第19話 構成するちから

 フォーリンは花畑から、ひとつの花を取って戻ってきた。

 青い小さな花だった。

「勿忘草(わすれなぐさ)の花言葉って知ってる?」

 フォーリンはにっこり微笑んで、いま摘んできた花を玉丸に差し出した。

「花言葉は、もともとフォーリンの頭には無かったんだ。僕が教えたんだよ」

「いやだ、心郎ったら。いいじゃない。たまには“我われ”に言わせてよ。勿忘草の花言葉は簡単よ。“私を忘れないで”っていうの」

 霞玉丸にはフォーリンが何を言いたいのか分からなかった。差し出された花を手にして、ぽかんと口を開けてそれをしばらく眺めた。勿忘草は美しく、その小さな花びらは、朝露に濡れているかのように光っていた。

 とても小さく、守ってあげたくなる花だ。

「みんなここへ来ると、最初は圧倒されて帰りたいって言うんだ」

 心郎が不安そうに玉丸を覗き込む。玉丸がまた泣き出さないか心配で、その言葉もおそるおそる出たものだ。

「ただ広いってだけなのにね」

 フォーリンはくすくす笑っている。

「何のこと? 何を言ってるのさ、二人とも」

 玉丸はまだ、二人が何を言ってるのか分からない。まるでおでこにある眼鏡を、本人が気づかず探しているのを笑われているようだ。

 心郎は咳払いした。

「……玉丸くん、ごめんよ。実は、チャンスはもう一度だけあるんだ。たった一度きりだけ、元の世界へ戻れる。そして、この花を向こうの世界で思い出せば、エンテレケイアにも戻ることが出来る」

「ええと……」

「地球へ戻った後で、この花のことを思い出せば、再びここへ来れるのさ」

「何だ! そんな簡単なことなの?」

「だけど、この花のことを二度と思い出さない人もいる。今まで、誰も思い出さなかった。誰もここへは戻っては来なかった。……いや、思い出したのかも知れないけれど、ここに来たいとは思わなかったのかもね」

「そんな……」

「勿忘草はここを離れると枯れる。その花は見かけこそ勿忘草だけど、地球では存在できないんだ……だから」

「僕はきっと思い出すよ! いつかは分からないけど……きっと」

 心郎はにっこり笑った。

「待ってるよ」

「ああ。きっと戻って来るよ」

 遠くの霧は心地よく流れる微風とともに晴れていた。玉丸は空を見上げた。星が透けた青空には、土星のような輪を持った巨大な惑星が空をおおっていた。先ほどは見えなかった巨大な星だ。よく見ると輪っかが小さな氷の結晶であるのが見える。

 改めて、ここは未知の世界だったのだ。玉丸は若干、後悔を感じた。先ほどこの場所を不快に思ったのが嘘のようだ。ここに永住してくれと言われたのは、つい先刻のことだ。

 イエスと答えるべきだったろうか?

「ここは夢の世界じゃないね」玉丸は言った。「……僕にはこんな想像力はないもの」

 フォーリンが呼んだ、デュナミスということばの意味はまだ分からなかった。彼女に言わせると、玉丸には何かしら才能があるらしい。しかし、この風景を生み出す才能ではなさそうだ。

「……いや、夢なのさ」

 心郎は答えた。

「エンテレケイアは、全宇宙の生き物の想像力が支えている。宇宙には生き物ひとりひとりの夢を実現させて描く許容量があるんだ。つまり、誰かが一瞬でも考えた物語と思考は、宇宙のどこかで必ず形になっているんだ」

「宇宙って、そういうものじゃないと思うけど」

「みんな、そう言うのさ。だけど、考えてごらん? 宇宙は意味もなく存在しているんじゃない。誰かのため、宇宙は宇宙自身のために存在している。宇宙を構成しているのは、単に原子や分子だけじゃない。それを構成する“ちから”が必要なんだ」

「よく分からないな。宇宙がそんなに広いはずがないよ」

「この世の何もかもが、誰かに創られていると想像してごらんよ」

「想像力のちからってこと?」

「宇宙の構成と僕たちの思考は、お互いが存在しないと成り立たないと考えていいんじゃないかな」

 玉丸はひとつの考えを思いついた。

「エンテレケイアに来れる人は少ないと言ったね、心郎くん」

「そうだよ」

「ここに来る為には、デュミナスという才能が必要なんだね?」

 心郎は頷いた。

「そうだ」

「ここに来る為の、片道切符みたいな才能か」

「違う。……正確なことは、またエンテレケイアに来たときに教えてあげるよ。デュミナスはそれだけの才能を示すことばじゃない」

「僕の友だち――笑子や父さん、母さんたちも来れるかな?」

「分からない」

 ぱらぱらと小雨が降ってきた。

 まだまだ聞きたいことはあったのだが、玉丸は引き際だと感じた。エンテレケイアでは時間の経過がどうなっているのかわからないが、かなり長い時間が経っているはずだ。

 謎は残っている。美しいフォーリンという少女の正体。

 (どうやら地球人ではないらしい?)

 フォーリンが、自分のことを“我われ”と言う意味――なぜだろうか?

 そして、エンテレケイアの人たち(どんな姿なのか?)――を見ることはなかった。

 雨が強くなってきた。

「家に戻るよ」

「残念だ」

 そう言って心郎とフォーリンは手を差し出した。

「いや、僕は握手なんてしないよ」

 勿忘草を見て玉丸は言った。

「僕は、必ずここに戻って来たいんだ……」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る