古びた記憶

 貴族の務めにボランティア活動がある。私も伯爵夫人として他の女性達と今日は孤児院のバザーに来ている。


「ナシュレ伯爵夫人、今日はよくおいでくださいました」


 孤児院の院長で優しそうな女性が挨拶する。紺色の質素なドレスを身につけている。


「寄付金や子どもたちへのプレゼントなどありがとうございます」  


「いいえ。少しでも子どもたちの役に立てばと思います」


 私は優雅にドレスの裾を持ち小さくお辞儀した。

 

 バザーの中へ入っていくと、貴婦人達が近寄ってくる。

 

「ナシュレ伯爵夫人、久しぶりですわね」


「桁違いの寄付金に私達のレース編みや刺繍などかすんでしまいますわ」


「奉仕の心は貴族の務めですわよ。貴族になったばかりで大変かもしれませんが、お忘れなく」


 貴族の会話は皮肉まじりで、ルールというものをさり気なく教え込もうとする。苦手な場である。

 

 私は伯爵夫人、私は伯爵夫人……と心の中で何度も唱え、気持ちを抑えて笑顔で答える。


「なかなか活動に参加できず、申し訳なく思いますわ。若輩者のわたくしに貴族の務めをまた教えて頂ければと思います」


「随分、今日は控えめなんですね!」


 私の謙虚な物言いに即座にツッコミいれてきた空気の読めないこの声は……いつもステラ王女と共にいる騎士団のフリッツだった。


 控えめな……って、私はいつも態度がデカいわけではないと思うわ!……たぶん。


「あ、あら?フリッツさん、今日はステラ王女はどうしたんです?」


 扇子を広げて、他の人の手前、言い返したいのを我慢した。


「ステラ王女はレオンさんとラブラブ勉強会です。最近は、見てるこっちが妬けるくらいです。王宮に留まることが増えたので、こうして警備にも来てるんですよ。あっちはジーナさんたちがいますしね」


 要はステラ王女が王宮に大人しくしてるため、仕事がないらしい……。


 キャー!フリッツ様よ!今日、いらしてるなんてツイてるわー!


 空耳?空耳だよね?


 フリッツがニッコリ優しい笑顔で手を振る。もててるの!?しかし本人はまったく気づいていないようで……。


「アハハ!ご婦人方はいつも元気だなぁ!」


 空気を読めない彼は自分のことにも気づかないようだった。その性格ゆえ、ゼイン殿下に目をつけられていじめられたことも多分気づいてはいないだろう。


「そういえば、リヴィオさんは?今日来てないんですか?」


「どこかにはいるわよ」


 護衛に来てるけど、基本的には女性のみの活動なので、庶民の服装でどこかに隠れてると言っていた。


 私はフリッツと離れて、孤児院の子どもたちと遊んだり、バザーの品を眺めたり、他のご婦人方と会話をしたりし、伯爵夫人としての役割を果たそうと試みた。

 

 休憩するため、飲み物をもらい、木陰に用意されている椅子に座る。思いの外、苦手な空気に疲れた。甘酸っぱくて冷たいレモネードが美味しい。


「シン=バシュレの孫娘であるナシュレ伯爵夫人ですかな?」


 背の低い質素な服装のかなり高齢の老人が声をかけてきた。私はええ。そうですと頷く。 


「シン=バシュレが連れて行った二人は元気にやっておりますかな?ゼキは度々噂を耳にしますが……」


「連れて行った二人?ゼキさんはたまにお会いしますけど、とても元気ですよ」


「もう一人、アイザックはどうしてますかな?二人共、この孤児院出身なのです」

 

 私は目を丸くし、驚いてしまった。その様子に老人はおや?と意外そうな声をあげた。


「知りませんでしたかな?二人共、孤児で16歳になるまでしか孤児院には置けず、持て余していた頃にシン=バシュレがきて、連れて行ってしまったのです……連れて行ったというより、着いて行ったというのが正しいですかの」


 私は手の中のレモネードがぬるくなることも構わずじっと話を聞く。


「ゼキはもともと自分というものをしっかり持ち、飄々と明るい道を歩く気質がある……しかしアイザックは正反対で怖れを抱きやすく強いものに惹かれやすい。それは強い力を持つシン=バシュレの傍にいることはアイザックのためにならんと思い、一緒に行くことは反対したのだが………」

 

 その後はわかった。ゼキ=バルカンが言っていたことに繋がるのだろう。心酔しているシンに突き放されてしまい、どこかへ消えたと……執着していた彼はいったい何を思ったのか?恨んだのか?絶望か?


 私が口を開こうとした瞬間、ザザザザッと木の上から人が飛び降りてきた。


「キャッ!!」


 驚いた私の声は無視して、クルリと一回転し、華麗に着地。


「何を話しているんだよ」


 このじーさんは?とリヴィオが木の上から唐突に現れた。


「なんで木の上にいるのよっ!驚いたわよ!?」


 子どもじゃあるまいし!と私がプンプン怒っていると、リヴィオは肩をすくめる。


「見晴らし良いし、昼寝にも最高……いや、ちゃんと起きてたぞ?」


 半眼になった私の視線に気づいてごまかす『黒猫』。


「よけいなこと、セイラに言うんじゃねーよ。何者なんだ?」


 おじいさんはリヴィオの登場に少し驚いていたものの、口を開く。


「この孤児院の元院長じゃよ。今は隠居して雑務しておるが、ゼキとアイザックがいた頃は『お父さん』と呼ばれておったんじゃ」


 リヴィオが興味ないなと口の端をあげて笑う。


「……なんだか初めて会った気がしないのう」


「オレははじめましてだっ!」


「これは失礼した」


 老人はクックッと楽しげに笑う。からかわれているんじゃないかな?


「あー!リヴィオさんをみつけた!こんにちはーーーっ!」


 リヴィオに助けてもらって以来、心酔している人がここにいた。


「げっ、フリッツ!!」


 リヴィオは顔をひきつらせて、逃げた。フリッツはなんでですかーー!?と不満げである。


「おじいさん、話を聞かせてくれてありがとうございました」


「いいや……ナシュレ伯爵夫人は変わった毛色をしておるな。この世界に染まりきらぬ色じゃな。そういう者は傍に力の強い者がいても平気なんじゃがの……しかし殆どの人は強い力に何かしらの影響を受けてしまうんじゃ。まるで酒にでも酔うようにな」


 私が転生者ということを言いたいのであろうか?これは勘が鋭いだけではないと私は気づいた。


「おじいさんはそういう者が視える方なんですね」


 うむ……と頷いておじいさんは草むしりてもするかのぉと去っていった。


 シン=バシュレの力に酔ってしまったのは、きっとアイザックだけではない。父もまたそうであったのだろう。


 秋晴れの空の下、ザワザワと木が風に揺らされていた。遠くからはバザーを楽しむ声。


 ゼキとアイザックが育った2階建ての孤児院を見上げる。若き彼らは夢を見て祖父に着いていったのだろう。大海原に出て、冒険するために。


 楽しげに駆けていく二人の姿の幻影が一瞬だけ見えた気がしたのだった。

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