八、毎日
映画を見に行ったら僕が出ていた。ていうか、僕の映画だった。朝起きて学校に行き、帰ってきて遊ぶ。そんな毎日が綴られていた。
ああ、夢なんだな。クッションのきいた、ひじ掛けを独り占めできるゆったりとした座席に座ってスナックをつまむ。夢だからこんなスペシャルシートを使える。
気持ちよくなって居眠りをした。起きたらまだ続いていた。中間テストを受けている。あせって消しゴムをかけたものだから解答用紙を破ってしまった。音でクラスのみんなが笑い、先生も笑いながら代わりの用紙をくれる。
観客も笑う。七分ほどの入りにしては大きな笑い声になった。
スクリーンの僕は帰宅するとネットの番組を見始めた。テスト期間中は控えていたのだ。ドラマやアニメ、お笑い。スマートフォンをぽちぽちやりながらだらだらと見ている。そういう自分を観客として見るのは気恥ずかしい。もっと他にすることはないのかと、いつも母さんにいわれているお説教をしたくなった。
この夢の映画は僕のすべてを映している。トイレや風呂も例外ではない。また、僕はそういう年ごろなので、自分で自分を性的に癒す行為もする。そういう時、僕以外の観客はちらちら見ながらも大半は下を向いていてくれる。それでも居心地はよくない。中座したくなるけどがまんする。僕の映画だから。
そういえば、これは僕の夢の映画だから僕がいるのは分かるけど、ほかの観客はなんなのだろう。そう思ってまわりを観察してみた。
「次、教室移動だっけ、第一?」
「そ、でも工事中だから第二の方」
それは違う、と思ったが声には出さない。教えてやるほどの親しさじゃない。僕は教科書や筆記用具をまとめて教室を出た。
しかし、第一にはまだだれも来ていなかった。配線の工事はテスト期間中に終わっているはずなのに。まちがっているのは自分かも。教室変更はまだ続いているのか。
第二にまわってみると女子が数名いた。こちらをちらりと見てまたおしゃべりにもどる。
「あれ、まだこっちだったっけ」
とぼけていってみるが、だれも返事しない。いつものことだ。その時、さっきの二人が来た。
「おい、第一だってさ。工事終わってた」
第一を出る。結果的に僕はまちがえた。二人と女子は笑いあっていて、僕は抜かすこともできずについていった。
実験室を使うのに、実験するのは先生だけだった。火や危険な薬品を使う実験は生徒にはさせてくれない。それでもよそと違って映像学習でないだけましだった。
炎色反応はきれいだが、教科書にある色の名前と実際のとはどこかずれている。ナトリウムとかカリウムはそれ単独で見たら絶対わからないと思う。ほんとは波長とかを検出できる機械の目を通さないといけないのだろう。でもわかったことにしておく。いつまでもこだわっていると先に進めない。花火職人になるつもりもないし。
右の方には分厚いコート?を着た男性がいた。コートじゃないかもしれないが、いまの薄明かりではコートに見えた。大きい目がひとつしかなく、泣いていた。スクリーンの僕はおやつを食べている。煎餅がばりばりと音を立てていた。一つ目男は時々ハンカチを取り出して拭いている。そのまま持っておけばいいのにいちいちきちんとたたんでズボンのポケットに戻している。だから取りだしと片づけのたびに体をもぞもぞ動かし、ごそごそと音を立てていた。
そのたびに前の席からうっとうしそうに振り返る女性がいた。三つの目が光っているが、一つ目男は気づいていないのか無視なのかまったく相手にしていない。そういうことが数回あった後、また振り返った三つ目女は小さくうなると目を一個取りだして投げつけた。三つ目女の目が大きさと配置を変えてふつうの人間の目になった。一つ目男も顔に当たった目を取り込み、目が二つになった。
元一つ目男は耳まで裂けた口でにっこり笑った。元三つ目女もほほ笑む。すると元三つ目女は背もたれを乗り越えて元一つ目男のひざに座った。その後、見慣れてはいるがしたことのない行為が始まった。部屋で一人で見る類の動画の行為だった。
目をそらし、スクリーンを見ると僕は宿題をやっていた。右から聞こえるあえぎ声とペンの走る音が重なった。
手をまったく動かさない実験の授業が終わった。トイレに行く。大きい方だ。この学校の良い点は大きい方でも堂々とできる雰囲気があることだ。屁だってはばからずにする。
ただし、いい所はそこまで。ほかに数えられるような良い点はない。休み時間は十分だけど、何もしない十分は長い。
「なに見てんの?」
この質問は質問じゃない。人を退屈しのぎのおもちゃにしようというのだ。
「ニュース」
できるだけ素っ気なく答える。波風立てるつもりはないが、おもちゃになるつもりもない。そういう気持ちを含めた。
なのに、そいつは僕の手からスマートフォンを取り上げると画面をつつき始めた。返せよ、と手をのばすが、いつの間にか集まってきたやつらの手を渡っていく。
「こいつ、こんなの見てる」
そういって女の子に見せると、その子の顔が嫌悪にゆがむ。帰ってきたスマホの画面にはそういう動画が再生されていた。
スマホを取り返し、履歴を削除する。いつものことなので慣れた手順だ。おかげでクラスの女の子には最低野郎と思われているらしいが面倒なのでいいわけはしない。この状況で僕がそういう動画を見ていたと思えるのならそれでいい。
僕は宿題を続けている。スクリーンよりほかの観客の反応を見てみた。このシーンはじっと真剣に見られている。カットは部屋全体を見まわし、僕の表情をとらえ、教科書やノートを映した。
見ていると証明の導き出し方にまちがいがあった。いけない、と思ったが、それは周囲も同様で、ため息や失笑がもれた。映画なんだから思いっきり笑ってもらったほうがいいのだが、客たちは画面の僕を邪魔しないようにしてくれているのだろうか。
さっきのコートの男と女はもう行為を終えていたが、女はまだひざに座っていた。こんどは左隣りを見ると、長い髪の人がいた。ゆったりした服を着ていて男か女か分からない。顔もよく見えないが、口は大きかった。とはいっても化け物のようなサイズではなく、大きな口の人、で通るくらいだった。
でも髪の感じが変だった。スクリーンからのちらちらする光では分かりにくいが、艶が違う。ノートをアップにしたとき白い光ではっきりした。青黒い金属光沢を帯びていた。タマムシなどの甲虫を連想させた。
その人も恥ずかしいことを始めた。僕の夢なのだから、これは自分自身の性欲の現れなのかもしれないが、見るのは嫌なのに目をそらせられない。股間に手をやってもぞもぞしている。露出はさせていないので性別は分からない。
その手の動きは映画の僕のペンの動きに同調していた。紙をこする音と合っている。ときどき息がもれていた。自分を見ているようだった。
ノートが閉じられ、宿題が終わったとき、その青黒い髪の人の肩と足が一瞬ぴくんとした。
先生に呼びだされ、クラスの女子からだが、君が卑猥な動画を見ているというのだがといわれた。
「違います」
そういって事情を説明した。
「そうか。クラスのほかの子にも聞いたけど、話が違うな」
僕は黙っていた。証明しようのないことをいいはってもしょうがない。
「なにか付け加えることは?」
「ありません。その時のことはいま全部いいました」
「信じていいの?」
「それは先生次第です」
「君、いっつもそうだけど、そういう話し方はやめなさい」
なにをいらだっているのだろう。僕が話すとたいていこうなる。先生は頭を振った。
「まあいいけど。なにかあったら相談に乗るからな」
一礼して部屋を出た。なにかあったら、か、僕には毎日なにもない。
宿題の後はゲーム。スマートフォンを横に持つ。シミュレーションゲームで敵は骨野郎と竜だった。六角マスに仕切られた土地を行軍する。ときどきアニメっぽい姿と声の女の子が出てきてごちゃごちゃいうが飛ばしている。聞く気がないみたいだ。
両隣はもうどちらもおとなしい。女はいつのまにか前の自分の席に帰っていたし、あの男は一つ目にもどっていた。青黒い髪はじっとゲームのプレイに見入っている。
スマホがアップになる。骨野郎の部隊が襲ってきた。隊長の顔がインサートされたが、クラスの男子だった。だれだっけ、と考える。人の顔を覚えるのは苦手だけど、こいつはスマホを手に手に渡していた奴らのひとりだったように思う。
魔法で敵部隊の勢力を探り、対応できるだけの隊を割くと、僕を含めた本隊は進軍を続けた。いちいち小物を相手にはできないが放置もできないという場合の対応だ。戦闘はオートで。このゲームのA.I.は頼っていい。
思ったとおり勝った。結果だけ見ると楽勝だ。分けた隊が合流し、アニメ調の女の子が報告をはじめようとするがそれは飛ばした。ときどき大きな指が映りこんでせわしなく動いている。
スマホの画面がブラウザに切り替わった。攻略サイトを見ている。この僕はまともにプレイする気はないようだ。腰が痛くなってきたので座りなおした。いつのまにか右のカップホルダーに飲み物があった。覚えがないので飲むべきかどうか迷う。けれどカップをよく見ると自分の名前が書いてあった。まあいいかと思って飲む。いつも飲んでいるブランドの果汁百パーセントオレンジジュースだった。夢のジュースは飲んでも飲んでも減らず、時間がたっても薄まらない。ホルダーに置くごとにリセットされてるみたいだ。
攻略サイトをみた僕は無敵を誇り、敵の竜将軍を撃破した。なんか平和が戻ってきたとか、お姫様がどうたらというエンディングが流れたがやはり飛ばされた。
けれど、それは本当の終わりではなく、二周目が始まった。観客からまた失笑がもれた。映画の僕はゲームをやめた。寝る前に自分を慰めていた。
朝、上靴がなかった。事務でスリッパを借りて教室に入ると皆の目が集まった。机には泥水につけられたらしい上靴が置かれていた。臭いからすると幸いただの泥水で汚物は混じっていない。スマホで撮影してから靴を洗い、机を拭いた。乾くまではスリッパのままだ。クラスはこのことについて無言だった。
「スリッパなのか」
数学の時間。前に出て宿題の解答を書いていると先生が気づいた。
「はい」
それ以上はいわない。いっても無駄だから。それに、数学教師はそれ以上聞かなかった。
「この解き方でいいですが、注意すべき点として……」
上靴は昼を過ぎても湿っていたが、洗ったのでかえってきれいに見えた。
昼休み、もしやと思って靴箱に行ったが、こちらはなにもされていなかった。考えてみれば錠があるし、入口付近には監視カメラもある。それでだろう。
「無視すんなよ」
教室にもどろうとしたとき、肩をつかまれた。さっきから呼ばれていたが、返事などするつもりはなかった。なぜスマホを取り上げて妙なサイトを開くような奴らに反応しなければならないのか。
「呼んでるだろ」
肩の手を振り払う。階段を上がると紙の破ける音がした後、背中になにか当たった。下を見ると掲示を破いて丸めた球だった。もう一段上がるとこんどはもっと固いものが当たった。上靴だった。右。また泥にまみれていた。かがんで拾うと頭に左。それも拾った。
馬鹿にした笑い声も無視し、また靴を撮影した。
「なんでも撮ってんじゃねえよ」
トイレで背中と頭を払い、靴を洗う。奴らはそこまでついてきて水をかけてきた。ズボンがぐっしょり濡れる。スマホは胸ポケットの奥だし大丈夫だろう。
「こら!」
先生の声がした。よそのクラスらしい知らない顔の女の子もいた。奴らは連れていかれた。僕はジャージに履き替えた。用務員室の洗濯乾燥機を使わせてくれたので次の授業が終わるころには履けるようになっていた。上靴も帰るころにはあらかた乾いていた。明日はいけるだろう。
「君、ちょっといいか」
帰り際、先生に呼び止められた。
「いいえ、塾があるので。さようなら」
僕は塾には行っていない。
「じゃ、明日な」
映画は続いている。翌朝は目覚めてすぐ下着を替えるところから始まった。寝る前に出していたのに。
気が付くと観客の数が増えていた。ほぼ満席だ。笑ったり泣いたり、体をもぞもぞさせたり、ささやいたり、食べたり飲んだりしていた。なかには行為を行っている者もいた。一人、二人、あるいはもっと多くで。そのあえぎ声も聞こえてきたが、常にスクリーンの中のなにかの動きと合っていた。歩くリズムだったり、列車の揺れだったり、書く音だったりした。だからそれほど不快ではなかった。映画のBGMのようだった。
僕は進路指導を受けていた。将来やりたいことをいい、そのための学部学科と現在の成績で入れそうな所と、ちょっと背伸びすれば行けそうな所を調べてもらった。候補を出して学費や通学の都合などさらに条件を出して絞り込んでいく。
席で見ているこっちからすればゲームで最強装備を選んでいるのと変わらないなと思った。連続攻撃の槍とファイアボールを付呪できる短剣とどっちがいいか。その武器は竜鱗の盾と氷蟲の鎧と属性が適合するかどうか。そんな感じだった。
進路指導が終わると疲れた様子の僕は廊下で伸びをした。これをもう数回、親も交えて行うと先生にいわれた。
青い空が映った。その瞬間、カット割りが異様に細かくなった。別の映画になったかのようだった。見ているこっちは一瞬なにがなんだかわからなくなったが、すぐに理解した。地震だ。はげしく揺れている。あっちの僕はしゃがみこんでしまった。観客は全員いましていることをやめ、息をのんでスクリーンを見つめている。
天井の照明かパネルがはがれた。画面の切り替わりが激しくてよく見えない。でも、落ちてきたものが僕に当たったのは見えた。客たちは目を覆う。
揺れが収まって先生と生徒が飛び出してきた。僕は意識はあるようだが動けない。どこかでなにかの警報が鳴っている。近く、遠く。
救急隊員がやってきて担架にのせられた。ふつうの映画やドラマならフェイドアウトしていきなり病室のシーンになったりするのだろうが、これは違った。搬送から応急処置、治療、駆けつける両親。すべてを逐一こと細かに追った。傷口を縫うところなど迫力がなさ過ぎるのがかえって現実的だった。
けがは思ったより大したことはなく、その日のうちに帰宅がゆるされた。経過の確認や抜糸のための通院予定を組んだ。治療のガイド、通院案内、塗り薬、化膿止め、抗生物質、薬で胃が荒れたときの薬など諸々を渡された。
翌日以降、学校は損害の調査と修復が終わるまで短縮授業になった。
「あーあ、これで夏休み何日かつぶれるな」
「地震の被害ってこういうのもあるよな。おっ、もういいの?」
登校すると、クラスの皆が僕に話しかけてきた。やはりこういうところは夢だな、と見ている僕は思う。
「いい。なんでもないし。縫っただけ。それでさっきの話、夏休み短縮って?」
「まだ通知はないけど、短縮の期間からしたら残りで七時間目まで授業しても取り返せないんじゃないかって。だから休みに食い込むよなって噂」
「ああ、ならしょうがないか」
翌朝、登校してすぐ先生につかまった。なにもいわれなかったら放っておこうと思ったのだが、相手は真剣で、一時間目を潰すつもりだった。
「そういうことをされる心当たりは?」
相談室で一通り事実関係を話すとそういわれた。先生は分かっていることを確かめた様子だった。きのうのうちに色々と調べていたらしい。
「ありません」
「私は、君が受けた行為は世間一般でいうところのいじめだと考えています。そして、いじめが横行していた点について、まず私からお詫びしたい」
先生は頭を下げた。また、ここでの相談の結果も含めて両親にも知らせ、その席では改めて自分と校長からお詫びしたいとのことだった。
「いじめを許すつもりはないし、この状況は改善します。加害者については出席停止とクラス替えを検討中です。加えて君やご両親が公の処分を望んだ場合、裁判の結果次第では退学もあり得ます。君自身も必要であればカウンセリングなど手続きできます」
僕はちょっと考えていった。
「お詫びもカウンセリングもいりません。それに、親に知らせなくてもいいです。これはいじめではありません。おふざけが度を越しただけです」
先生は驚いた顔になった。
「どういう意味?」
「言葉通りの意味です。僕はいじめだと思っていません。クラスには色んな奴がいます。歳にしてはちょっと幼稚なのもいます。それをいちいちいじめとか大げさにしたくありません」
「そうはいうけれども、客観的には明らかにいじめであって、学校としては隠蔽は行いたくないのですが」
「隠蔽にはならないでしょう。いじめかどうかは受けた本人が決めるものです。僕は体も心もなんの被害も受けていませんよ」
僕を見る先生の目は、まるで道具市で湯呑みをあれこれひっくり返して調べているようだった。
「仕返しについては心配無用です。学校は生徒を守ります」
「それは怖くない。怖いのは僕の感じた気持ちと無関係に事態が大きくなっていくことです。いじめでもなんでもない悪ふざけがいじめとして拡がっていくのは嫌ですね」
いじめだ、そうではないという押し問答が何回かあった後、先生があきらめたようにいった。
「では、いまの君の話を校長や他の先生たちに報告して再度対応を検討します」
「両親にも伝えないでください」
先生は疲れたようにうなずいた。「でも、なぜ?」
僕はなにも返事しなかった。もういうことはない。いってもしかたがない。
劣った連中と意思疎通をするつもりはない、というのが僕の本音だった。そして、いじめはコミュニケーションの一種、それもかなり歪んだもの、と考えられる。けれど、どうせそこの所はだれにも分かってもらえっこない。
謝罪や反省なんかいらない。ただ放っておいてほしいだけなんだ。
どうしてそんな簡単なことがわからないんだろう。
映画では、短縮授業のせいで遅れが心配になったので、僕を含めたクラスの有志が自主勉強会を立ち上げようとしていた。先生も賛成してくれ、安全が確保された教室の使用を許可してくれた。
教科書を読み、交代で皆に説明する。説明できれば勉強にもなるという目論見だった。第一回はあさって。僕には数学が回ってきた。
どうも映画は僕を明るく友人の多い良い子に描こうとしているらしい。いや、夢なんだからこのスクリーンには自分の願望が現れているのか。とにかく自分とかけ離れた自分を見ているのは尻がむずがゆい。
観客たちもそうみたいで、グループの女の子と冗談交じりでメッセージのやり取りをしているシーンなどではとうとう中座する者が出てきた。たしかに下手な恋愛映画の展開ではある。見ている僕も気に入らない。
そんな観客席の不満をよそに、僕とその子はふつうの友人関係より一歩進んだ。下校は二人で。コンビニエンスストアに立ち寄って菓子を買っていた。勉強会のほかのメンバーも気づいたが、暖かく、微笑ましく見守っている。なんだ、これは。
ただ、女の子には見覚えがなかった。そこは気になった。クラスの子ではない。丸っこくて笑うとくしゃっとなって可愛らしいが、あんな子はいない。芸能人でもない。どこかで会った覚えもない。夢の映画のオリジナルキャラクターなのか。なんだか引っかかる。
しかし、物語の臭さをのぞけば、とてもいい子だった。画面の僕はその子相手だと気持ちのいい笑い方をするし、遅くまでメッセージのやり取りをしていた。
翌日、夢の映画の子について分かった。やはりすでに見ていた。先月からほかの学校との交流を行っていたが、あちら側の代表だった。学校行事を紹介する動画が届き、その子が映っていたのでそうだったのかと理屈が通った。前にちらりと見ていたのが夢に出たのだろう。
分かってしまえばなんということもなかった。夢の女の子などと一瞬でもどきどきした自分が間抜けに感じられた。
学校では返事がわりにおなじような紹介映像をつくるつもりらしい。僕は息をひそめていた。そういう面倒は頭の上を通り過ぎていきますように。そしてその通りになったのでほっとした。
昼過ぎ教室移動があって、帰ってくると机のなかにはゴミや卑猥な本が捨ててあった。いつものように撮って捨てる。それを狙っていたかのようにいつもの奴らがはやし立て、その瞬間しか見ない者たちが僕に対して眉をひそめた。こういういたずらをやる者は馬鹿だと思うが、ほんとうに僕がごみを放置し、不快な本を持っていると思える周りの奴らは大丈夫なのだろうか。やはり『劣った人間』というのは存在するとしか考えられない。
その馬鹿の方のグループのひとりがいう。
「おまえいいかげんにしろよ。そんなエロ本持ってシコシコやってんじゃねえ」
机のなかがきれいになったのを確かめて座った。次は国語だ。
「おい、無視すんなよ。オナニー野郎」
顔を近づけてきた。脅しのつもりなのか。生き物を扱ったドキュメンタリーに似たシーンがあった。口を開いて顔を近づけあう魚。
「返事しろよ」
それでもあるていどの知性はあるので手は出してこない。こっちが先に出すのを待っているのだろう。引っかけるつもりらしいが、まだ授業があるのをわかっていない。僕はただ放っておけばいい。
先生が来て、はったりの馬鹿は自席にもどった。『劣った人間』どももそうした。
「君、後で職員室に来て」
チャイムが鳴った。それが合図であったかのように、先生は僕にそういった。
「何ですか」
「さあ、来るようにってことだよ。担任が」
「じゃあ行きません。用事も分からないなら帰ります」
国語の教師はちょっと困った顔をしたが、「そっか」とだけいって出ていった。
映画の僕はとうとうキスをした。彼女の部屋で。観客は半分以下になった。出ていくときにあきれたようなうなり声や身振りをしていった。
ひどい展開ではあるが、そこまでひどいかな、と思った。いつの間にか右の一つ目男も左の性別不明の金属光沢の髪もいなくなっていた。
彼女がいて、友人関係は順調、進学という目標に向かってがんばる僕。見ているこっちはただただ居心地が悪い。夢を客観で見るのはもうやめにしたいが、その方法が分からない。寝れば見るのだからどうしようもない。
外に出てこの映画のタイトルや制作者を確かめてみようかと考えたが、なぜかその気になれなかった。いや、できないのかも知れない。試してみたが、席を立てない。変な感じだった。座っている状態から立つ姿勢になるには重心の移動が必要だが、それがだめだった。力が入らないとか、縛られたり重しをのせられたりしているのとは違う。重心が動かない。
だからできることといえば映画を見続けることだけだった。まだ見られたものだった僕の日常から見るに堪えない恋愛ものに変わってしまったが、主人公は僕のままだった。
物語、というには起伏がなさ過ぎた。なんの障害もあらわれない。勉強すればするだけ成果になるし、彼女との関係は友人公認になった。彼女を通じて新しい友人関係も生まれ、映画の僕は自主勉強会を発展させて社会奉仕活動をしようと計画していた。
甘い甘い砂糖の塊の僕が八面六臂の大活躍。客を馬鹿にしているのだろうか。だけど、考えたくはないが、これが夢なら制作者は僕だ。さっき確かめようとしたが、それは自分に対するごまかしであって、ほんとうは分かっていたのだ。これは僕の一面なのだ。そして、タイトルはいらない。僕の夢であって僕そのものなんだから。
映画の僕は就眠前の儀式のように下着を脱いでいつもの行為を始めた。スマホで彼女の画像を見ている。最低な奴なのか、他の女じゃないだけましなのか判断がつかない。
客席がざわついた。見まわすといつの間にか満席になっていた。入ってくるのに気づかなかった。音くらいしそうなのに。
「いいかげんにしろ」
声が出た。映画を見ながらしゃべるのは現実でも夢でも初めてだった。
「そうかい、悪くないよ」
一つ目男が戻ってきていた。
「うん、ちょびっとだれたけど、いいね」
前から三つ目女。
「これこそ映画だね」
左のは光沢のある髪を揺らしていた。声を聞いても性別が分からない。
映画のなかでは後始末をしていた。そういう所も省略されない。窓を開けたのは臭いをごまかすつもりだろうか。
「ばれてるって」
そうつっこむと周りで共感の笑いが起きた。
それに反応するかのように、映画の僕はカメラを見た。それに合わせて顔が大写しになる。
「こっちこいよ」
手招きした。
「やだね、おまえの世界、ひどいもん」
僕にいったかどうか知らないが、僕の夢なんだから返事した。
「そりゃ認めるけどさ、馬鹿と劣った人間ばかりのおまえの所よりはいいぞ」
「そっちにはふやけた奴しかいないし。なに前ばっかり向いてんだよ。夢と希望にあふれやがって」
そういい返してやると他の客たちがそうだと喝采した。映画の僕はわずかに顔をゆがめた。
「おまえの夢だからな。おまえの頭以上にはならないんだよ」
憎まれ口が返ってきた。おお、と感心する声がする。
「じゃあ、俺の中身はクソだらけか。認めるよ」
大喝采。画面の僕は微笑んだ。手を差しのべる。
「どうだ、こっちへこないか」
「立てないんだよ」
もう一度試してみたがだめだった。むこうで顔が曇った。
「だめなのか?」
「だめだ、変。重心を動かせない感じ」
「ごめん、どうしたらいいのか分からない」
「そりゃ、映されてるだけのおまえには重心もなにもないしな」
悲しげにうなずいた。
「そうだね。そうだ」
「だけどさ、行けたらそっちに行ってみたい。見物くらいはしたいしな。これはほんと」
立つのをあきらめた僕はスクリーンにいった。
「しょうがないさ。おまえはその席から立てないまま朝が来る。起きたらなにもない日がまた始まるんだ」
「そりゃそっちだっておなじだろ? 蜜につかったみたいな日が延々だし」
「そうだな。すべてめちゃくちゃにできたらって思うよ。彼女をめちゃくちゃにして、友人知人みんな切って、だれとも関わらずに過ごせたらなって。でも無理」
「おまえこそこっちこいよ。だれも相手にしてくれないし、こっちだって相手にしない。そういう毎日だよ」
むこうは手をのばすがあきらめた。障害となるなにかがあるようだった。僕は立てない。あいつは超えられない。
観客席は静まり返っていた。映画が終わる。拍手も、スタンディングオベーションもない。
「じゃあ、ばいばい」
どちらからともなくいった。
了
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