第22話 アンバランスな影

 玉丸は夕飯を食べ終わると、そのまま自室に入った。

 部屋は集合住宅なので、あまり広いとは言えない。ベッドに鞄を放ると、とりあえず宿題を片づけた。予習も済ますと、母親の次に風呂に入った。いつもそうだが、母親の抜けた髪が湯船に浮いているのは気持ち悪い。身体を洗ってから、傍らにあるネットを使って、風呂に浮かぶ髪と垢を捨てた。お湯のなかで玉丸は今日のことを思い出した。

 とんだ一日だったな……。

 風呂からあがって何気なくテレビを見ながら、おやつをぱりぱり食べて時間を過ごした。心のわだかまりは、何となくどうでもいいことになっていた。

 明日になったらきれいさっぱり忘れているさ。

 それよりクラスのみんなが、明日も自分が気絶したことを覚えているだろうか――それだけが気になった。

 恥ずかしい記憶はすぐ忘れられればいいのに……。

 寝る前に歯を磨き、母親におやすみと言って、しっかり窓を閉めてから床についた。しばらくは布団のなかで明日の授業のことなどを考えていたが、やがて訪れた睡魔とともに瞼が重なった。

「花言葉は“私を忘れないで”っていうのよ」

 かすむ視野のなかで、誰かの声が聞こえた気がした。

 ……だが、たいして気にすることもなく眠りに落ちてしまった。


 夜半、父親が帰って来た気配がして玉丸は目覚めた。

 どうしよう。父さんに「おかえり」って言ってあげようかな?

 いいや、すごく眠い。どうせ疲れて帰って来ているんだから。毎朝、顔を合わせているのに、わざわざ生意気な息子の顔なんて見たくないはずさ。

 ――そう思って玉丸は寝返りを打った。父さんが部屋に来たら、ちょうど目覚めたふりをして、「おかえり」と言おう。

 ……しかし、誰も玉丸の部屋を訪れる気配はなかった。

 母親がまだ起きているのか分からなかったが、母さんは父さんを出迎えただろうか? そんな声は聞こえなかった。母さんはいつも父さんがどんなに遅くとも、出迎えるのを自慢にしていた。……でも、いつか父さんがべろんべろんに酔っぱらって帰って来たときは、さすがに一瞥しただけで、鼻を鳴らして無視したこともあったな。あの時は、父さんは朝方まで玄関で寝てたんだ。もしかして、今夜も父さんは酔っぱらっているのかな?

 ……部屋はそれから物音ひとつなく、しんと静まりかえっていた。

 おかしいな。

 さっきの気配は本当に、自分の父親が帰宅した音だったのだろうか?

 もしかして、あれは全くの他人で……泥棒ってやつかも。

 母親が起き出す気配がないのは、それに気づいてないからかも。

 どうしよう? 布団のなか玉丸の心臓は高鳴り始めた。

 どうしよう? 泥棒だったら、僕が追い出さなきゃいけないのか。

 母親は女だ。きっと恐怖ですくんでしまって、泥棒になんか立ち向かえないだろう。それにまだ、侵入者の気配に気づいた様子がない。もし泥棒だとしたら、必然的に男である自分が、真っ先に立ちむかわなきゃならない。

 僕にそんなことが出来るだろうか?

 相手は大人の男に決まってる。他人の家に忍び込むプロなんだから、誰かが気づいて、いきなり立ち向かってくることも予期しているはずだ。自分のような華奢な中学生が、大きな声を出して立ち向かっても、退散しないかも知れない。逆にこちらがやられてしまうかも。相手は武器を持っているかも知れないのだ。

「どうしよう……」 

 玉丸の心臓はどきどきと脈打った。想像は想像を呼び、泥棒に殺される覚悟で立ち向かっていかなきゃいけない、と最悪の予想をした。

 全身が耳となり、どんな小さな音も逃さないといった感じになった。

 ……とはいえ、あいかわらず家はしんと静まりかえっている。

 台所の冷蔵庫の振動が、枕に響いてくるのが感じられた。高鳴っていた心臓の鼓動は、だんだんと収まっていった。そして、あれは気のせいだったのかも、と思うようになった。

 母親はいつも寝る前に鍵を閉めている。今夜も母親のその姿を、寝る前に見た覚えがあった。仮に泥棒が家に侵入しようとしたとしても、鍵をこじあけなきゃ、中には入れないはずだ。こじ開けるときは、きっと派手な音がするだろう。そんな音は微塵にも聞こえなかった。

 やっぱり気のせいだったのか……そうに決まっている。びくびくした自分がバカみたいだ。

 ほっとしたと同時に、尿意を感じた。

 玉丸はがばっと起きあがった。泥棒が気のせいだと思ったあとは、恐いモノはなかった。

(さっさとオシッコをして、寝てしまおう。)

 しかし、いざ部屋のドアを開けた途端、廊下の向こうの暗闇に誰かが立っているのが見えた。

「!」

 心臓をわしづかみにされたような衝撃が、突然全身に走った。玉丸の脚は急にすくみ、かなしばりのように動けなくなった。さきほどの泥棒に立ち向かおうとした勇気はどこへやら、身体に震えが生まれた。心が氷山に突き刺されたかのように冷たく固まった。

 あれは誰だ?

 心臓は再び、早鐘を打ち鳴らし始めた。

 あれは誰だ? 母親にしては背が高い、父親にしては体格が違う。

 玉丸は自分を見下ろしているその異質な目に、再び凍りついた。

 赤く……ぼんやりと光っている。

 何だあの目は? 人間の目じゃない。人間の目は、あんなボールのような大きさじゃないぞ! それに何だ? ここからじゃよく分からないけど、どう見ても、普通の人間には見えない。

 頭が異様に大きい気がするし、体型はかなりアンバランスだ。

(地球の生き物ではない?)

 アンバランスな生き物は、ゆらりと玉丸に近づいてきた。

 




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