第25話 冷たさのリアル
霞玉丸は銀色たちに引きずられると、別の部屋に放り捨てられた。ボックスを向けられ身体の拘束を解かれると、途端に全身が痛み出すのを感じた。
「くそっ……」
手首と足首をこすりながら部屋を見回すと、奥に人がいるのを見つけた。
「笑子!」
玉丸の双子の妹である霞笑子だった。
笑子は寝間着のまま顔を膝に埋めて座っていた。……笑子もすでに連れ去られていたのか!
「……た、玉ちゃん?」
笑子は震えながら顔をあげて、現れたのが兄だと確認すると、素足のまま玉丸の胸に飛び込んできた。
「玉ちゃ……玉ちゃん! うわあああん!」
笑子は、玉丸の胸に顔を埋めると堰を切ったように泣き出した。
笑子が泣き出すなんて……?
玉丸のイメージである笑子は、いつもからからと笑っていて、冗談と皮肉まじりに兄をからかう憎たらしい存在だった。
それに笑子は……自虐的に責められるのを好むマゾヒストであることを玉丸は知っている。笑子の神経は普通の人間と変わっていて、いわゆる「痛み」が彼女には「快感」であり、よくコンパスを手に刺すのを見かけたものだった。
そんな「痛み」を喜ぶ人間を、泣かせる力とは何だろう? と玉丸は思った。
――恐怖か。
玉丸は妹を抱きしめながら、「これは本当に、僕の知っている笑子なのか?」といぶかった。先ほどまで幻覚に騙されていた身としては、目の前の妹とて本物だとは信じがたい。
「笑子?」
「玉ちゃ……玉ちゃん! うわあああん」
「どうした? 笑子。一体、何があったんだよ?」
「ごめん……ごめんね。玉ちゃん、ごめんなさい!」
「どうした? 何を謝ってるんだ?」
「知ってるくせに! あの銀色たちに、体じゅうをいじくられたのよ! あいつらったらこっちが動けないのをいいことに、あの気持ち悪い手で触りまくったのよ。下手な痴漢よりも、よっぽどゲスなやつらだわ!」
笑子はそのときの様子を思い出したのか、ぶるっと体を振るわせた。
玉丸の寝間着の胸は笑子の涙で濡れた。その冷たさを感じながら、玉丸もわずかに
瞳が濡れてくるのを感じた。
その冷たさが、むしろ玉丸に“リアル”を感じさせた。
これは幻覚じゃない。
笑子が何をされたにしろ、それは普通の人間が生活するうえで受ける「痛み」の範疇を越えていて、人間の手によるものではない不快きわまりない行為だったのだと玉丸は悟った。
……そして笑子の精神は、玉丸が考えている以上にデリケートだったのだと。
銀色たちが笑子に与えた屈辱は、「痛み」というパラメータで測定出来るものではなかったのだ。妹に与えられた屈辱を思うと、玉丸のなかにむくむくと銀色たちに対する怒りが沸騰してきた。笑子はしきりに「ごめんなさい」を繰り返しているが、謝るのは僕の方だと玉丸は思った。
「笑子、もうやめろよ」
「ごめんね、本当に。あの……くそったれの銀色たちのこと! あたし、円盤部にいたあの時、玉ちゃんの話を信じてあげられなかった!」
「忘れてたんだから……仕方ないよ」
「忘れさせられていたのよ! 耳にあいつらが針を刺したのを見たでしょう? あの針先の球は、ひとの記憶を奪っちゃうのよ。あたしはちゃんと……本当は玉ちゃんの言うことを分かっていたのよ。だけど、あの球があたしの心を、別の方向に向けるようにいやらしく操っていたんだわ!」
なるほど。紺万太の言うとおりだ。あの球は、記憶を自在にコントロールすることが出来るらしい。そして、記憶さえも作り変えることが出来るのだ。
「玉ちゃん、どうしよう……あたし、恐い。この場所から逃げたいわ」
笑子の震えは止まらない。妹の瞳からはまだ涙がぽろぽろこぼれている。
「……僕だって、そうさ」
玉丸は周りの円形の部屋を眺めて、直接壁に触れた。
粘土みたいに見えるのに、思った以上に硬く、びくともしない様子だ。
おまけに玉丸が運びこまれたときに見えた入口は、いまや跡形も無く消えていた。銀色たちがボックスを向けた途端、入口は壁へと変化したのだ。
「銀色たちの持ってるアレを何とかして取り上げられないかなぁ……」
「あのくそったれどもがいつも持ってる、銀色の箱みたいなやつでしょ。無理よ。一度あたし、アレを奪い取ろうとしたんだけど、すぐに体をかちかちに凍らされちゃったのよね。卑怯よ、あいつら。アレが無いと何も出来ないのよ、きっと」
「どういうこと?」
「……だって、考えてみてよ。あたしたちをさらうときも……あのむかつくベッドに乗せるときも、あいつらアレを使うのよ。それにいつも集団でやって来るのよね。ひとりじゃ何も出来ないんだわ」
それは気づいていた。
銀色たちは玉丸の前に登場するときは、常に“おおぜい”なのだ。
銀色たちの背丈は大人ほどあるが、腕は木の枝のようだし、脚は運動音痴の玉丸よりも細く、華奢に見えた。
つまり玉丸は、自分が必死の思いで立ち向かえば、かれらの一人ぐらいなら組み伏せられると思っていた。玉丸は銀色たちに出会うと、その異様な姿に恐怖を覚える。しかし、それ以上に脅威だと思うのは、相手が怪しい道具を使ってこちらの自由を奪い、屈辱感を覚えさせることなのだ。
「……ということは、笑子はさらわれる時のことを覚えているのかい?」
「当たり前でしょ。あんな狭い部屋に、数人がどかどかやってくるのよ。あたしが気配に気づいて身を起こそうとしたら、もうあいつらアレをこっちに向けてるのよね。そこでプツン! ……次に気づくと、ベッドに寝かせられてるの」
「さらわれそうなその時、どうして僕を起こさないんだよ」
「必死に叫ぶわよ! 玉ちゃん、玉ちゃんって呼ぶわ。だけど玉ちゃんは、その時には眠らされているのよね」
玉丸はがっくり肩を落す。
「そうか……ごめんよ。気づかなくて」
「いいのよ。きっと、それもあいつらの仕業なのよね。でも不思議なのは、どうしてあたしらをさらうのかってことよ。双子ってことが珍しいのかな」
確かに。あいつらは一体、何が目的なんだろう?
「でも、あいつらはみんな“そっくり”だぞ。見分けがつかない。双子どころか、百子ってのがいそうだよ」
それまで暗い表情だったのだが、初めて笑子は笑顔を見せた。
「ひゃくご……ね。そうかもね。玉ちゃん、うまい。あははは……」
玉丸は、いつもは気になる笑子の高らかな笑い声も、いまは心なごむのを感じた。
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