一章 運命のおとずれ5

 *



 広間へ行くと、クリュメル王は不機嫌だった。


「カルバラスへはもう偵察を出した。おまえに言われなくても、ちゃんと考えてるんだ」

「ですぎたまねをいたしました。おゆるしください」


 近ごろはずっとこうだ。クリュメルはまだ十五歳の少年王だが、早くに両親を失い、実質的に育てたのはシリウスだ。だが、このごろは何かとシリウスをうとんじる。反抗期だろうか。


 シリウスは広間を退出した。

 広間の両側は白大理石の柱に支えられ、そのあいだから放し飼いにされた火喰鳥のいる中庭が見える。火喰鳥たちはシリウスを見ると、しきりに鳴きさわいだ。


《シリウス。王様とケンカしたの?》

《あの子は近ごろイライラしてるね》

《気にすることないさ。僕らはいつでもシリウスの味方だよ》


 火喰鳥たちの鳴き声は、シリウスにはそんなふうに聞こえる。


 甘い金恋花の香りを吸いながら、頬をそめる女官や鎧姿の兵士とすれちがい、シリウスは柱廊を歩いていった。とつぜん、柱のかげから少女がとびだしてくる。


「シリウス!」


 抱きつくというより、ほとんど体あたりだ。予想していなかったので受けとめそこねた。少女はシリウスの頑丈な体にはじぎとばされて尻もちをつく。


「いたたたた……」

「ヴァージニアさま。いつも言っているでしょう? 急には危険ですよと。おケガをするのはあなたのほうですからね」


 クリュメルの六つ下の妹姫だ。赤い髪と顔じゅうのそばかすがたいそうチャーミング、と、シリウスは思っている。前歯が目立って子リスのよう。


「大丈夫ですか? 立てますか?」


 シリウスが手を貸すと、ヴァージニアはいくぶん慎重に抱きついてきた。


「シリウス。どこに行くの? 三日も姿を見せないで。火喰鳥のヒナをさわらせてくれるって約束したじゃない。あの子たち、シリウス以外にはなつかないんだから」

「火喰鳥は気性の荒い鳥ですからね。とくに卵を抱いているときは」

「だから、シリウスに頼んでるんじゃない。ねえ、お願い。お願い」

「ですが、今日は用事が……」


 クリュメル同様、育てたのはシリウスだ。どうやら、甘やかしすぎたらしい。

 見せてくれないと勝手にのぞくからとかなんとか、しきりにごねるヴァージニアを、シリウスは心を鬼にして置き去りにした。


 猛スピードで逃げると、王女の姿はまもなく見えなくなった。そのかわり風がまきおこり、ドレスのすその乱れた女官たちが悲鳴をあげた。女官たちにはシリウスの姿は見えなかったはずだ。ただの突風だと思っただろう。


(十に満たない女の子に追いまわされて、あわを食って逃げだす私は滑稽こっけいだな)


 おかしくなって、シリウスは笑った。


 ただ、クリュメルも少し前まではああだったのに、王位についてからよそよそしい。それが少しさみしい。王になると、シリウスのような存在はけむたいのだろう。


 先代の王とも、その前の王とも、うまくやってきた。でも、シリウスは自分の使う言葉がしだいに周囲の人たちより古くなってきていることを感じていた。言葉と同じように、存在じたいが時代遅れになりつつあるのか……。


 馬に乗って王宮を出る。

 城門へ続くゆるい坂をくだっていくと、シリウスを見かけた街の人々は、みな一様にうやうやしくあいさつしてくる。

 春の日差しのもと、ウラボロスはどこまでも平穏だ。こんな日がずっと続けばいい。


 城門につくと見張りの兵士が声をかけてきた。


「シリウスさま。外へ出られるのですか?」

「偵察に行った隊が戻ってこないそうだな。調べに行く。私が帰るまで手を出すなと、ぺシェルに伝えてくれ」


 グローリアのあの変な力が、どこまで人間に影響をおよぼすのかわからないうちは、ウラボロスの民には会わせないほうがいい。


「竜犬を借りるぞ」


 そこでシリウスは馬をあずけた。外では身一つのほうがいい。


 門の外はパンの木畑。実を乾燥させ粉にひき、パンにする。小麦は城壁の外ではほとんど育たない。

 背の低い木々のあいだに水色の空がひろがっている。

 パンの木畑を守るのは、青貝の木と竜犬だ。前者は大地の汚染から、後者は侵入者から畑を守る。


《シリウス。出かけるのかい?》

「やあ。ハルベルト」


 シリウスの友人の竜犬がパンの木の根方に寝そべり、恋人のワンダとじゃれている。


《こんにちは。シリウス》

「ワンダ。ぐあいはどう?」

《順調よ》


 ワンダは臨月なのだ。


《きっと金鱗の子が生まれるぞ》と言ったのは、ハルベルトだ。彼らは長い舌でたがいの鼻面をなめあう。


 かたい鱗で装甲された巨軀。大きさは馬ほど。形は犬に近い。色は白と黒があり、まれに両者のあいだに金鱗の子どもが生まれる。

 かつてはどの個体にも空を飛ぶ翼があったが、今はほぼ見られない。

 その昔、神々が乗り物にしていた生き物だ。


「ハルベルト。城門の外を調べるので、ついてきてほしい」


 シリウスが言うと、人間の頭などひと噛みで食いちぎるするどい歯を見せ、彼はニヤリと笑った。


《あいかわらず、君はなんでも屋をさせられてるんだな。シリウス》

「私は自分の意思でやってるんだよ。ハル」

《では、物好きにつきあおう。友達のよしみで》

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