二章 夢の羽音2


「レリス。さっさと出発するぞ。いつ追手が迫るかわからない」


 不機嫌に言いはなつと、レリスは子どもみたいに、そっぽをむいた。まだ死んだテラウェイのことをひきずっているのだ。


 おまえはありっけのおれの愛や優しさを吸いつくして、それでも足りないと言う。ほかの男が死ねば、おれのことはクソの役にも立たないってわけだな。


 こうなると、ワレスが何をしたってムダだ。レリスの良心はやまず痛み、母の胎内にあるように、ワレスの愛情にどっぷり身をひたすことをよしとしない。ふだんはひたりきって、ふやけるほど甘えるくせして。


 レリスの関心をもう一度、こっちにむけさせるには、ワレス自身が命の危険にさらされなければならない。あの女王に捕まっていたときのように。


(そういえば、女王に記憶を書きかえられたおれは、まるで世間知らずのお坊ちゃんだったらしい。それって、まるきり、シリウスのことだよな)


 あのときの記憶はないが、女王に憑依した魔王は、やたらにワレスに執着した。ワレスも魔王を知っている気がした。魔王が求めたのは、シリウスだったのかもしれない。


(グラノアでも、王都でも、ぐうぜんではなかったのか。おれと魔王のあいだには因縁があるのか?)


 いちまつの憂慮を抱いたまま旅を続けた。故郷はまだ遠い。


 エスパン公国をめざす森のなかで、ワレスたちはまた分岐点に立った。

 真冬だというのに、秋の紅葉のひろがる異様な森で、ワレスたちはその男に出会った。


 このころ、旅の仲間は数十人に達していた。あちこちでレリスがならず者をひろうせいだ。

 それにしても、こんなおかしな仲間は初めてだ。なにしろ、人ではない。人の形をしてはいるが、つねに紅潮したような薄紅の肌、髪も瞳も血の色だ。


「おれはサンダー。サラマンダー族最後の生き残りだ」


 ワレスは知っていた。そういう者を。砦の八年間で経験ずみだ。古代、神と呼ばれたもの。または魔神。それらに属する人ならぬもの。


(今なら、わかるな。シリウスが言っていた『神世のもの』だ)


 空の王が降臨したことで、時空がゆがみ、他次元からすべりおちてきた種々の生き物。


 それらはこの世界の理から外れているがゆえに、神や魔神のごとき力を発揮する。


 さほど存在の大きくないものは、ワレスたち砦の兵士が退治してきたような小物の魔物となる。

 また、それらと融合し、変化をとげた物質など。竜犬、火喰鳥、青貝の木、みんなそうだ。この世の外の条理に影響され、もともとあったものが変化した。


(しかし、それなら、人とは思えない力を持つシリウスは……)


 ワレスの戸惑いを読んだように、サンダーは言った。


「あんたたち、ハーフゴッドだろう?」


 サンダーの言うあんたたちとは、ワレス、レリス、ハイドラだ。


「ハーフ……ゴッド」


 どこかで聞いたことのある響き。


「あんたがペガサス。こっちの美人がフェニックス。この魔法使いはハイドラだ」


 ペガサスと聞いても、やはり、としか思わなかった。

 シリウスのあの力は人間の持つものではない。

 ペガサス信仰国のウラボロス。そこに何百年も生きていたらしい青年のシリウス。彼は半分、神なのだ。


(おれが、神。その末裔? たいした皮肉だな)


 この世に神なんていないと思い続けて生きてきた。そう思わなければ心がもたなかった。あまりにつらい日々だったから。


 ワレスは笑いの発作を抑えられなかった。


「いいね。その皮肉。おれは嫌いじゃない。たいした神様だよ。何もここまで堕ちなくてもいいだろうに」


 墜落のシリウス。

 盗人で、人殺しで、ジゴロで、男娼。

 あげくのはてに愛人を死なせてしまう呪い持ち。

 どこまでも坂道をころがりおちていく。地獄の辺土の底までも。


 涙をこぼして笑うワレスを、誰もが気味悪そうにながめる。


 しかし、納得がいった。

 幼いころより感じていた世界との隔壁は、理由のあることだったのだ。


 その夜もまた夢を見た。

 鮮明な古代の夢。

 シリウスの記憶。

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