四章 あやまちの選択

四章 あやまちの選択1



 ワレスがめざめたのは深夜だった。夢の余韻がまだ心の片すみで脈々と波打っている。


(なるほど。おれは前世でも、今生でも、おまえにふられたってわけか。レリス)


 それでおれを呪うのは、お門違かどちがいもいいところだ。おれのほうが呪ってやりたい。


 嘆息して寝返りを打ったワレスは、ギョッとした。室内に、ワレスとウィル以外の誰かがいる。宿は二人部屋。就寝前に鍵もかけた。


 なのに、鎧戸も閉めきった部屋に、暖炉の赤い火に足元から照らされ、黒い人影が立っていた。


 とっさに枕元に置いた剣をとり、切りつけた。が、寸前で止める。立っていたのは、レリスだ。泣いている。ようすが、おかしい。


「……レリス?」


 レリスの涙にぬれた瞳は、暖炉の炎を受け、オレンジ色に輝いていた。


「なぜ行ってしまうの? あなたは、いつも」


 ワレスは頭痛をおぼえた。また始まった。いつものレリスの発作だ。


 レリスは例のごとく、心にあいた記憶の穴から、他人の愛情をだだもれにしているので、いつも空虚を内にかかえている。さみしい。それで、一度でも彼に好意を見せた者からは、無制限に愛を吸いつくそうとするのだ。


 その結果、相手が死ぬと、とたんに良心の呵責にさいなまれるのだから、いいかげんにしろというものだ。


 とくに、ワレスに対しては、これがはなはだしい。ほんのわずかでも愛想をつかしたそぶりを見せると、こんなふうに泣いたりわめいたり、正気とは思えない態度をとる。

 しかし、今回ばかりは、ワレスもつきあいきれない。


「勝手なこと言うな。おれを置いていくのは、おまえだろう?」

「違う。あなたよ。いつも、そう。あのときだって、行かないでって、あんなに頼んだのに。あなたがわたしを愛してくれなくてもいいから、そばにいてって、懇願したわ。でも、あなたはわたしの制止をふりきって、ウラボロスへ帰った」


 衝撃のあまり、ワレスは数瞬、言葉を失った。


(ウラボロスだって? もしや、発作を起こしてるときのレリスは……)


 じっと見つめると、オレンジの炎にくるめく双眸の下に、なつかしい緑玉のきらめきを見た。


「……グローリア?」

「何?」

「…………」


 ああ、どおりで手に負えないはずだ。相手は理性も常識もない魔女だ。それも宇宙をまるごと飲みこんでもたりないほどの、強烈なさみしがりや。


「グローリア。おまえが欲しいのは、シリウスなんだろう? おれはもうシリウスじゃない。おまえがグローリアではないように」

「魂は同じ一つなのよ」

「そのわりに、レリスはおれのことなど無関心だがな」

「彼は不完全だから」

「不完全?」

「彼の魂は半分しかないの。愛情をつかさどるのは半身のほうよ」


 半身……。


「どういう意味だ?」


 グローリアは答えなかった。泣きながら、レリスの体でしがみついてくる。


「どこにも行かないで。お願いよ。シリウス」


 こうして甘えてくるレリスは可愛い。しかし、これはレリスの意思ではない。


「グローリア。おれが惹かれているのは、おまえじゃない」


 生まれ変わりのレリスだ、という意味だったのだが、魔女は誤解した。甘えて、しなだれかかっていたのが、とたんに凶暴な虎のように、瞳に危険な色を帯びる。


「……約束、したのに」


 すっと身を離すグローリアを見て、ワレスは何かマズイと感じた。


「グローリア」

「あなた、言ったじゃない。何度、生まれ変わっても、必ず、わたしを愛してくれるって。誓ったわ!」


 やっぱり、そんなことか。呪いの正体は。


「それで、おれがほかの誰かを愛すると、かたっぱしから殺していくのか?」

「だって、約束だもの」


 グローリアはあとずさりながら、ウィルの寝台へむかう。


 ウィルはもちろん、とっくに目をさましていた。ワレスたちの言いあいをただの痴話幻惑だとでも思っているのか、困ったようにベッドのなかで小さくなっている。


 グローリアはその無防備なウィルの腕をつかみ、むりやりベッドからひきずりだした。


「やめろ! グローリア」

「あなたはわたしのものよ。誰にも渡さないわ」


 グローリアがウィルをつれて窓辺へ歩いていく。華奢で病弱なウィルには抵抗できないのだ。


 ワレスは血の気が失せた。

 窓の外は港へ続く運河だ。ウィルは泳げない。いや、それ以前に、真冬の凍てつく運河の水は、ウィルの弱い心臓を一瞬で止めてしまう。


「やめてくれ。ウィルはもう、おれとは関係ないんだ」


 ワレスは二人に近づこうとした。すると、グローリアが帯剣を抜刀した。


「来たら、この子を殺すから」


 グローリアは猫のように目を光らせ、ワレスをにらむ。

 ワレスは彼女をなだめるために、ささやいた。


「グローリア。愛してるのは、おまえだけだ」


 だが、グローリアはさらに一歩あとずさる。影に入り、彼女の体はシルエットになった。黒い影絵のなかで、両の目だけが異様に光る。


「……嘘つき」


 グローリアは鎧戸をあけ、窓外へ身をひるがえした。ウィルを道づれにして。

 二人の姿が暗闇に消える。

 ワレスは窓ぎわにかけより、とっさに一人の手をとった。


(今、助けるべきは、ウィルだ。運河に落ちれば、まちがいなく死ぬ。レリスなら剣士だし、水泳も得意。おれと同じ古代の血を持ち健康。多少のことなら死なないはずだ)


 わかっていた。ウィルをまず助け、ひきあげてから、レリスを救いに行くべきだと。

 なのに、つかんでいたのは、レリスの手だった。

 ワレスのミラーアイズが、闇のなかへ落ちていく、ウィルの悲しげな瞳を目視していた。


(すまない。すまない……ウィル)


 見殺しにした。

 ここで助けなければ、ウィルは死ぬとわかっていて、レリスを思う気持ちは、ワレスから冷静な判断力をうばった。


 でも、どうしたらよかったのか。

 愛する人を危険にさらし、放置しておくことなど、誰ができるだろう?


 翌朝、ウィルの遺体が運河で発見された。

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