四、炎の匂い
昼休み、ほとんどみんな給食を終えた頃、つぎの授業の資料をそろえていた教師はどこからか漂ってくる香ばしい匂いに気づいた。
首をかしげる。きょうのおかずではない。肉が焼けるような匂いだ。しかもこれは焦げている。
はっとして資料を置くと窓を開けて出所を探した。
すぐにわかった。裏だった。しかし焼却炉は廃棄予定で使用はできないはずだ。早足でそちらに向かう。
「あ、これなんですかね」
途中でおなじように不審を感じて出てきた同僚といっしょになった。
「裏の焼却炉じゃ」
「まさか。ぐるぐる巻きにしたの、私ですよ」
煙突から薄い煙がたちのぼっていた。風向きが変わり、臭いが濃くなる。投入口の取っ手に巻かれていたはずの針金は切断されてぶらさがっていた。
「水汲んできます」
その間にほかの教師や事務員もやってきた。バケツが届き、すぐに消火された。
白い煙が散ってから中をのぞきこんだ。皆が声にならない声を上げる。ひとりが警察を呼んだ。
ほとんど黒焦げになってはいたが、形は残っており、一目でなにかわかった。
ウサギが五羽。学校で飼育されていた子たちだった。空き家となった飼育小屋にはまだ新しい糞がころがっていた。
「でも、ちょっといい匂いだったな」
「やめとけ」
にらみつけた。こいつはいつもそうだ。ふざけていい時と悪い時の区別がつかない。まだ一週間もたっていないし、生き物係の子は落ち込みっぱなしっていうのに、大声で話すことではない。
「だってさ……」
「だからやめとけ」
まだなにかいおうとしている。
「……ウサギって食えるんだよ」
頭を強めにはたく。
「いたっ。わかったよ。もういわない」
「ちょっとこい」
警察がひととおり捜査を行ったが、すぐの逮捕には至らなかった。不審者の目撃情報はなく、監視カメラにもとらえられていなかった。設置個所がすくなく死角だらけなのがいまさらのように批判されたが、増やす予算はなかった。
何者かが昼休みに学校に侵入し、おぞましい犯罪が行われた。これは町に衝撃を与えた。学校は集団登下校かまたは保護者による送り迎えになり、通学路には教員と有志が立った。夜間の外出は控えられるようになった。
焼却炉と飼育小屋は予定を早めて廃棄された。地面に跡が残っているが、大雨が二、三回過ぎれば消えてしまいそうなていどだった。
腕をつかんで教室を出、廊下の端に連れて行った。だまってうつむいている。
「しゃべる前に考えるって約束したよな」
「だめなんだよ。おれ」
「わかってる。でも言葉には気をつけろ。人には心があるんだぞ」
「見たことないくせに」
頭をはたく。こんどは軽く。
「先生が貸してくれた本、読んだか」
うなずく。そして首を振った。
「さっぱりだった。中の人がいつ何をしたかはわかるよ。書いてあるから。けどその時どんなふうに感じたかって、書かれてないのにわかるわけないじゃん」
「書いてなくてもわかるんだよ。それが物語なんだから」
また首を振る。
「俺はおまえとちがう。ビョーキのフリョーヒンなんだ」
うなだれたまま教室にもどっていった。
墓は作られなかった。生き物係の子をはじめとして生徒たちは作りたがっていたが、先生たちは形として事件が残るのを避けた。しかし、死がまつわる事件をなかったことにもできない。一時的な対応としてカウンセラーが呼ばれ、臨時の相談室が設けられた。
「カウンセラーって、なにするの?」
わざとらしい聞き方だった。靴箱のところにはほかに誰もいなかった。
「知ってるくせに」
そう答えると、笑いが返ってきた。馬鹿にした調子だった。苦手なのを知っているのだ。カウンセラーと話をすると鼻に指をひっかけられて引きずり回されるような気がする。人をどこかへ連れていくために言葉を使う奴だ。一言一言に罠がしかけられている。
「行ってみない? こっちの奴はちがうかも」
「ひとりで行け」
逆襲した。こいつは自分だけではなにもできない。そこを突いてやった。ふだんはそんないじわるはしないが仕返しだ。
「悪かった。ごめん。あやまる。一緒に、お願い」
「なんで? なに相談するつもり?」
「夢。怖い夢」
「どんな?」
ちょっとためらい、息を吸って話し出した。
「大人が出てくる。男か女か分からない。うしろ姿しか見えない。そいつが学校中を歩き回る」
間が開いたがだまっていた。途中で口をはさむとやめてしまうことがあるからだった。
「それで掲示板のポスターとか破ってく。注意したいけど声が出ない」
肩がふるえている。
「もういいよ」
「それでさ、やっと声が出るんだけど声じゃなくて息がひゅうひゅう」
「いや、もういいって。帰ろう」
「その音でそいつがこっちを向こうとするところで目が覚める」
声もふるえている。でも、それを無視して靴を履き替えた。
「とにかく、行かない。カウンセラーならクソに決まってる」
ためらっていたが、結局ついてきた。こいつはそうするしかない。ずっとずっとついてくるだけ。
どんなおぞましい事件でもいつまでも人の行動を変えたままにはできない。それに、かわいそうだがウサギは人ではない。五羽であって五人ではない。振り子は行き来するたびに勢いを失い、いずれ止まる。それは自然の法則だ。
大人は夜間の外出を再開し、送り迎えは減った。集団登下校はなくなり、通学路に立っていた有志の見守りも半数以下になった。
警察は捜査を続けている。せまい町だからうわさはすぐに広がる。だれそれが話を聞かれていた、とか、パトカーに乗せられていた、といった中身のない話だった。
「夢の話、もっと聞かせてよ」
あぐらをかき、怪獣のクッションを抱いている。家にあげ、一緒に宿題をやっておやつを食べたあと、落ち着いたようなのであらためて聞いた。
「もうやだよ。話したくなくなった。いじめないで」
「いじめじゃない。夢の話なんかしてくれたの初めてだからもっと知りたい」
怪獣の頭をなではじめた。小動物をかわいがるように。
「なあ、その大人、ほんとに男か女か分からない? 歩き方とかで見当つかない? それに、いつもうしろ姿なの? 角を曲がるときとか、ポスター破くときとかに横顔見えたりしない?」
早口になった。言葉の頭が尻を食べてしまうほどのいきおいだった。
「なにいってるか分かんないよ」
迷惑そうだった。でもそのときはなぜかやめる気になれなかった。
「おまえが夢見るなんて思いつきもしなかった。聞きたい。じゃあ答えなくていいからもう一回話してよ。こんどは細かく、ちょっとも省かないで」
クッション越しにこっちを見た。それからのろのろと話しはじめた。注文通り省略なし。学校中をうろつきまわるうしろ姿。ポスターを破きながら。
「声は? 臭いは? おっさん臭かったりしないの?」
「夢だし。色もないんだから。もういいだろ。そろそろ帰んないと」
その顔を見て、急に悪いことをしたような気になった。嫌なことをむりやり思い出させて心にくっきりと刻みつけてしまった。
「ごめんな。聞きすぎたよな」
「もういいよ。でもカウンセラーそっくりだ」
一番の悪口をいわれた。でもしょうがない。悪いのはこっちだ。
なにも返事できずだまっていると、怪獣をベッドに置いて帰った。
カウンセラーの校内常駐は終了した。今後継続して観察や治療が必要な子供はいないという報告に関係者はほっとした。捜査の方はなんの進展も見られていないが、それでも一区切りついたという雰囲気になった。目撃情報を求める立て看板には新しい情報が付け加えられなくなった。監視カメラ更新と増設の話も費用をどこが持つかについて会議が開かれているうちにうやむやになった。
だから、ある朝、学校中の掲示物が破かれていた時、先生を含む大人たちは狼狽した。しかし、どの入り口も窓も破損はなく、監視カメラにもなにも記録されていなかった。ちょうど掲示板をとらえていたものもあったが、それは動作検知式で一晩中止まったままだった。
また集団登下校や送迎が復活し、通学路の見守りも再開された。監視カメラと警報機については緊急の予算が組まれ、まずその学校から最新型への置き換えと増設を進めることとなった。
それにともなってしばらくの間、校内には業者が出入りするようになり、子供たちにもただならぬ事態だという意識が拡がっていった。
「おまえ、この間はじめて夢の話してくれたけど、いつから夢見てた?」
いつもの廊下の端に連れて行って隅に押しつけるようにして聞いた。
「覚えてないよ。いちいち」
「じゃ、ずっと見てたのか」
「当たり前じゃん。おなじだよ。おまえと」
おなじ、といったところでにらみつけた。
「おなじじゃないだろ。おまえは……」
「いうなよ。クソカウンセラーは関係ないだろ」
「……ただの想像。イマジナリー・フレンドなんだ」
なんとかいえた。カウンセラーの口写しで意味はよくわかっていないけれど。
「いや、ここにいるだろ。さわれるだろ」
泣きそうな顔をしている。
「うん。でもほかの人にはわからない。どう見てもそこにいるようにしか感じられないけど、心が生んだ想像なんだ。おまえは。で、夢を見た。そこまではいい。けど現実になった。たまたまとは思えない」
「おまえの想像ってんなら、夢もおまえが見たんだろ? ポスター破いたのも、ウサギ焼いたのもおまえだろ?」
精一杯の反撃だった。たしかにそこだけすじは通っている。でもありえない。
「ウサギのときはみんなと給食の後片付けしてた。ポスター破かれた夜は家で寝てた」
「じゃあだれでもないじゃないか」
チャイムが鳴った。にらみつけてからもどった。後をついてくるかどうか確かめなかったが、授業中振り返ると教室のうしろで立って泣いていた。
工事は完了した。カメラは増設され、常時記録方式になり、出入口や窓には警報機がつけられた。管理する警備会社の選定をめぐってはいろいろとうわさがとびかったが子供にはわからなかった。最終確認を終えた業者が引き上げると校内には落ち着いた雰囲気がもどってきた。あとは通学路の見守りの常態化や、ほかの学校や幼稚園、保育園への対応を行う予定だった。
警察はあせっていた。取材に対してなにも進展がないと回答するだけで、時に記者に声を荒げることもあった。
きょうはカウンセラーのところへ行く日だった。母さんが送ってくれる。車で三十分ほど。大きな病院の三階。白髪の混じった先生で、イマジナリー・フレンドのことを教えてくれた。本人には現実に存在するように感じられる想像上の友達で、ほとんどの場合無害だと。
この先生には嘘やごまかしは通用しない。だからそいつの夢の話と後からそれが実現したことも話したが、偶然の一致で気にしないようにいわれた。それによく考えてみれば夢が実現したのはポスターが破かれた一回だけだ。
「でも、ウサギの夢も見ていたら?」と聞くと、その子に訊ねてみたら、と返された。
「聞いてみたけど、答えない」と返事すると、先生はうなずくが、うしろの母さんの方にだった。それが気に入らない。答えないのはイマジナリー・フレンドが役割を終えようとしている証拠らしい。会話ができなくなってくると遠からず消えてしまうのだそうだ。
そんな説明をするこいつは嫌いだった。人の頭の中全部を知っているような顔をしている。でも嘘をついたりごましたりするとばれてしまうから本当にそうなのかもしれない。けれどどうしても信じられない。友達相手に話すのが母さんにはいつも独り言をぶつぶついっているように見えてしまい、心配してここに連れてこられるようになったが、この先生によるとそういう子はたくさんいるとのことだった。発達につれて消えますよ、と気楽にいう。長く存在しても現状では実害はありません、ともいった。つまらない、本当につまらない時間だった。
帰りはいつものようにスーパーに寄った。カートを押してついていく。こっちは楽しい。色がたくさんある。あいつも横にいるが、事情を知らない他人が大勢いるところでは話さないというのが母さんとの約束だから目で合図するだけにしておいた。それでもそこにいることは分かるのだろう、母さんは妙な顔をする。
「おい、消えないからな」
お菓子選んどいで、とお許しがでたので売り場に行くと、周囲に人がいなかったので話しかけてきた。
「でも先生は嘘つかない。クソだけど。それに、おまえはウサギの夢のこと、答えなかった」
「あの時はあいつがいたからな。答えをいちいちこれはこうですよって知った顔で説明するだろ。やだったんだよ」
「ならいまは?」
「人がくるかもしれないから……」
「じゃ、家に帰ったらな。約束だぞ」
お菓子を選んで戻ろうとしたとき、うしろによそのおばあさんがいて母さんとおなじ変な顔をしていた。ごまかし用のイヤホンしておけばよかったと思った。帰り道、車の中で食べるのは母が嫌がるのでがまんした。
部屋でスナックを食べながら顔を見た。なかなか口を開かない。
「で、ウサギの夢、見てたの?」
「どういう答えがいい?」
「正直に、全部」
「ポスターのとおなじ。男か女か分からないうしろ姿の大人。飼育小屋からウサギを連れ出して一緒に遊ぶ。鬼ごっことかかくれんぼとか」
「おかしいじゃん。そんな遊びしてるのにうしろ姿しか見えないの?」
「そう。いつもうしろ姿」
「いつ?」
「あの一週間ほど前から何度か」
「なんでいわなかった」
「夢の話なんて聞きたくないだろ? つまんないし」
「でも二回ならもう偶然じゃないよな」
「いうのか。警察? 先生?」
ドアを叩く音がする。もうやめなさい、とどなる声。母さんは時々こうなる。そういう時はドアを開けずに謝って話をやめる。
「最近友達連れてこないね」
夕食時、もう怒ってはいないけれど、そう聞いてきた。答えにくい質問だった。
「みんな塾かクラブだし」
「行きたい?」
首を振った。放課後の時間が無くなるのは嫌だった。新しいことを始めるのも気が進まない。
「学校で独り言いってないでしょうね。約束守ってる?」
「守ってるよ。人のいるところでは話さない」
「人がいなくても話さないって無理かな?」
だまっているとさらにいう。
「もう、その想像の友達と絶交できない? 母さんがまんできない」
目に涙をためていた。じっと見るとあわてて拭う。
「ごめんなさい。もういい。先生いってたもんね。あせらせないようにって。いつか消えるんだよね」
その後の会話はなかった。だまって食べて後片付けをした。けれど本当は大声でこういってやりたかった。
ビョーキのフリョーヒンだから話はやめないよ、って。
「ほら、『熱いよ』っていってる。かわいそう」
学校では変な遊びがはやり始めた。起源はわからなかった。ネットからとか、よその地区の学校から伝わってきたとかいわれていた。三人以上で行われる。紙に五十音と数字、『はい』『いいえ』『わからない』などの決まった答えを書き、中央に置いたコインに一人一本ずつ指を乗せる。代表一名が目を閉じて知りたいことをつぶやくとコインが動き出して答えをつづる。
生き物係の子が犯人を捕まえるのだといい、放課後、誰もいなくなった教室にその子を含む五人が集まった。準備をととのえた後、生き物係がウサギの名を呼び、被害にあった子の一羽だと確かめてから質問にうつった。
「小屋に来たのはだれ?」
コインは止まったままだった。
「ウサギだから名前わかんないんだよ。ちょっとずつ聞こうよ」
「そっか。なら、あの日あなたをつかんだのは大人? 子供?」
ゆっくり動きだし、すぐになめらかに滑り、文字を順に指して止まった。
「『お…と…な』だって」
「男? 女?」
「『わからない』か。ウサギには見分けつかなかったのかな」
「服は? どんな感じ?」
「『く……ろ』、それから、『ちゃ」
「そいつ、どこにいるかわかる?」
コインは動かない
「ちょっと、ウサギだよ。わかるわけないじゃん」
「聞いてみるぶんにはいいでしょ」
急に滑った
「えっ、『そばにいる』って……。どういうこと?」
「そばってどのくらい近くですか?」
『こうない』
みんな黙り、すべるコインを目で追っている。
「学校のどこですか?」
『どこにでも』
「いまはどこですか」
『わたりろうか』
「もうやめよう」
ひとりの子は泣きかけの顔でまわりを見まわしている。
「あとちょっとだけ」
生き物係の子はやめない。ほかの四人はその空気にのまれて指を離せなかった。
「なにをしようとしていますか」
『さがしてる』
「なにを?」
『こ……わ……す……』
コインは滑ってまだ止まろうとしない。その時、戸を開ける大きな音がして先生が入ってきた。ひろげられた紙を見てなにが行われていたか察すると取り上げてくしゃくしゃにした。
「こういう遊びをしてはいけないとお話したはずです。もう帰りなさい」
「おい、どした? 急に黙って。いまはいいぞ、しゃべっても」
「うん、ちょっと変になった。ごめん」
渡り廊下の柱にもたれて疲れた顔をしている。
「変って?」
「気持ち悪くなった。やわらかいけど重たいなにかにくるまれてふりまわされる感じがした」
「ほんとに変だな。いまはどう?」
「もうだいじょうぶ」
「帰ろっか」
うなずく。ふたりで学校を出た。ひさしぶりに手をつないだ。
次の週の月曜日、朝礼のときだった。霊とか神や悪魔といったものを使う遊びの禁止がいい渡された。前にもあった話だった。そんなものはでたらめなので、相談するようなことがあったら先生や保護者といった身近な大人にいいましょう、と。また、ネットの使いかたもすでに教えた通りです。あやしげな情報に踊らされないようにしましょう。そういう内容だった。
けれど、禁止をするということははやっているということだった。花壇のすみに隠すようにしてひっそりとウサギのお墓が作られ、生き物係の子を中心に霊を呼びだして問答をしたという生徒が増えていた。
再度カウンセラーの招請が検討されたが、監視カメラにまつわるあれこれですでに予算は超過していた。これ以上は行事の中止や縮小も考えなければならないし、自治体もこの学校だけいつまでも特別扱いはできず、おかしな遊びは先生方でなんとか処理してほしいという姿勢だった。
「ねえ、あんた、いっつもだれとしゃべってんの?」
生き物係だった。きんきん高い声でうっとうしい。いつもの通り無視する。
「聞いてんでしょ」
席の横に来て肩に手を置く。教室の空気が変わった。みんなこっちを見ている。考えていることは声に出されなくてもわかる。生き物係が手を出しちゃいけない子に関わっているとでも思っているのだろう。それと、降ってわいたようなできごとを楽しもうとも思っている。
そういう場合、自分のすることは決まっている。いや、しないことだ。とにかく相手にしない。もう幼稚園じゃない。母さんとの約束。自分を抑えてみせる。机の下では足が震えているけれど。
「おまえ気持ち悪いんだよ。それにミミ子に聞いたんだからね。おまえと話してる奴が連れてったんでしょ」
生き物係と反対側の隣を見ると首を振っていた。当然だ。こいつは一人ではなにもできないし、あの時は給食の後片付けをしていたんだからこいつだってどこへも行っていない。
それでもいい返さない。そうしてしまうと自分がはじけてしまう。だからだれかこいつを止めてくれ。助けを求める顔で見まわすが、みんな目をそらせる。
目が熱くなった。涙があふれるのがわかった。
「泣けばいいと思ってんだろ。このウサギ殺し。返せよ。ミミ子たち返せ」
生き物係も泣きながら揺さぶってきた。さすがにまずいと思ったのか一人が先生を呼びに行き、ほかの子が引きはなしにかかる。
「こいつ、わからせてやれよ」
そっちをにらんで首を振る。なにもしないのが約束だ。他人から見れば気持ち悪いのは当然だ。空間に向かってぶつぶつ話しているのだから。
しかし、生き物係の子からすればいきなりあさっての方を向いたので火に油を注いだようになったらしい。止める手を振りほどいてつかみかかってきた。体重がかかったので椅子が倒れ、はげしく肩と頭を打った。目がちかちかし、ぼうっとなった。
気が付くとベッドに寝かされていた。布団カバーの糊は効きすぎで、かすかに消毒薬の臭いがした。窓の外は夕焼けで、見える建物からするといつもの病院らしかったが、カウンセラーの先生がいる三階ではなく、もっと高い階だった。母さんがいて抱きしめてくれた。
それから医者がやってきて検査をされた。結果の画面を見ながら異常なしですが一晩様子を見ましょうという。しかしそれは断った。帰りたい。絶対帰る、と。すこしいい方がきつかったかもしれない。母さんも先生も驚いていたが、結局許してくれた。
帰り道、母さんの話によると、謝罪にやってきた向こうの両親はきちんとした人で納得のいく対応を取ってくれたので、学校とも相談し、表ざたにはしないことになった。そして生き物係の子は別のクラスに移り、また、別の病院でカウンセリングを受けるという。
「なんか変な遊びがはやってたんだって? 霊と話すとか。それに熱中しすぎたんだね」
わざと明るくしゃべっている。そのくらいわかる。
「でも、偉かったね。聞いたよ。ちゃんと約束守ってじっとしてたんだ。もうあんなことする幼稚園児じゃなくなったんだね」
夕食後、風呂に入り、母さんに手伝ってもらって頭に薬を塗り、肩の打ち身の湿布を貼り換えた。
「よお、もういいのか」
部屋に入ると椅子に座っていた。どけと手を振ると立ち上がり、床にあぐらをかいた。入れかわりに座る。
「もう寝る。あんまり話したくない」
明日の準備をしながらそういった。休むと負けた気がするので意地でも登校するつもりだった。家の布団は柔らかで柔軟剤の花と果物の香りがした。
学校ではみんな変わらず接してくれた。つまり、放っておいてくれた。きのうのこともなかったかのようだったが、生き物係の子はいなくなっていて机が空いていた。
「きのうの夢の話聞きたいか?」
首を振る。いまはなんとなくうっとうしかった。休み時間はくせでいつもの廊下の隅に来てみたものの話したくなかった。
「聞けよ。おまえにも関係あるから」
なおさら聞きたくない。よそを向いた。
「じゃ、勝手に話すぞ。あの子、生き物係が出てきた。例の顔の見えない大人と遊んでた。お手玉だった。へたくそなんだ。大人のくせに。ぽろぽろ落とすんだ。生き物係は上手だった。ふたりでけらけら笑ってた」
「それだけ?」
うなずく。
「じゃ、もどるよ。つぎ始まるし」
しかし、つぎの授業は始まらなかった。よそのクラスの先生が来たが、みんなにおとなしく座っているようにといってすぐに出ていった。
隣ではあいつがじっと立ってこちらを見ていた。
救急車、警察。そして集団下校。保護者にはSNSやメールなどでの連絡。すべて非常時の手順通りに行われた。関係者は機械のように行動した。この場合はむしろそれが良かったのだろう。生徒たちに混乱はなかった。
屋上で、生き物係の子が頭部を強く打って死亡した。厳重に閉鎖されていたが、用務員室から修理用の工具を持ち出し、扉の鎖を切断後、塔屋に据えてあった空調装置に上って飛び下りた。数メートルの落下だが、意図的に頭を下にして落ちたらしい。
その行動は監視カメラによって記録されていた。各カメラの記録を継ぎ合わせて行動が明らかになった。工具の持ち出し、階段を上る姿、手こずりながら鎖を切っている様子。扉を開けた時に警報が作動したが、先生と事務員が駆けつけたときには間にあわなかった。
「学校、休みだし、遊びに行かないの?」
椅子を回すと、ベッドに座っていた。
「あんなことあったのに出かけてなんかいられるか」
自主学習のプリントはもうほとんど埋まっている。昼前だった。することはしたので遊んでもいいが、そうする気にはなれなかった。
「案外まじめなんだな。突き飛ばされたのに」
にらみつける。
「おまえ、まさか」
「ありえない。学校じゃずっとそばにいただろ。ちょっとの間も離れてない」
たしかにその通りだった。そもそもあの休み時間は話をしていた。
「でも、お手玉してたんだろ」
そういうと下を向いた。
「それは分かんない。夢に見たものになにか起きるのはたしかにそう。けど、ほんとにちがうって!」
「おまえだっていってない」
「じゃ、だれ?」
「うしろ姿だけの奴。あんなことを無理やりさせたんじゃないか。脅すか、だますかして」
「あいつは夢だし」
「おまえだってただの想像だし。イマジナリーってそういう意味だよ」
姿勢をくずし、寝っ転がってしまった。目を合わせているのが怖いからそうしたという気がした。
「想像が見た夢に現れた奴がなにかしたってことは結局はおまえじゃないか」
またいった。ふてくされたような口調だが、もっともだった。続けて話す。
「だいたい、考えすぎなんだよ。もうやめよう。じっとして放っておけばいい。大人にまかせておけばいいだろ」
首を振った。もうそうはいかない。
「ちゃんと始末する。フレンドって友達っていうことだけど」
「じゃあもう終わり?」
寝たままこっちを向いた。
その目から涙がこぼれ、ぬぐおうともせずに閉じた。
そばに寄って首を絞める。手に感触がなくなるまで続けた。
もうベッドの上には何もなかった。
母さんの声がする。昼ができたと呼んでいる。
なにごともなかったんだ。そういう態度で部屋を出た。
了
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