第18話 負けるというジンクス

「デュナミスって何?」

 霞玉丸はしばらく呆然として、心郎に聞き返した。

「くわしく説明してあげたいけど、説明するのは……初めての人にはちょっとむずかしいかな。何しろ、僕自身もよく分からないことだからね。いちばんちかい“概念”としては、ここは夢のなかってことかな」

「夢のなか?」

 心郎は頷いた。「何でも思うことが叶うだろう? デュナミスとは……夢の創造そのものだ」

 玉丸にはまだよく分からなかった。

「ここは夢だってこと?……さっきベッドを叩いた時は、少し痛かった。でも、ここは夢だったのか? どうりで信じられないと思ったよ。ここは現実にしちゃ……何というか、広すぎるしキレイすぎるんだ」

「自分に信じられないからと言って、それが存在しないことにはならないよ」

 玉丸は軽く、自分の頬をはたいた。痛みがある。

 こんな現実感のある夢は初めてだ。夢というのは、眠りに落ちてうすぼんやりとした感覚のなか展開されると思っていたけど、こんなに圧倒的な存在感を見せつけるように迫ってくるなんて信じられない。

 玉丸はめまいに襲われると、渓流の岩に座り込んだ。

「夢か……」

 そして、何だか情けない気分になってきた。誰か知らないおおぜいによって、玉丸は悪質なテレビ番組にこっそり出演させられているような感じがした。ただでさえお人好しの玉丸は、自分がだまされ続けていることに気づかず、隠しカメラでその間抜け面を全国ネットで放送されているのだ。みんなそんな玉丸の様子を見てげらげら笑って見ている。

「なんて馬鹿な奴だ! あんなトリックにひっかかるなんて、普段からよっぽど抜けた生活をしているに違いない。よくあんな奴をテレビ局は見つけてくるもんだなぁ。あの情けない顔を見ろよ!」ってな具合に。

 そんな視聴者の声が聞こえるようだった。

 ……冷たい被害者意識が、波のように玉丸を襲った。

「こんな……こんな世界があってたまるもんか」

 霞玉丸の頭はぐるぐる回転した。

 かすかな悲鳴が聞こえた。

 フォーリンの悲鳴だ。心郎の抱えていた魚がはねたのだ。魚は渓流まで飛び、まさに水を得た感じで、一瞬にして消えてしまった。

 玉丸の胸のうちから、ふつふつと何かが湧いてきた。笑いがこみ上がってくるのを感じた。筋の通らない自分の境遇に、感情がうまく整理できない。

 玉丸の頬はひきつり、口はひくひく震えた。

「ははは……」

「玉丸くん?」心郎が心配そうに玉丸を覗き込む。

「夢といわれれば……そうかな? って気がするよ。よくよく考えれば、僕のまわりは信じられないことが……いっぱいだ」

「いったい、どうしたの?」

 フォーリンも顔を曇らせた。

「僕は……僕は、双子の兄貴だけど、妹の笑子とは顔も、性格も全然似ていないし、妹だと実感したことも……ないんだ」

 心郎とフォーリンが、不安そうな顔を見合わせた。

「笑子は……あいつ、生意気でさ。だけど、頭の回転が早いし、成績だっていいんだ。それに比べて僕は……ははは。ろくな人間じゃない。スポーツだって苦手だ。いつもみんなの足を引っ張ってさ。僕が入るとチームは負けるっていう外れたことがないジンクスだってあるんだ。ははは……おまけに、僕は泳げない! 笑子はそんな僕を、毎年夏が来ると笑うんだよ。今年は泳げるといいわね、なんてさ。そして笑うんだ。いやみったらしくあのけたけた響く声で!」

「玉丸くん……。待ってくれ」

「それに僕は今日、情けないことにさ。体育の授業の時、ボールが顔面にぶつかって気絶しちゃったんだ……ぶっ倒れたんだよ。いつもはボールになんか触れもしないのに! 保健室で泥だらけで寝てたんだ!」

「玉丸くん……どうしたの?」

 フォーリンが心配そうに心郎を見る。

「僕にボールを投げたのは、万太っていうんだ。もちろんそいつはスポーツ万能なんだ。おまけに、本当は……秘密なんだけどさ……何と、あいつ超能力を使えるんだぜ。にらむだけでどんなモノも吹っ飛ばせるんだ! すごいだろ? テレビにだって出てるんだ! テレビスターってやつさ。隣の学校からサインをもらいに来る女の子もいるんだぜ。勉強もスポーツもできない僕とは雲泥の差だろ?」

「僕の話を聞いてくれよ、玉丸くん」

「……それにくらべて僕は、何やってもうまくいかない。まったくついていない。運が無いんだ。昨日なんて寝間着のまま、よりにもよってあんな変な銀色たちに蛙のように実験台に乗せられたんだ! 何て運が悪いんだ! あの時は気づかなかったけど……僕は……僕はあの時、おしっこをもらしてたんだ!」

「玉丸くん。お願いだ」

 玉丸の瞳からぽろぽろと涙が出てきた。涙は玉丸が両手で瞼を押さえてもあふれでて止まらない。まるで人生のなかで、ずっとこらえてきたものが全てあふれ出てくるようだった。今までその涙はどこにたまっていたんだろう?

「いやだ。きみらの……言うことなんか信じないぞ。信じるもんか。これが夢だって? ……ベッドを叩いたら痛かったぞ! こんな夢なんかあるもんか。どうしてみんなでよってたかって僕を痛めつけようとするんだ。僕は誰も傷つけようなんて思ってないのに!」

 玉丸が今までのことを思い出すたび、涙は溢れ出てきた。学校生活ではいろいろ恥をかいた。それ以外でもロクなことがない。悔しく、情けなく、ここにいるのが恥ずかしい。口の中にしょっぱい味がする。鼻水が流れ込んでいるのだ。こんな現実味のある夢なんて初めてだ。それとも僕は、寝ながら泣いているのか?

「うっうっうっ……どうしてだ。僕を放っておいてくれないんだよ」

「玉丸くん。お願いだ。僕の言うことを聞いてくれ」

 心郎は傍らにひざまずくと、玉丸を見上げた。玉丸の顔は涙と鼻汁でぐしゃぐしゃだ。

「僕は……僕は……うっうっ」

「泣かないでくれ。ここにはふさわしくない」

 心郎はいつの間にか学生服の上着を着ていた。上着はぼろぼろで、何年も経っているものらしかった。玉丸には、少し古いデザインであるように見えた。

 心郎はそこからハンカチを出すと玉丸に差し出した。ハンカチも上着同然、ぼろぼろだった。何でも手に入るとかれが言った世界なのに、ハンカチすらないのか?疑問だらけだ。

 玉丸はそれを受け取らず、払いのけて渓流で顔を洗った。寝間着の袖で顔を拭いた。気分はすっきり晴れたわけでは無かったが、なぜか心のわだかまりが消えたように玉丸は感じた。

 心郎とフォーリン、二人には罪はないのだ。勝手にこんな夢をつくりあげた自分が悪い、と玉丸は思った。

「教えてよ……この夢はどうしたらさめるんだい?」

 瞳から涙が一筋流れたが、玉丸はそれを拭いはしなかった。

「君が望めば……」心郎は答えた。

 玉丸は顔を上げ、雲の隙間にある星を見た。

「僕はこんな奇麗なところを去りたくなんかないよ。本心さ。ずっとここにいたい。どうせ、“あっち”にいたってロクなことがないんだ。……だけど、家には父さんや母さんもいるし、にくったらしいけど妹の笑子もいる。友だちもいる。万太や峠くんっていうんだ。黙って自分だけが、こんなイイところで住むなんてできないよ」

「でも、きみが話した銀色たちには会わないぞ、ここでは」

「永遠に守ってあげる」とフォーリン。

「さっき“我われ”は外星人の話をしたでしょ。この宇宙には恐ろしく危険なやつもいるわ、たくさん。銀色たちはその連中なのかもね。でも、ここにいれば安全なのよ。絶対に。ここ、エンテレケイアには才能――デュナミスがある人しか入れないのよ」

「僕に、その……デュナミスってのがあるの?」

「ええ」こくんと少女が頷く。

「一体、それは何なんだ?」

 フォーリンは肩をすくめた。

「夢よ。夢を作るちからなの」

「分からないよ」

「分かるときが、きっとくるわ」

 玉丸はため息をついた。それを待ってはいられない。

「僕は……弱虫だけど。あれが何だったのか、はっきりさせたいんだ。銀色たちは僕を使って、何か良くないことをしようとしたのかもしれないけれど、それが何だか知りたい。何人かは万太がやっつけたけど、あいつらには仲間がいるはずだ――と僕は思うんだ。きっと仕返しにやって来る。……峠くんによると、世界中で僕と同じような目に遭った人がいるらしい。僕はなぜ、銀色たちがそんなことをするのか知りたいんだ」

 心郎は玉丸をじっと見た。

「そうか……残念だな」

「恐くない、と言ったら嘘になる。だけど、僕は戻りたいんだ。ごめんよ」

「いいのさ。千人以上に断られたから、なれっこだよ」

 心郎と玉丸は笑った。

「二度と、ここには来れないのかな?」

 玉丸の質問に対して、心郎とフォーリンは顔を向かい合わせて、まるで事前から練習でもしていたかのように、わずかに微笑んだ。

「そうでもないわ」












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