三章 緩慢な毒7

 *



 グローリアを肩にかつぎ、青貝の木の森をかけぬける。景色が急流のように背後に流れていく。冷たく吹きぬける風。


 シリウスに金縛りをかけられ、身動きとれないグローリアだが、意識はある。感応力で文句を言ってきた。


『そんなに早く走らないで。苦しいわ。ほんとに、あなたって気のきかない人』

『すまん』


 自由をうばい、さらっていこうとしているのはシリウスなのに、なぜか頭があがらない。肩からおろし、マントで包んでやった。今度はもう少し丁寧に胸に抱く。


『これでいいだろう?』

『わたしをどこへつれていくの?』

『そのうちわかる』

『そのうちって……街からこんなに離れて。イヤよ。わたし』


 シリウスは北にむかっていた。馬で三刻はかかる道程を、シリウスは一刻でかけぬけた。北側の森は深い。そのさきに塩の砂漠があるからだ。厳重に街を防御している。


『塩の砂漠をこえるのは、私の足でも丸一日はかかる。おまえの翼を借りよう』

『そんな遠くへ行くのね』


 ふと思いだし、シリウスはたずねた。


『以前、おまえを透視で探した。塩の砂漠の手前まで透視しても、見つからないときがあった。あれは、なぜだ?』


 くすりと耳元で笑うような感覚があった。


『ナイショよ』


 この悪女。


『どうせ、あなた好みの清純な女じゃありません』

『それは、わかってる』


 それでも惹かれるのは、グローリアなのだ。

 彼女の狂気を誘う美貌。悪徳。そんなものは、うわべだけ。

 たぶん、シリウスが惹かれるのは、彼女の胸の奥に、ありありとひらいた深い傷口。血を流す痛み。

 それがほっておけないような気にさせる。


『フェニックスの半神だと言っていたな。どこの国の生まれだ? アリア湖の南がフェニックス信仰国だが』

『何よ。急に』

『おまえのことをもっと知りたい』


 グローリアの心に哀感がただよう。


『わたしのことなんて、いいわよ。あなたの生い立ちを聞かせて』


 悲惨な幼少期をすごしたようだから、話したくないのは当然かもしれない。


『そうか。だが、私の生まれは、すでにおまえも知っている』

『お母さんは人間だから、寿命が来たんだとしても、あなたの父上はどうしたの?』

『話せば長くなるが、母の魂を探しに旅に出た。ホーリームーンは、おそらく今でも、時間流のどこかで母の魂を探しているのだと思う』


『ロマンチックね。人と神。種族をこえた純愛って、素敵』

『おまえの両親だって、そうだろう?』

『それが、そうでもないの。フェニックスの神は両性具有だから、人間の父と恋に堕ちたけど、女も欲しくなって、父の側女に手を出して、わたしを生ませたの。初めから、まちがって生まれたのよ。わたし』


 グローリアのなげやりな感情をくみとって、シリウスは沈黙した。


 純愛も何も、シリウスの母は神と結ばれたことをほかの人間に責められて、湖に身をなげた。


 アリア湖のアリアは母の名。


 シリウスは死んだ母の胎内から、父の魔法の力でとりだされた。決して幸福な生まれではない。が、きっと、グローリアに言わせれば、愛し愛された両親から生まれただけで、シリウスは恵まれているのであろう。


『だが、私はおまえが生まれてきてくれたことに感謝している』

『なぜ?』

『ただ一人、すぎゆく時のなかを流されてきた。この三百年。おまえを自分だけのものにして終焉しゅうえんを迎えるのは、なかなか悪くない』


 シリウスの考えを読んだのか、グローリアは不安そうになった。


『やめて。何をするつもりなの? シリウス』

『おまえを生かしておくことはできない。おまえは哀れな女だが、世界を滅ぼす魔女でもある』

『あなたも同じなのね。父と。わたしがいけないものだから、殺すのね』

『だが、私はおまえを一人で死なせはしない』


 グローリアの思考が一瞬、停止した。


『……どうするの?』

『おまえは私の腕のなかで、私はおまえの腕のなかで死ぬ。まるで愛しあう恋人どうしのように』

『シリウス……』

『おまえは私では不服かもしれないが、おまえが息をひきとる瞬間まで見守っている』


 グローリアの思念が幾重にもゆれる。グローリアは混乱していた。あるいは迷っている。


『イヤか? グローリア』

『いいえ……あなたの腕に抱かれて、眠りたい』


 そう言った彼女の言葉も、おそらく嘘ではない。

 やがて、彼女の気持ちは一つに定まった。


『わかったわ。そのかわり、お願いがあるの』

『なんだ?』

『金縛りをといて。このままでは、あんまり侮辱されてるみたい』


 シリウスはためらった。が、今なら逃げることはできない。それに、これからもっと遠くへ行くのだ。街は帰ることは不可能だ。かるい念を送り、彼女の金縛りをとく。


『では、行こう。かの地へ』


 グローリアの翼を借りると、かるい浮遊感が二人を包む。塩の砂漠をいっきに翔びこえ、一瞬のちに現れたのは、険しい岩山の頂上だ。人間の足ではとうてい登ることはできない。付近に街や村は一つもない。


「シリウス。苦しい。息が、できない」


 いきなり高所に移ったので、人間の体のグローリアは気圧の変化に耐えられないのだ。シリウスは彼女のまわりに思念のシールドを張り、大気の量を調節した。


「このさきに、私がホーリームーンと子どものころすごした岩屋がある。朝焼けの美しい場所だ」


 岩山は三百年前のままだった。風通しのよい岩屋もそのまま残っている。その入口で、グローリアは尻込みした。


「……わたし、暗闇はきらい」


 グローリアはこれからシリウスが何をするつもりなのか、感応力で察知したのだ。


「光を遮断しなければ、私の体は死なない。大丈夫。おまえが怖くないように、私の時間軸のなかで、もっとも美しい景色を見せるから』

『ええ……』

『入口をふさぐ岩を見つけてくる。すぐに帰る』


 シリウスはグローリアのひたいに接吻した。

 岩屋にグローリアを残し、手ごろな岩を探す。


 シリウスは幸福だった。

 ずっと求めていたのは、人生をともにできる伴侶だ。シリウスの長い寿命では、それは叶えられない夢だった。人を愛すれば、必ず近い未来に、その人の死をなげくことになる。

 でも、グローリアなら……彼女のためなら、今のこの一瞬の思いに命をささげることができる。


 シリウスが空の青さに酔っていたとき、岩屋で声がした。グローリアの思念の声だ。


『ごめんなさい。シリウス。わたしを憎んで』

『グローリア?』

『わたし、もっと早く、あなたに会いたかった!』


 岩屋から白いものが飛んだ。竜犬。翼を持つ個体だ。白鱗の背には、グローリアが乗っている。


「グローリア!」


 シリウスの夢は無惨にひきさかれた。

 グローリアの姿はみるみる遠くなる。


(やられた……)


 感応力は彼女のほうが上だと知っていた。

 グローリアは心の浅いところで、シリウスと会話しながら、その奥に張ったガードの内で、彼女のしもべを呼び続けていたのだ。


(私と死ぬのはイヤか。グローリア)


 青空の彼方に吸われていくグローリアを、シリウスはなすすべなく見送った。

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