三章 緩慢な毒5
*
どうやって、グローリアをリアックからひきはなすか。
シリウスは悩んでいた。
(さっきは好機だったのだがな。なんだってあんなに都合よく、リアックがやってきたのだ?)
それに、なんだって自分は、グローリアをぶつのに手かげんなんてしたのだろう。
あのとき、ほんとに頭を粉々にしてやればよかったのだ。魔女にはふさわしい死だったはず。あの麗しい悪魔のおもてを血まみれにして……。
シリウスは目を伏せた。
(おまえは魔女だ。が、あの暗闇のなかでおびえていたのも、たしかに、おまえ)
あれは七つか八つの子どもだった。いったい、あんな子どもがなぜ一人、地下をさ迷っていたのだろう。どれほどの苦痛と恐怖に耐えたのだろう。
(おまえには美しい死をやろう。眠るように静かに逝かせて、朝日のあたるあの崖に葬ろう。おまえの屍の上には、どんな花が咲くのだろう?)
その風景は、なぜか、シリウスを甘美な幻想に誘う。
シリウスは広間へ急いだ。
これは急務だ。とりいそぎ、クリュメルと和解しなければ、シリウスがウラボロスを見限るようなウワサが立つのはよろしくない。クリュメルやウラボロスの民も案ずるし、周辺諸国へのにらみがきかなくなる。
広間には大勢の臣民が集まっていた。王を前にしての朝の定例会議だ。ちょうどシリウスのことが議題にのぼっている。
シリウスが広間へ入ると、いっせいに静まる。彼らのあいだを通り、シリウスは玉座の前に立った。
「陛下。昨日の件を謝罪させてください。私は王に対し、ゆるされぬ
シリウスはその場にひざをつき、こうべを床につくほど深く低頭する。そして、人々が土足で歩きまわる床に接吻した。敗戦国の王族などがさせられる、もっとも屈辱的な平伏の印だ。かりにも神の力を持つ者のやることではない。
それを見たクリュメルの顔はひきつり、廷臣たちのあいだには、どよめきが走る。
クリュメルは無言で玉座を立った。そのまま、広間の奥に通じる廊下へ走っていく。
シリウスはあとを追った。色彩のあざやかな壁画の前で、クリュメルに追いついた。
「お待ちください。クリュメルさま」
シリウスが腕をとると、クリュメルは立ち止まる。ふりかえったおもてには涙が光っていた。
「僕はおまえを兄のように思ってきた。でも、おまえが愛してるのは、ウラボロスや、ウラボロスの王である僕で、僕自身じゃない!」
愕然とした。
言っている意味がわからない。
人と自分は違うとは思っていた。が、ここまで理解不可能なことは初めてだ。
「何をおっしゃっているのですか? 私はあなたを愛していますよ。あなたも、ヴァージニアさまも、ウラボロスの民すべて——」
「それさ。わからないのか? シリウスは僕がウラボロスの王だから大事なんだ。僕が死ねば、僕と同じように次の王を大切にするんだ」
事実ではあるが、だからといって、クリュメルを愛していないわけではない。
幼いころから育てたクリュメル。母王妃が亡くなったときには、さみしがって眠らないので、同じ布団で寝かしつけたものだ。おねしょをしてグズった夜。上手に文字が書けるまで練習して、手が真っ黒になったこと。風邪をひいたクリュメルのために、蜜蜂から蜂蜜をわけてもらったこと。
あれらの思い出が、クリュメルが死ねば消えてなくなるとでもいうのか。
「それでも、やはり、私はあなたを好きですよ」
シリウスがつぶやくと、とつぜん、クリュメルの腕が首にまきついてきた。優しく、唇がふれあう。
「おまえの受けた屈辱は、半分、僕がもらうよ」
切ないような微笑を残し、クリュメルはかけていった。
*
クリュメルが去り、ぼうぜんとしていたシリウスは気をとりなおした。
(まさか、そういうことなのか? いや、違うだろう? 父と子、兄と弟みたいなものなんだぞ)
しかし、クリュメルがシリウスを嫌っているわけではないらしいことはわかった。
とりあえず安堵して、シリウスは外へ出た。中庭まで来ると、またもや、グローリアの香りを感知する。
気配をさぐると、大勢にかこまれているらしい。歌だ。かすかに歌が聞こえる。どこかで聞いたことのあるような、なつかしい旋律。
(リアックは何をしてる? あんな女を野放しにして)
だが、これはチャンスでもある。今度こそ、うまくやるのだ。
シリウスは気配のするほうへ急行した。グローリアは宮殿内のフラワーガーデンにいる。種々のハーブや観賞用の花を種類別に花壇にわけ、迷路のように造った庭園だ。
背の高い木々のあいだを走りぬけ、グローリアの足取りをたどる。あっちに一人、こっちに一人と兵士が倒れている。グローリアの落としもの。魔女が男を食いちらしていったあとだ。そのさきに、グローリアがいる。
(話し声……)
これ以上、まだ犠牲者を出そうというのか。
シリウスの怒りは頂点に達する。だが……。
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