第15話 エンテレケイア

 うたたねから醒めたように、うっすらと目を開けると霞玉丸は花畑にいた。

 辺りは、虹が舞うような色鮮やかな輝きに満ちていた。

 玉丸は大理石のベッドから身を起こすと、信じられない想いで辺りを見回した。

「ここは……?」

 色とりどりの花畑がずっと続いているようだった。遠くにはうっすらと霧が舞っている。その霧の向こうは、見たことのない山がそびえ立っている。玉丸は花の種類をあまり知らなかったが、ここには世界中のあらゆる花が、季節に関係なく咲いているようだった。

 さまざまな色にあふれていた。

「僕は……」

 ほんの数秒前には起きていたのに。

 玉丸はベッドからおり立つと、花のなかをしばらく彷徨った。外国の高原に立っているようだ。どこなのか全く分からない美しい花畑。

 しかし、あまりにも広大な風景が、どこか恐怖を感じさせた。どこにも壁や出口らしいものは無い。

「どうやら僕は、またさらわれてしまったらしいぞ」というのが、最初に頭に飛び込んできた考えだった。

 あの銀色たちがまた現れるのだろうか? 暗い不安がむくむくと雨雲のように胸に立ち込める。

 もしやと思って紺万太と霞笑子の姿を探したが、見つけることはできなかった。二人を呼んでみたが、応答も無い。

「どうして、こんなところにいるんだろう?」

 ……思い出せない。

 銀色たちの姿が現れる気配はない。心臓の鼓動も落ち着いてきた。

 玉丸は拍子抜けしたように、へそのあたりをぼりぼり掻くとベッドまで戻った。一瞬これは夢かも知れないと考えた玉丸は、ベッドをこつこつと叩いてみた。硬く、ひんやりとして存在感があった。

 そのとき、さくさくと足音がした。背後に気配を感じ、玉丸は緊張とともにさっと振り向いた。

 まるで花畑から生まれたような、髪の長いほっそりとした少女が立っていた。

「あなたは……誰?」

 体にぴったりとしたフィットとした宇宙服のようなものを着た少女。銀色たちとは似ても似つかぬ女の子だ。玉丸は恐怖とは相反した緊張を覚えた。

「あ、あう……」

「?」少女が首を傾げた。その仕草がどこかエレガントだ。

「ぼ、僕は……か、霞。霞玉丸っていうんだ」

 あたふたしながらも、なんとか玉丸は答えた。

 少女の目はまるで鏡で出来ているようかのように、花畑の色を反射していた。美しいのだが、瞳の色がはっきりとそう分からない。輝くようなまっすぐの金髪。しかし、外国人のようには感じない。歳は玉丸とちかい気がしたが、学校には絶対いないタイプに思えた。

 今まで出会ったこともない少女を目の前にして、玉丸の心臓は早鐘を打ち始めた。玉丸は普段からあまり女の子とは口をきかない。きかないというより、きけないのだ。笑子は兄妹だからという理由でそれなりに話はできるが、それは笑子を女性として認識していないからかも知れない。

「面白い名前ね」

 少女はくすくすと笑った。笑顔も魅力的で、玉丸は目の前の少女の自然な美しさに圧倒された。腰まで届くウエーブがかった黒髪(あれ? 金髪じゃなかったっけ)。あまりにも均整が整った顔立ちとプロポーション。東洋系とも西洋系とも判別しにくい人種に見える彼女を、「ギリシャ彫刻が動き出したらこんな感じなのかな」と玉丸は考えた。

「ごめんなさい、名前で笑ったりして」

「い、いや……いいんだ」

 よく見ると少女の胸にはうっすらと乳首のかたちがうかがえるではないか。玉丸は胸に火が焚かれたように感じ、さっと視線を変えた。自分の顔は見えないが、赤い色を通り越して、今は紫色になっているに違いない。

「かすみたままる、ね。やっぱりいい名前だわ」

 少女が玉丸の名を繰り返した。

「あ、ありがとう。でも、みんな“玉”とか。玉丸~とか、呼び捨てにするよ」

 玉丸はなるべく少女と目を合わせないように答えた。とても顔を向けられなかったのだ。

「ここへ来ることが出来る人は少ないのよ。ようこそ、霞玉丸くん。“我われ”の名前はフォーリンよ」

「フォーリン?」

 澄んだ川が流れるような声で少女はそう言うと、腰まで伸びた髪をまとめて、背に預けた。長いまつげの奥に輝く大きな瞳を玉丸に向けると、少女はまた笑った。今度は知り合えたことを嬉しがってるようだ。細い顎が小刻みに揺れる。玉丸は自分がだらしなく寝間着を着ているのに気づくと、顔を赤らめて着物のすそを直した。

「ご、ごめん。さっきまで部屋で寝てたはずなんけど、どうやってここに来たのかさっぱり分からない……」

「そうなの?」

「でも、こんな広くてきれいな花畑ははじめて見たよ」

 玉丸は辺りを見回して思った。美術の授業の時、玉丸は想像画を描けと言われて、花畑を描こうとしたことがある。いろんな絵の具を混ぜて、色とりどりの花をキャンバスに並べるつもりだったが、……それは失敗してしまった。絵の具は混ぜるたびに汚く、黒に近づいていったからだ。

「褒められると、嬉しいわ」

 フォーリンが言った。

「……花はどんなに重なっても、汚くならないんだね」

 玉丸は美術の授業を思い出して呟いた。遠くの霧はゆるゆると波打ち、時おり果てなく続く花畑をかいま見せた。花畑は様々な色の花が咲き乱れているにも関わらず、完全な調和――一個の生き物に思えた。

「そうよ。本当にきれいなものは、いつまでもそのまま」

 フォーリンは答えた。

 なぜか玉丸は孤独を覚えた。見たこともない場所に居て、知り合いは誰もいない。なぜここに、どうやって来たのかも分からない。不思議で、奇妙なことばかりだ。この美しい少女との遭遇も、何か不吉の前触れの気がした。

 わずかに深呼吸して、玉丸は少女に言った。

「ここはどこなの……?」

 フォーリンは玉丸の目を見た。その瞳は霧を反射して真っ白だった。

「ここは、エンテレケイア」




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