第8話 本性と偽り

「そっちへ行ったぞ! 玉!」

 え?

 一瞬、“玉”ということばで、誰かが自分を呼んだだけなのかと思ったが、それは違った。宙を浮かぶバスケットボールが、こちらへ向かっていたのだ。ボールは両腕の間を通り抜け、霞玉丸の横っ面を直撃した。

「……何だ、また玉丸かよ!」

 そう聞こえたが、視界が真っ暗になった玉丸には、誰がそれを言ったのかはわからなかった。

「また、玉丸かよ」

 そのことばは玉丸が地面に転んで意識を失う前に、玉丸の心を傷つけた。


「情けねえなあ……」

 霞玉丸が目覚めると、紺万太の声が聞こえた。

 ずきずきする頭を抱えてようやく起きあがると、自分がジャージ姿のままであることに気づいた。ポケットには砂が入っていた。なぜか右手は、校庭の砂をしっかり握りしめていた。保健室の床に砂がぱらぱらとこぼれる。

「……ああ、そう言えば体育の時限だったっけ」と玉丸は思った。

 うっかりしている間に、誰かの投げたバスケットボールにぶつかってしまったのだ。

 玉丸は、体育という授業が苦手だった。その感情は、あらゆる運動と名の付くものを“憎んでいる”といってもいいものだ。いわば運動音痴。玉丸は運動神経がすこぶるよくない人間のひとりで、球技などのチームプレーが求められるスポーツは特に苦手だった。

 今回の授業では、あまりボールに触れることもなく適当に動いて、試合の終了――つまり授業の終わりを、今か今かと待っていたのに……誰かにとって玉丸は、ボールをパスし易い位置にいたらしい。

 玉丸は予期せず飛んできたボールを、顔面で受け取ってしまったのだ。よりにもよって、気絶するという醜態をさらしてしまった。

 名前に“玉”とあるからって、球技が得意なワケじゃないんだけどな……。

「また、玉丸かよ」

 ズキッとすることばだ。以前も似たようなことがあって、意識を失ったのだ。ただでさえ運動音痴のレッテルが貼られているのに、人前でまた気絶までしてしまったとは……恥ずかしくて、穴があったら入りたい。これをネタに、いじめられたりしないだろうかという小さな恐怖も生まれる。

「せっかく俺がパスしてやったのに、顔面で受ける奴があるか」万太が言った。

「おまえかよ……よけいなことするなよ」

 それは玉丸の本心だった。万太は良かれと思っているのか、玉丸と同じチームになると必ずボールをパスしてくれたりする。本人はそれを友情のあらわれと思っているらしかったが、本当に友情があるなら試合終了まで放っておいて欲しかったのに、と玉丸は思った。

「玉丸って名前なのに、球を操れなくてどーすんだ。ただでさえトロくて、ボールにさわる機会なんて滅多にないんだから。貴重なシュートチャンスをやったのに……」

「……それが余計だって言ってんだよ」

 名前に“玉”とあるからって、球技が得意なワケじゃないんだ……。

「あの連中のことでも、どーせ考えてたんだろ」

 玉丸が頷くと、万太は溜息をつきながら立ち上がった。保健室には他にも生徒がおり、万太はひそひそ声で話しかけてきた。

「玉丸、あのな。忘れろよ。もう二度と現れねえよ」

 万太はあまり昨晩のことを語りたくないようだった。

「僕は、あの銀色たちが何をしようとしていたか……知りたいんだ」

「あんなけったくそ悪い連中が何を考えているかなんて、俺は少しも知りたくねえ。おまえ変わってるなぁ」

「そうかな?」

「そうさ。おまえはスポーツもダメだし、……かといって勉強が出来るかと言えばそうでもない。ただでさえどっちつかずの変わったやつなのに、変なことばかり知りたがる。得意なことと言えば、授業中にノートのスミに落書きするくらいなもんだ。いいところは全部、妹の笑子に吸い取られちまったんだな」

「はっきり言うなよ」

 そう言いながら玉丸は、超能力を持ってるおまえほど変わちゃいないぞ、と心の中で万太に言い返した。

「俺が投げたボールだったから心配してみたが、どうやら何事もねぇようだな。いつもの変な玉丸だ。安心したよ」

「心配してくれたのか? 気味が悪いな」

「バカ、ここに来たのはついでだよ。俺、午後いなくなるからよ」

 そう言い残して紺万太は保健室を去っていった。


 紺万太は、午後に学校を早退した。赤坂のテレビ局で、超能力番組の収録があるのだ。

 紺万太はその番組では自称:準主役だった。

 テレビに映るかれは“超能力”を使ってスプーンをはじめ、太さ5センチもある鉄棒を軽々と曲げるのを得意とする「今世紀初の超能力少年」だった。

 ちょうど都市伝説のブームから派生した、オカルトブームが再燃しており、どこから聞きつけられたのか、紺万太は“超能力少年”としてテレビに出演するようになったのだ。

 ……と言っても、これは紺万太の“本来の能力”にとって造作もないことであることを霞玉丸は知っていた。万太は自分のちからを隠すため、わざとユーチューブやネット番組、そしてテレビに出演し、鉄棒を苦心して曲げる“演技”をしているのだ。

 本当の万太は、5センチどころか5台の自動車をねじり壊すことができる。

 万太を最初、世のメディアに売り込んだのは万太の両親だった――と霞玉丸は聞いたことがある。なにしろ万太の念動力に、一番手を焼いたのは両親だったかららしい。

 紺万太は“悪ガキ”という言葉では、有り余るほどの超・問題児だった。

 人の言うことなど聞く耳は持たず、言うことを聞かせようとする人間は、必ずといっていいほど万太の「仕返し」や「逆襲」――まぁ、そういった“報復”を受けた。

 紺万太はひとの言うことを聞かないのだ。両親のことばさえもロクにきかない。

 かつて万太に逆らった者は、頭上に突然テレビが落ちてきたり、いきなり足の骨が折れたり等など……不幸が襲った。

 万太は徹底したサディストだった。

 いま霞玉丸が通う中学校の生徒で、紺万太の「報復」を受けたことが無い生徒を探すのはむずかしい。

 テレビに登場することで有名になった万太に近づこうとした者は、かれのまばたきひとつでいきなりガラス窓に突っ込まされたりした。ひどいときは、学校の保健室ではけが人がおさまりきらず、救急車が出動したこともあった。

 “事件”が次々と起こった。でも、騒ぎになっていない。

 万太がこの学校にのうのうと通っている理由は、二つある。

 ひとつは学校そのものが、両親の所有物であるらしいのだ。万太の父親はこの矢河原中学校の創立に、多額の寄付をしたこともあり、市にも毎月多くの寄付金を出している。万太の父親はさる大手の電気メーカーの社長であり、母親はその会社の創立者の娘らしいのだ。

 いわば両親はこの町の立役者らしい。

 万太の両親の機嫌を損ねた何人かは、即座に町から追い払われたそうだ。ネットやSNSでの訴えも、両親が雇っている弁護士のちからによって、即座に削除されるらしい。この町で万太の両親に逆らう者はいない。

 ふたつ目は、万太自身が巧みに事件の被害者をも装うことだ。万太の機嫌を損ねた生徒は、次の瞬間には割れた窓ガラスのシャワーを浴びたりするのだが、万太は偶然そこに居合わせたのごとく、自分もシャワーを浴びせてみせる。もちろん、ケガをするのは万太の機嫌を損ねた生徒のみ。万太は、ガラスの破片が自分の体に傷をつけるような真似は、当然ながら絶対させない。ガラスは万太の肌に触れる瞬間に、ミクロサイズにまでこなごなに砕けてしまう。

 ガラスのシャワーがおさまった後、万太は「大丈夫か?」等と声をかけて傷だらけの生徒を保健室へ連れていく。

 誰も万太の“超能力”がそんな事件を起こしているとは気づかない寸法だ。

 しかし、「紺万太に近づくと、ケガをする」という噂が、万太に近づこうとする生徒の数を減らしていった。

 テレビに出ていようと、いまでは万太に近づく生徒はほとんどいない。教師でさえも、授業中は滅多なことでは万太を指したりはしない。

 本人は好かれてないことを何とも思ってない。

 万太は意識してかそうでないのか、学校を自分の家の庭のように感じている。そして万太にとって、生徒たちは雑草程度の意識しかない。いつでも「気に入らない草はひっこぬける」と思っている。

 紺万太はいやなやつだ。そして、嫌われものなのだ。

 しかし、なぜか霞玉丸は、紺万太に近づくことが出来る。

 ニュート(無効者)であることに加え、なぜか万太は玉丸が“お気に入り”なのだ。本人の口からもそう聞いたことがある。まるでペットのような物言いが好きじゃないが、紺万太がそばにいることで、誰かのいじめの標的にならないのはありがたい。

 紺万太がいつ、霞玉丸はニュートだと気づいたのかは知らない。ひとつ言えることは、万太もかつて玉丸を他の生徒と同じように吹き飛ばそうとしたが、それが出来なかったということだ。

 万太はいつしか玉丸を“親友”と呼ぶようになったが、それがいつからだったか玉丸には思い出せなかった。 



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