第13話 汚れた眼鏡

 夜がちかくなっていた。蛍光灯が一つしかない部室は暗く、峠三三が話したことばの重みが、ずっしりと霞玉丸にのしかかってきた。

「僕は、そいつら……宇宙人にさらわれたのか……」

「玉丸君の身に起こったことが、いま僕が話したことに似ていると説明しただけだよ」

 三三の優しげな瞳も、玉丸に安心を与えてくれなかった。

「だけど、僕をさらった連中は身長が1メートルなんてことはなかった。少なくとも大人ぐらいはあったよ。あちこち食い違いがあるし……なんだかその……僕にしようとしていたことに悪意を感じたんだ……ひどい連中だった」

「僕が話したことは、ほんの一例だ。他にも誘拐例はあり余るほどあるんだ――それをアブダクションという」

 峠三三は壁の本棚を見回して言った。

「良かったら、他の資料を探してあげる」

「宇宙人はこの僕を……どうしようとしたんだろう?」

「それは分からない。だけど、“かれら”との接触をきっかけに、毎週ごとに必ずさらわれた人もいるらしい」

 玉丸の顔から血の気が引いた。

「いやだ! 冗談じゃない。またさらわれるなんてまっぴらだ。何が目的なんだろう? どうすればいい? どうすればそいつらを近寄らないようにできる?」

「ほとんどそれは不可能らしい。ある人は何度も引っ越しを続けたそうだけど、必ず見つけられたそうだ」

「そんな……」

 玉丸は愕然となって硬直した。

 玉丸を襲った銀色たちは、紺万太によって全員が壁に埋め込まれてしまった。かれらはもう生きているようには思えなかった。

 しかし、銀色たちの仲間はどこかにいて、また玉丸の前に現れるのだろうか?

 いつの日かまた、気づいたときはあの気味悪い壁の一部にさせられることになるのだろうか?

 いつの日か――ではない。今夜かも知れないのだ……今から、数時間後のことかも知れない。

「どうすればいい? どうすれば?」

 玉丸はおろおろして三三に詰め寄った。

「僕はいやだ。もう二度とあいつらには出会いたくない。あんな気持ち悪いやつらに無理矢理さらわれるなんてまっぴらだ!」

 玉丸のうろたえが感化されたかのように、三三と点吉は目を合わせ、同情するかのような顔をした。

「あははは……!」

 いっとき重くなった空気のなか、霞笑子が高らかに笑い出した。

「バッカねー玉ちゃん。そんなことがあたしらに起こったはずがないでしょ。三ちゃんがあまりにもリアルに話すもんだから、すっかり玉ちゃんビビっちゃってるじゃない。宇宙人? 誘拐? なにが何だか知らないけど、みんなそろってテレビの見すぎよ。そう言えばそんなUFO番組がテレビでやってたわ。みんなそれにだまされてんのよぉ」

「だけど、報告例はたくさんあるんだよ」

 三三は言った。

「世の中には嘘をつく人がたくさんいるのよ、三ちゃん。特に、嘘をついてみんなの注目を浴びたがる人がね。ネットやSNSにはそんなのが溢れてる」

「報告例を出すのは、正直で有名な人や異星人のイの字も考えたことがないような人たちばかりなんだよ」

「そんな人に限って、もの珍しい夢を人に報告したがるもんなのよ!」

「一から十までが嘘だ、ということもないはずだよ。そんな目に遭った人たちが、なぜそんな事を言ったのか調べることが大切だ。最初から嘘だと決めてかかったら、何も証明することはできないだろう」

「あたし、そんな人たちのたわごとに付き合うほどヒマじゃない!」

「でも……」

 珍しく三三が食い下がる。性格穏やかで知られる峠三三が、ここまでムキになるのを玉丸は初めて見た。

「三ちゃんの言うことは分かるわよ。でも証拠は、何もないでしょ。玉ちゃんの話だとあたしが手術……耳に針を刺されたそうだけど、そんな痕は残ってないしね」

「でも、玉丸君の話だと、きみの頭にはパチンコ玉のようなモノが残されたらしいぞ」

「レントゲンでも撮ってみる? あはは……ばかばかしい。玉ちゃんが変なこと言うからみんな本気にしちゃってるじゃない。もういい加減にしてよ……第一、そんな連中があたしと玉ちゃんをさらって、何のメリットがあるっていうのよ」

 笑子はわざとらしく伸びをした。

「あーあ、玉ちゃん。人を説得するには証拠がいるのよ。こんどそいつらに遭ったら写真を撮るのね。あ……こんな壁に貼ってあるような、うさんくさいモノじゃ駄目よ。ちゃーんと、玉ちゃんと宇宙人が握手しているようなモノをね。あははは……それじゃ!」

 笑子はそれだけ言い残すとさっさと部室を出ていってしまった。廊下から高らかに笑う笑子の声がしばらく響いていた。

 玉丸は急に取り残された感じがした。

 笑子の言ったことはもっともだ。兄妹が銀色たちにさらわれたという証拠は、玉丸の証言以外何もない。おまけに玉丸のハナシの後半は、紺万太の登場を削除せねばならないため、説得力の欠けたものとなっている。

 唯一の望みは笑子の頭に残されているはずの小さな球体か?

 ――だが、それを確かめるために笑子がわざわざレントゲン写真を撮ってくれるとは思えない。

 玉丸はすっかり気落ちして部室を出る準備をしかけたが、それを押し止めたのは三三だった。

「玉丸君、僕はきみと笑子ちゃんとは小学校からの付き合いだ」

「うん……」

「だから、きみがどういう人間かはよく知ってる。嘘をつくような人じゃないし、きみが話した出来事も、この「円盤部」では充分調査するに値するモノだ。きみのハナシが少しおぼろげなのが残念だが、きっと理由は見つかるよ。がっかりしないでくれ」

「ありがとう」

 こう答えたが、三三が玉丸の話をどこまで信用しているかは分からなかった。三三は持ち前の優しさで慰めようとしているのかも知れないし、本当に玉丸の話を信じてくれたのかも知れない。

 笑子が去ったことで再び静かになった部屋に突然、ぎぎっと金属がきしむ音が響いた。点吉が汚れた眼鏡を拭くために、傾いた椅子の上で小太りの体を移動したのだ。点吉は改めて眼鏡をかけると(それでもたいして綺麗にはなっていなかった)、玉丸の方に身を乗り出してこう言った。

「……僕は……信じる」

 いつもたどたどしい点吉のことばが、このときははっきり聞こえた。

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