第7話 名誉の負傷

「笑子の傷が治っていたのは、耳に残っている玉っころの仕業だろうな。あれは埋め込まれた人間のケガを治しちまうんだろう」

 紺万太が言った。

 玉っころというのは昨晩、銀色たちが霞玉丸の耳に埋め込もうとした球のことだ。

「おまえは、俺が間一髪で助けたんだから、キズが残っているのはしょうがねえよ。ま、名誉の負傷だな」

「だけど、笑子は何が起こったのかも覚えてないんだ」

「あの銀色たちは、記憶を奪う術を持ってるんだ。あの玉っころの影響かも知れないな」

 万太はさも興味なさそうに答える。

「だけど、僕ははっきり覚えている。忘れようと思ったって、忘れられない。あの気持ち悪い底なしの目、それに全身の銀色ずくめの変な服」

 玉丸は昨晩の出来事を思い出して身震いした。あんな壁に埋め込まれるような経験はもうまっぴらだ。

「あいつらはいったい何だったんだろう? 僕に何をするつもりだったのかな?」

 そんな玉丸の問いに、万太は頬杖ついてあくびまじりに答えた。

「玉丸~。そんな話、他の人間にするなよ。……誰も信じちゃくれないからな」

「どうして?」

「どうしたもこうしたもあるか。誰が“僕はさらわれました”って話を信じるってんだ? 今、こうして学校に来ているのに。僕をさらったのは銀色のスーツを着た変な生き物たちです、とでも言うのか?」

「だけど、誰かにこのことを話さないと……」

「誰に話すんだ。先生か、友達か? よせよ。双子の妹が信じなかった話を誰が信じるって言うんだ。そりゃ面白おかしく聞いてくれるとは思うぜ? だけど頭の中じゃ、バカじゃないのか? って思われるのがオチさ」

「そうかな……その通りかも知れないけど」

 紺万太に説得されると、気が弱い玉丸はそう感じた。

「僕にも昨日のことがいまだ信じられないぐらいだから……」

 玉丸の心はうずうずしていた。人生に突然起こった災厄に、収まりがつかないのだ。誰かに話したくてたまらない。

「やめろよ、玉丸。俺たちだけの秘密にしておこうぜ。どうせ、もう二度と会うこともねぇよ」

 紺万太はくくっと笑った。きっと銀色たちを自分の能力で壁に埋め込んだことを思い出しているのだ。

「だけど、またやって来て欲しい気もするな。今度はどうやってふっ飛ばしてやるか……」

 始業のベルが鳴り、万太はそのままにやにや笑いながら自分の席に戻ってしまった。

 授業が始まった。

 玉丸はほとんど授業に集中できないまま、昨晩の出来事を思い出してみた……。奇妙な暗い部屋。不気味な銀色たち。囚われた霞玉丸と妹の笑子を紺万太が、どうやって知ったのか助けてくれた。

 矢河原中学の生徒である霞玉丸と紺万太は同じクラスメイト。だが、この教室のなかで万太がまさか本当に“念動”を使えるとは玉丸以外、誰も知らない。万太はその超能力で銀色たちをなぎ倒してしまった。玉丸は、万太の超能力でベッドの拘束から解かれた直後、部屋全体が傾いたのを感じた……そこまでの記憶がある。

 ぶるぶる部屋全体が振動していた。

 その振動も小刻みなものから、どんどんひどくなっていった。

 地震にしては揺れが変だ。まるで……

「どうしたんだ? 部屋が変だ……」

 下階へ向かうエレベーターに乗っている感覚があった。それも質の悪いエレベーターに……。

 不安が胸の内にこみあがってくる。

「その通りだ、玉丸。パイロットのいないジェット機なんだ」

 万太が頭をかきながら、平然と答える。

「どういうこと?」

「バカだな、おまえは。今まさにこの船は、ふわふわと漂ってる状態なんだよ」

「船?」

「船といっても海に浮かんでいるんじゃないぜ。ここは空の上だ」

 万太は続けた。

「乗組員はみんな俺がのしちまったからな。当然、船を操縦する奴もいなくなったのさ。ははは……!」

 万太はかすれた声で笑った。

「笑い事じゃない!どうするんだよ」

「落ち着けって」

「どうしよう。どうするんだよ。死んじまうよ! 笑子は? みんな道連れだ」

「死にゃしねえよ。この船はぷかぷか浮くようになってるんだ。風船みたいなもんだ。今は誰にもコントロールされてないからこうなってるだけさ。玉丸、笑子は隣の部屋だ。来い。そこに出口もある」

 万太は玉丸にそう言うと、指をぱちんと鳴らした。途端に、万太を招くように壁に穴が開いた。

「この船はどうするんだよ!」玉丸は万太の背中に叫んだ。

「いったい誰が、風船の飛んでいった先を考えるんだ?」


 そこから先は、あまり覚えていない。万太が霞笑子を肩に抱えていたこと。窓からすごいスピードで街が空へ昇っているのが見えたことだけが、うっすらと玉丸の記憶にあった。ようやく外に出られたときに吹き込んできた風の強さを思い出した。とても冷たい風だった。

「まさか船の外へ、三人一緒に飛び出したのか?」

 そんなまさか、と玉丸は思った。いくら紺万太といえど、空を飛べるはずはない。そこまで神様は、ひとりの傲慢な少年の遺伝子に特別サービスはしないはずだ。

 ……だが、どうやって?

 玉丸は万太にその点を聞き出したかった。そして何より、自分がどうしてあの災厄、つまり銀色たちに出会うことになってしまったのかを知りたかった。しかし当の万太本人は、教室の窓側の隅で気持ちよさそうに惰眠をむさぼっていた。

「ちぇっ! 人の気も知らずに」

 それからの授業も全く集中出来なかった。

 頭の中では昨晩の出来事を誰に伝えるのがいちばんかと考えていた。

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