第16話 1225番目

「エンテレケイア?」

 玉丸はその不思議なことばを、フォーリンという名の美少女に続いて繰り返した。そんな外国の地名あったっけ?

「知らないなぁ……。地理の授業では習わなかったよ。まだ習ってないだけかも。どこの国なの? ここは」

「国? ああ地球の概念ね。ここは地球ではないのよ」

 フォーリンは言った。

「地球じゃない?」

 玉丸はぎょっとした。そのことばから、玉丸は“宇宙”を連想した。

 宇宙といえば――

 何となくだったが、玉丸はここが地球ではとても見られない風景だということを、先刻からうすうす感じてはいたのだ。人が夢に見る風景がそのまま具象化されたというか……花畑にしろ霧にしろ、その広がりは地球の風景とは異質で、まさに底が無いという感じなのだ。

「無限というか……」

 花畑はどこまでも広がっていた。地球では、景色は空気があるために遠くのものは自然とかすんでいく。この場所には空気がないのか、地平線がいつまでたっても見えないのだ! 空と大地の境目は――玉丸の視野には理解しがたいが、まるで融け合っているかに見える。

 空はなじみの青空ではなく、紫がかっている。まるで宇宙が透けているようだ。辺りはまぶしく照り輝いていたが、太陽がどこにあるか分からない。遠く何層も重なる雲の間からはいくつか星の輝きが見えた。

 そこには永遠ということばでは、はかりきれないような広がりあった。

 人の脳みその許容量を超えた世界といった感じ。

 玉丸はこの世界が自分の頭には入りきらないという恐怖――人は自分の手には負えないものを恐怖するのだ――を感じた。

 霧はゆるゆるとその姿形を変えて玉丸を包んでいる。風もないのに花畑が波打つ。花たちの色を反射して、フォーリンの瞳の色も変わる。髪の色も、いつの間にか金髪とも黒髪とも違う、鮮やかな青となっている。

 美が移り変わる場所。

 ここに来たときはあまりの世界の美しさに心奪われたが、いまは不安に包まれている。紺万太と霞笑子、そして友だちのいない孤独感。

 そして、“宇宙”ということばは、銀色たちにつながった。

 これは何かの「罠」なのか。

「ふぉーりんさん……言いにくいな。フォーリンって呼んでもいいのかな?」

「いいわ。みんなそう呼ぶわ。霞玉丸くん」

 不安や罠というキーワードを思い浮かべつつも、玉丸の目の前にいる少女はまるで無害に思える。

「フォーリン……きみは、あの銀色たちの仲間なのかい?」

 そうであって欲しくないと思いながらも質問した。彼女さえもが、人間ではない得体の知れなさを感じたからだ。

 彼女があの銀色たちの仲間であるなら、この世界もかれらのものだ。そうであるなら、玉丸はもうどこにも逃げられない。絶望を感じた。美しく見える花畑が、実は永遠に続く牢獄ではないかと。

 ところがフォーリンは、そんな玉丸を不思議そうに眺めた。

「銀色たち?」

「知らないかい? 背は僕よりずっと高くて、目がとっても大きくて真っ黒なんだ。僕が銀色って呼ぶのは、全身に銀色の不気味なスーツを着てるからなんだけど」

 フォーリンはきょとんとしている。

「知らないわ。背の高い人たちは大勢いるけど」

「ここには、他の人もいるのかい?」

「そうよ。エンテレケイアの人よ。そして、あなたと同じ地球の人もいるわ」

「同じ人? もしかして紺万太っていうのかな? 霞笑子では?」

「それ、名前? 違うわね」

 そう言ってフォーリンはくすくす笑った。フォーリンには玉丸の質問がなんとも的外れでおかしいらしく、必死に笑いをこらえているようだった。

 どうも拍子抜けしてしまった。どうやらフォーリンは、銀色たちとは関係ないようだが……。

「ついてきて!」

 突然フォーリンは玉丸にそう言うと、走り出した。

「ま……待って!」

 玉丸は急いでその後を追った。


 花畑はいつまでたっても途切れなかった。しかし、運動が苦手の玉丸には不思議だったが、いつまでたっても息が切れないのだ。マラソンは特に嫌いだったが、ここではいつまでも走っていけそうだった。

 フォーリンはよく見ると裸足だ。長い髪をたなびかせて、走るのが好きでたまらないといった感じで軽やかに駆けていく。まるで野生の馬を見ているようだった。霧を抜けると花畑が現れる。その花の群れを越えると霧が現れ……そんなことを何度か繰り返した。

 そしてついに、玉丸が大きな霧のかたまりを抜けると、歩道と花畑は渓流で遮られた。きらきら光る川面に玉丸の目は一瞬くらんだ。

「どこかしら?」

 立ち止まったフォーリンはきょろきょろと辺りを見回している。

「誰を探してるの?」

 フォーリンは玉丸の方を向いて、しいっと指を口にあてた。静かにという合図だ。

 フォーリンが今度は、まるで鹿のように岩をひょいひょい越えていく。不思議なことに玉丸も、それに追いつけるのだった……。いくつか岩棚を越えて上流へ登っていくと、やがて遠くに“影”を見つけた。上半身はだかの少年が、渓流のなかにしゃがんでいる。

 少年は岩間に向けて構え、何かをつかもうとしていた。気合いとともに少年がさっと手を伸ばすと、次の瞬間には手のひらに、玉丸が見たことないような色鮮やかな河魚がおさまっていた。

 手を振るフォーリンの姿に、少年が気づいた。

 満足げな笑みを浮かべ、少年が玉丸の方へ魚を掲げて向かって来た。足取りは軽く、運動神経が良いことを思わせる。

「簡単だと分かっていても、それが出来たときはうれしいもんだね」

 体に水滴をしたたらせ、少年は言った。

「ここの魚は大きな敵がいないから、動きが鈍いんだ。おまけに派手な色をしてるから見つけやすい。でも、食べるとおいしいんだよ」

 フォーリンは魚を少年から受け取って、微笑みを浮かべた。その魚も玉丸には種類が分からない。

「あの……僕は」

 初対面だからという理由を含めて、玉丸の心臓はどきどきした。この少年もフォーリンに感じたように、美しいのだ。霞玉丸は少年を見て一瞬、峠三三を思い出した。雰囲気が似ている。こちらの少年は若干、年齢は上のようだったが。

「ぼ、僕は、霞玉丸……」

 少年は長い髪を上げ、豊かな唇をにっこりさせて、笑みを浮かべた。優しげな顔立ちは女性的に整っており、日に焼けた上半身は、顔立ちとはアンバランスに筋肉質だ。素足に(奇妙なことに)ぼろぼろの学生服ズボンをはいていた。

「ようこそ、エンテレケイアへ」

 少年が玉丸に手を差し出した。

 玉丸は自然と、少年と握手した。そうさせる魅力があった。

「ぼくは心郎(こころう)」

「ココロー? ……不思議な名前だ」

「玉丸くん、きみはここを1225番目に訪れた地球人だ。1224人目からずいぶん待ったよ。……きみは、ここに永住してくれるかい?」




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