたいのだ。
日々の幸せを取り戻しに行く!
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