暗き扉を叩くとき

 ベッカー家に私は来ていた。


「はじめまして。わたくしはコルネリウスの妻のアンネですわ」


 優しそうで大人しそうな女性が挨拶する。こく言ってはなんだが……貴族の華やかさはまったくない。服装も髪型も。華やかな雰囲気を纏うコルネリウスとは対照的とも言える。


「セイラ=バシュレです」


 アンネが口を開こうとすると扉からベッカー子爵が入ってきた。『さがれ』と視線で合図するとアンネは察して、一礼して去っていく……まるでメイドにたいするような扱いに驚く。

 そういえば使用人が見当たらない。


「珍しいこともあるんだね。君がナイトを連れずに来るなんて思わなかったよ。でも来てくれて嬉しいよ」


 ニッコリと優しげに微笑む。リヴィオには何も言わずに来た……彼に私が今からすることを見られたくないのだ。


 そしてこの件は私の問題である。私のせいなのだと申し訳ない気持ちが行き場をなくしている。


「これをお返しします」


 私は色褪せないバラの小さな花をハンカチから取り出す。手を伸ばそうとした子爵より先に私が手にとり……子爵の手にバラのトゲを突き刺した。顔色は変えない。さすがと言える。


「……痛いことをするね」


「私は怒っています。このくらいで済むとでも?」


 子爵の手の甲から赤い血が流れてゆく。ペロッと舐めている。


「君のその格好からして、報復に来たことはわかっていたよ」

 

「毒がついている花なのに、随分と余裕ね。よくご存知のお得意の毒でしたか?」

 

 ドレスなど着てくる場ではないだろう。私は動きやすい黒い服に白い手袋をしている。足元はブーツで全体的に、エスマブル学園の制服に近い服装だ。私は目を細める。苛立ちを隠せない。


 毒を受けたのに慌てない。どんな効能があるか、どのくらいの時間で効能が出るのか、わかっているのだ。


「やはり君は賢い。バラの花1つで犯人を当てるとはね」


 穏やかさを捨てない子爵はまだ余裕だ。彼は私が犯人だと辿り着けなければ、さらに周囲から仕掛けてきたであろう。私ではなく、私が大事にしている周囲から攻めていく。背筋が寒くなる。


「バラはこの子爵家の領地の名産品。特殊な毒を染み込ませたバラの花は枯れない。ステラとレオンのことを知っているのはマリアと私のみ。どうやって情報を手に入れたかなんて愚問かしら。ステラ王女の事件をメッセージにし、私に宛てたんですね。王宮内に入り込み、バラを瞬時に箱につけれるのは諜報活動を長年していた貴方なら可能ですよね。エスマブル学園の超S級の諜報部員ですし……」


 私は睨みつけたまま続ける。


「脅しですか?私がベッカー子爵の思い通りにならないなら、こうして私の親しい人たちに害を為していくという……リヴィオ宛に気持ち悪いものを送ったのもあなたでしょう!?」


 思わず声を荒らげてしまった。


「元諜報部員というのはジーニー君にでも聞いたかな?……察してくれたんだね。鋭い良い目をしている。ベッカー家の血を受け継いでいる君の才能が欲しい。ただそれだけだ。ベッカー家の才能。表舞台には決して出ない一族の血を残したいだけだ。我々一族がこの国の歴史にどれほど関わってきていると思う?」


「興味ありません。私は穏やかにナシュレで暮らしたい。それだけです。資産も貴族の称号もいりません」


 子爵は椅子にもたれかかる。毒が効いてきたのだろうか?弱気な顔をした。


「やれやれ……頑固だねぇ。もったいない才能なのになぁ。それにバシュレ家から見捨てられてるんだし、ベッカー家に来てもいいじゃないか」


「私はここで子爵が諦めないなら諦めてくれるように……戦ってもいいんですよ?」


 その言葉に子爵は一瞬、鋭い目をした。私は負けずに視線を返す。何があろうとここは退いてはいけない。


 私の本気を感じ取ったらしく、はぁ……と子爵は溜息を吐いた。私との緊張を緩める。


「わかった!仕方ないね。謝るよ。無理矢理、ベッカー家に取り込もうとして悪かったよ。君と戦うつもりはまったくない」


 引き際が良すぎる。私は……一戦交える覚悟で来ている。まだ警戒は解かない。


「あきらめてくれますか?」


「ああ……もうやめる。約束しよう。しかし君の身内としてまた会いに行くことは赦してくれるよね?可愛い姪だからね」


 ニッコリと笑ってそう言う。声音も明るい。


 私は内心ホッとした……危険人物だと感じていたが、この程度で終われそうだと。


「もちろんです。でも、まずはステラ王女に謝罪をお願いします」

 

 わかってるよと叱られた子供のように肩をすくめた。そして確認するように尋ねてきた。

 

「もしや君は女王陛下から裁きの許可を得てるんだね?……シン=バシュレのように」


「そうです。あなたをどう裁くか任せてくれてます」

 

「へぇ。まさか、そこまで陛下と親密であるとはね。それは予想外だった。調べ損ねたな。君の後ろに陛下がいるなら、為すすべはないか」


 諦めたように降参だと両手を挙げた。


「君なら解毒の術などお手の物だろう。頼むよ。降参する。裁きを素直に受ける」


「ええ……」


 私は子爵の手を取り、解毒の術を施す。ありがとうと感謝された。


「やはり優しい子だね。ひどいことをして悪かったよ。もっと話し合えばよかったかなって思った。ごめんね。そうだ!妹の部屋を見せてあげよう」


「母の?」


「ああ……そのままにしてあるんだ。おいで」


 昔の母の?私は少ない記憶しかない。興味がある。どんな人生を送ってきたのだろうか?母のことを本当はもう少しベッカー子爵から聞きたかった。病弱でよく寝ていた母は私を愛してくれていたと……思う。


 子爵の後ろをついていく。屋敷はそれほど大きくなく、ドアも飾りも質素だ。貴族の華やかさがここにもあまりない。


「ここだよ」


 そう言って……私の腕を引っ張り、ドンッと突き飛ばす。


「なっ!?」


 ガチャッと言う音とともに鍵が閉められる。暗闇が広がる……まさか!?


「この部屋はね、捕まえてきた重要な人物を閉じ込めておくための部屋だったんだ。君が幼い頃入っていた懲罰室と似てるだろう?」


「そんなところに……私は……」


 懲罰……室?心臓がドキドキと痛いくらいに動きだす。


「君のことはすべて調べた。妹が亡くなった後にバシュレ家の懲罰室でよく過ごしていたこともね」


 ……そうだ。よく父は私が口答えしたり意に沿わない行動をすると暗い部屋へ閉じ込められていた。頭痛がしてきた。


 息が止まりそうになるくらい呼吸が苦しくなってくる。夜、灯りを消せなくなったのも……そうだ。このせいだ。


 怖くて怖くて……記憶を閉じ込めていたようで、失くしていた記憶がパラパラと本のページをめくるように思い出していく。


「悪い子には罰をだね。君が娘になるといえば出してあげるよ。でも人を信じすぎるね。下手な芝居に騙され、まだまだ甘すぎる。それも…これから訓練していけば良いことかな。人など簡単に裏切るものだよ」


「そ、それは嫌です!断るといったはずですっ!」


 じゃあ。気が変わったら教えてくれと笑いながら去っていくベッカー子爵。私は扉をドンドンと叩く。魔法は使えないようになっているのがわかる。強固な結界がはられている。用意していたのだ。私が決して首を縦に振らないことをわかっていたのだ。


 声は出ない。怖くて出せない。助けて!ここから出して!と叫びたいが言葉にならない。呼吸が整わない。汗がしたたって床にパタパタ落ちてゆく。


 フッとリヴィオの顔が脳裏に浮かぶ。きっと何日か帰らなければ探しにくる。彼なら絶対にここまで来てくれる。


 ……いや、でもこれは私のせいで起きた事件だ。彼に頼るわけにはいかない。来てほしい気持ちと巻き込みたくない気持ちが私の中で葛藤する。


 気づけば、ガタガタと震える体を抑えこむ。目を閉じて落ち着けと言い聞かせる。深呼吸する。気持ち悪い……吐きそうだと口に手を当てる。手の甲で何度となく冷や汗を拭う。


 確か、あのときは祖父が助けに来た。黒い猫を連れて……。


 何度も何度も叫ぶ小さな子どもがいる。母はもういない。父はもう私のことは見ない。『あの部屋へ入れておけ』そう言いつけて、どこかへでかけて行く。暗い部屋で過ごすことが増えた。暗闇だけのじめじめとした誰も来ない部屋。心も体もどんどん暗い闇に沈んでいく。


 悲鳴をあげそうになるのを口を閉じてなんとか耐える。


 私はあの頃の小さな無力な私ではないだろう?自身を見失わないように問いかける。もう一度深呼吸する。


 暗闇にいようとも……昔の私のように一人ではないはすだ。


 目を閉じて、ゆっくり暗闇に慣らしていく。私が打てる手はなにがあるか考えろ。怖がってる場合ではない。


 大きく深呼吸し、私は叫んだ。この部屋の結界を壊せる者の心当たりは一人だ!


「アオーーーっ!!」


 室内に声が響く。


「なにをしておるのだ」


 暗闇よりも深い黒い色をした物体が部屋の隅で動いた。瞬時に来た!?準備していたの!?


「早い……わね……ほんとに来てくれる……なんて」


 声が震えないように気をつける。平気なふりを必死でした。


「大丈夫か?シンが心配しておるぞ。封じたはずの記憶が戻ってしまったのぅ」


 アオにも祖父にもバレているようだ。黒龍が出現した。ヒタヒタと足音をたてて近づいてくる。可愛らしい姿だが威圧感がある。


 私が暗闇の記憶を喪失していたのはアオがしていたのね。


「少し待っておれ。『黒猫』を連れてきてやるわ。妾とシンは忙しいのじゃ。これくらいのことはそなた達でなんとかせよ」


 フッとアオがどこかへ行ったと思ったら、その瞬間、部屋の隅が青白く光って、人影がうつる。魔法の発動ができるようになっている。アオが結界を壊して行ったようだ。


「セイラ!!大丈夫か!?」


 リヴィオが来たと思ったら安心してへたりこんでしまった。震える体を抱きとめるリヴィオ。


 一人で解決しようと思ったのにと情けない気持ちになる。ごめんと小さく謝る。


「おい!しっかりしろ!あのやろおおおお!」


 金色の目が燃え上がる。帯剣していた剣を迷わず抜くと部屋のドアめがけて一閃した。ドンッと爆発音とともに破壊された。パラパラと壁が、落ちる。明かりが漏れる。


「動けないのか?」


「だ、大丈夫よ…平気だから…」


 リヴィオは私の顔を見て、なんとも言えない顔をした。平気なフリをしようとしたが、震える手はリヴィオの服を掴んだまま離せない。


 顔色はごまかせない。酷い顔をしていると思う。蒼白に違いない……。彼は怒りを静めるために呼吸を意識し、落ち着かせているが、ピリピリとした膨大な魔力が集まってくるのを感じた。


 動けない私を抱え直して立ち上がる。お姫様抱っこおおおお!?


「えっ!?歩ける!歩けるわよ!」


 リヴィオは私の言葉を無視し、怒った顔のまま歩く。そのまま帰るのかと思っていたのに……どこへ?


「早く出てこい!屋敷ごとふっ飛ばすぞっ!」


 その言葉と同時にリヴィオの力が解き放たれて屋敷の一部が爆発音と同時に吹っ飛んだ。怒りで抑えられなくなっている。ガラガラと崩れる音。


「派手なナイトの登場だね。どうやってあの部屋へ入った?強固な結界の部屋だぞ?」


 ベッカー子爵が現れた。リヴィオは自分の後ろに庇うように私をそっと降ろした。


「そんなことはどうでもいいだろ。死ぬよりも怖いことがあると思いしらせてやるよ。セイラに与えた以上の恐怖を与えてやろう。『黒猫』の悪夢を見せてやるよ。誰に喧嘩売ったのか教えてやる。カムパネルラ公爵家の分も返す!」


 ゾッとするほど冷たい声。本気だ。普段、あまり抜かない剣をすでに抜いて構えている。白銀に光る剣。


 私がここに来た理由をリヴィオは気づいていた……。


 いつも余裕のある様子を演じているベッカー子爵もリヴィオの声に身の危険を感じて、数歩後ずさりした。ざわりとリヴィオの魔力の集結を感じる。

 

 鋭い殺気の気配が放たれている。金色の目は……絶対零度の冷ややかさで獲物を見据える。


 私の頭にパサリと自分の上着を掛けた。何をするのか見せないつもりらしい。セイラは目も耳も閉じてろと言う。低い声。


「セイラにはオレが今からすることを見せたくない。先にナシュレへ帰っていろ」


 私が待って!と服をどける前にリヴィオの転移の術と眠りの術が発動しており、私は気づくとナシュレの屋敷の執務室に意識をなくして倒れていたのだった。


 その後にリヴィオがした残虐な行為はだいぶ後になって聞かされたのだった……ベッカー子爵の屋敷は影も形もなかったらしい。消し炭になるまで破壊されていた。帰ってきたリヴィオは返り血だらけで、屋敷の者たちが騒然となったらしい。


 『黒猫』の本気は調査をした人がトラウマになったほどだと言う。二度とベッカー子爵は近寄らないだろう。『黒猫』の悪夢を見たくなけば。


 しばらくの間、私は高熱で起き上がれなかった。何度も何度も終わったことなのに暗闇にいる夢は鮮明に繰り返される。


 今まで記憶を封じていた反動でもあるのだろうか。しかしアオが封じてくれていたことには感謝する。昔の私であれば耐えれないことは間違いないだろう。


 当分、同じ部屋にいるといってくれたリヴィオは私の代わりに領地経営や旅館の業務をして、夜は傍にいてくれた。


 手を煩わせて悪いと思いながらも、一人より誰かの気配がある方が良かった。


 暗い夜が来るのが恐い。


「無理するな」


「私、リヴィオなら絶対に来てくれるとわかっていたわ」


「ああ。もちろんどこにいようと行くが、

行き先を言っていけとあれほど言ってただろーがっ!今回は本気で焦ったぞ!」


 元気になったらすごく怒られる予感がする。


 熱に私はうなされているのだろうか?いや、半分以上はベッカー家へ行く前に用意しておいたことだ。


「ごめんね。私のせいでこんな騒ぎになってしまって……婚約は解消しましょう。バーグマーさんにもう書類を渡してあるの。見てもらえばわかると思うけどナシュレと旅館、すべてはリヴィオに任せるわ……私はいないほうがいいわ」


 震える声で言った私を見て、リヴィオが金色の目を驚いたように見開いた。

 そして彼はバカだなと呆れたように笑った。


「なに言ってんだ?そんなこと考えてるから熱が下がらねーんだろ!………よし。結婚しよう」


 なんと言ったのかちょっとわからなかった。えーと?と頭の中で反芻する。


「私は婚約解消しようって言ってるのよ!?言ってる意味わかる!?リヴィオ、なんか私と真逆のこと言ってない!?」


 高熱でふらつく体を思わず、起こす。


「どうせセイラのことだ。カムパネルラ公爵家や王女にまで迷惑かけてしまった。この先も自分のせいでオレやナシュレの人々に災厄がふりかかったらどうしよう…ってとこだろ?」


 心読めるの!?私が呆然としているのを見て、さらに言う。


「オレ、十何年もセイラに片想いしてきたんだ。なんとなく思考回路がわかる。お見通しだ!カムパネルラ公爵家のことを甘くみるな!ステラ王女の事件。あの程度のものを想定できなくて、見抜けなかったのはレオンの落ち度だ。子爵家へセイラを一人で行かせたのはオレの落ち度だ。レオンもオレも公爵家の息子として教育されている。こんなこと日常茶飯事に考えている」


 ポンポンと私の頭を軽く叩く。大丈夫だ。みんな、そんなに弱くねーよと安心させるように微笑む。


「自分で自分の居場所を捨てるな。ここまで一生懸命、作り上げてきたんじゃないか。セイラを慕って、尊敬しているスタッフもたくさんいる。領民たちもだ!簡単に譲るなよ!」

 

「ごめんなさい……」


 確かにそのとおりである。涙目になってしまう。弱気になりすぎていたかもしれないけど、この幸せな場所が自分の存在のせいで壊れるのは怖かった。


 私は臆病なのだ。特に……大切な人を失くすことには人一倍臆病だ。


 リヴィオは叱っている口調だが、雰囲気も表情もとても優しい。


「オレと結婚しとけ。オレがセイラに降りかかる災厄も困難も薙ぎ払ってやるよ。そしてどこにいても助けに行く。暗闇が怖いなら一緒にいてやる。セイラ、考えておいてくれ」


 さらっと世間話のついでだとでも言わんばかりに重要なことを言った。だけど彼の言う言葉に嘘はないことを知っている。

 もっとロマンチックなものかと思ったら、ここでプロポーズするの!?というのがリヴィオらしい。しかも婚約解消を持ちかけられてプロポーズしてくるとか……普通ないよね?

 彼らしくてなんだか笑えた。泣き笑いになってしまった。


「うん……いつもありがとう……」


「礼なんてしなくていい。なんか弱気になってんなぁ。ま、病気の時は心細くなるもんだよな……とりあえず、体調を戻すところからだな。ゆっくり休め。ちゃんと傍にいるし、明かりもつけておく」

 

 そう言うと私に掛け布団をかけ、寝るように促した。私は久しぶりにホッとした気持ちで眠りにつくことができた。




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