【船を漕ぐ者と乗船する者】
「長年勤めていたのですが、最近、退職したので、孫娘と旅館に来たんですよ」
夏も終わりかけたころ、そんなお客様がいらした。白髪の祖父、愛らしい七歳くらいの利発そうな金髪の少女の珍しい組み合わせだ。
「おじいちゃん、一人で行くって言うんだもの!寂しいでしょ?」
「そうだなぁ。メイが一緒に来てくれて嬉しいよ」
連れ合いを早くに亡くし、娘夫婦が心配するから孫娘のメイまでそんなふうにわたしを扱うんですよという顔は嬉しそうだ。思わず私も目を細めて笑う。
「良いお孫さんですね。私も祖父が大好きでした」
「孫娘を喜ばせるような観光する場所が何かありませんか?」
そう聞かれて私は散歩道や釣り……今は夏なのでボートに乗ったり泳ぐ人もいたりする場所になっている湖を紹介した。歩いてすぐ行けるし、景色も良くて涼しい木陰もある。
「そうですか……じゃあ、行ってみようか?」
「行きたい!行きたい!早く行こーっ!」
「そう老人を急かすな。先に目的だった温泉へ入ってからにしよう。やれやれ……大変だ」
口ほど大変そうでもない様子にフフフと笑って部屋から出た。祖父と孫娘の姿は私にとって懐かしい気持ちにさせられる。私はそんな明るい子ではなかったけれど。
お祖父様は新しい本を買ってくれたり、一緒にご飯を食べたり……忙しかった中で私を気にかけてくれていたことが今はわかる。暗闇にいたとき助けに来てくれたのもお祖父様だった。
学園の休暇で時々来ていた、このナシュレの地にはお祖父様との楽しい思い出が多い。湖もその一つだ。一緒に釣りしたり散歩したりしたなぁと思い出す。
廊下でお風呂上がりの二人を見かける。サニーちゃんのタオルを嬉しそうに祖父に見せている。
「今から湖ですか?」
私が声をかけると、そうです。そろそろ涼しいかな?と言いながら、孫娘と手を繋いで外へ行った。良いなぁと眺める。
私ももう一度祖父と過去に戻って会えるなら、もっと自分の思いを言葉で伝えたい。一緒に何をしたいのか、何をしてほしいのか……我慢する必要なんてなかったのだと今ならわかる。
「あ、女将ー!サニーちゃんのタオルが玄関に落ちてて、誰のかわかりませんか?」
受付係の一人が声をかけてきた。あ……さっきのメイちゃんね。今から追いかけたら間に合うかな。
「わかるわ。届けてくるわね」
後から届けても良いだろうけど、あの祖父と孫娘の姿をもう少し私が見たかったのかもしれない。
日なたは暑いが、木陰の散歩道は涼しく感じる。日は傾きつつあるが、まだ夕暮れには早い。
ナシュレの人達が涼を取りに来ており、私の姿を見ると「こんにちは」と挨拶したり手を振ったりしてくれ、私もひらひらと手を振って返す。
「大変だー!」
声がした。何事!?と私は駆け出す。
「溺れているぞーっ!!」
泳ぐことができる湖だが、深いところは子供の足が届かないくらい深いのだ。
「どこ!?」
私は叫んだ人に尋ねる。あっちだ!と指さした方向には人がバシャバシャと音をたてて水面で暴れている。
飛び込もうとしたが、待ってください!と他の人に止められた。
「セイラ様!落ち着いてくださいっ!泳げるんですかっ!?」
………はっ!そ、そういえば。そうだ……私は泳げなかった!!しかも溺れた経験アリ。
「大丈夫だ!任せろ」
声が湖上からした。ボートがスイーと流れるように近づき、見事な櫂さばきでくるりっと船首をまわして櫂を伸ばし、捕まれ!と言う。
見事、船に乗せて助け出していた。その手際の良さに感心した。
「おじいちゃん!さすがー!」
おじいちゃんとメイちゃんだった。
「ありがとうございます……いきなり足がつってしまって……」
溺れていた人もお礼を言う。
「ボートの扱いかたが素晴らしいですね」
私が驚くとメイちゃんが自慢気に言った。
「おじいちゃんは長年、大きい川の渡し守をしていたのよ」
「それで!お上手なのですね」
ポリポリと褒められた本人は困ったように笑った。
「やはり、こうやって船を操ると楽しいなぁ……辞めてしまったが、少し後悔だな」
「あら……ナシュレに住んで頂けるなら、この湖の管理者になってほしいくらいだわ」
私がそう言うと、白い眉毛がピクリと動いた。
「できれば、したいものだ。本気かな?」
「えっ!?いいんですか?」
私は今の事件を見て、人が増えてきた湖はもはや公園にして整備し、管理をしなくてはと思ったのだ。
「おじいちゃん!もうっ!仕事は辞めるって言ってたじゃない」
メイちゃんがそう言うと、首を横に振る。
「家でゆっくりしているのは性に合わん……このくらいの規模の湖の管理者になって、時々船を操って過ごしたい」
静かな湖面のきらめきを見ながら言う。
「静かにすごしたい気持ちとまだまだ現役でいたい気持ちと……複雑なものですね」
私がそう言うと、そうなんてすよと苦笑して頷いた。
その後、ナシュレにメイちゃん一家はおじいちゃんと共に移住してきた。
「ナシュレに移住は最近の流行りですからね!」
そうメイちゃんの父に言われて、ふと気づく。執務室へ行って人口の推移を見てみる。ずいぶん、領地内に人が増えた。
ジーニーが統計を出してくれたものがある。産業の面でも右肩上がりにぐんぐん伸びている。
新しい街ができるたびに学校、病院なども増やしているので、公共の施設数も多くなっているが、整備は追いついてるのだろうか?
また新しくお米の生産を始めている……私の手が回らなくなってきている。
「報告は受けていたけどここまでとはね……」
逆に周辺の他の領地はどうなっているのだろう?それもバシュレ家の方の……嫌な予感がする。
またあの父が激怒していなければいいんだけどと嘆息した。
それにしても街の方は都市と言えるような規模にここ数年でなりつつある。税収も大きいが経営が難しくなってきた。
「うーん……温泉旅館をまったりしようと思っていただけなのに、いつの間にか……」
リヴィオがヒョイッと顔をのぞかせる。
「何、難しい顔をしてるんだ?問題が起きたか?」
領地の様子を数字で見せる。おー、伸び率すごいよなーと言う。
「リヴィオ……頼みがあるのよ」
深刻そうな私の様子に彼は真面目な顔になる。
「なんだ?」
「ナシュレはもはや都市レベルの領地になってきたわ。そこで領地の経営をリヴィオにまかせてもいいかしら?」
めんどくせーと渋るかと思ったが、リヴィオも私の代わりに領地経営に関わる機会がある。彼もわかっていたのだ。そろそろ片手間でできるものではないと。嫌な顔をせず、頷いた。
「そんなことか。了解した。ナシュレも発展したもんだな。セイラは旅館や事業の方でいいんだな?」
「うん。私にはそっちの方があってるわ。……意外とすんなり引き受けてくれたわね」
「セイラが大事にしているナシュレを任せようと思ってくれたことは、それだけオレを信頼してくれているということだからな。単純に嬉しいよ」
不意打ちの笑顔を私に向けられて、何故か恥ずかしくなって目をそらしてしまったのだった。
「ま、まぁ、そういうわけで……結婚して書類がきちんとしたら、ここの領主様になってもらうからね!よ、よろしくねっ!」
「なんで照れてるのか、恥ずかしくなってるのかわからないんだが………領地経営についてはわかった。引き受けよう」
笑顔が素敵だとは言えない!恥ずかしくて言えない!
そんなわけで、私とリヴィオは互いに今まで通り手伝うことはあるが、役割を明確にすることにしたのだった。
私とリヴィオの乗る船には他の人々も乗っている。決して沈ませるわけにはいかないのだ。一人で船を漕ぐのではなく、リヴィオが居てくれて良かったと、言いかけてやめる。思っていることを口に出すのは難しいものだ。
その代わり、私はそっとリヴィオの手に自分の手を重ねたのだった。
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