叫んで五月雨、金の雨。

湊咍人

白驟雨


 視界を埋め尽くす車両前面部を、虫食いみたいに水滴が食いつぶしていた。

 ホームから降りた際に右足首を捻ったようだ。金属質の冷たい雨の中、そこだけが妙に熱を持って気持ち悪かった。


 金切り音が、電車を待つ乗客が散乱するホームを木霊する。


 女の悲鳴にも聞こえる、無機質なブレーキ音。対照的に、私の口からは乾燥した笑いが零れるだけであった。

 おもむろに振り返れば、そこには多くの感情があった。


 無理解。驚愕。恐怖。


 皆が目を背ける中、私は1人の少年と目が合った。

 彼は、私が線路上に佇む姿を心底不思議そうに見つめていた。


「なんで、そこにいるの?」


 時間にして、1秒もなかったはずの猶予。その中で、私の耳は確かに彼の言葉をとらえた。

 

 何故。


 私が、大きなミスを犯し取引先との関係を打ち切られたことか。

 私が、ミスの後処理を失敗し会社を傾けたことか。

 私が、責任を取る形で退職せざるを得ない状況にしてしまったことか。


 私が?


 私は心を病んでいるらしい。

 既に今月の生活費の大半をギャンブルに費やしてしまったらしい。

 妻は実家に帰る準備をしているらしい。


 そんなことは知らない。


 私が悪いのだろう。

 運が悪いのだろう。

 間が悪いのだろう。


 何が悪いのだろう?


 ただ、全身が数十トンの死に押しつぶされる瞬間。

 私の脳裏には、目が合った少年と同じくらいの年齢の娘だけが───





 賠償金は、1500万円にも上った。

 

 母子家庭となった私たちに払えるわけがない。既に年金生活を始めた私の両親も、愚かな男の両親にも返済能力はない。


 私たちに選択肢はなかった。

 

 あっけないほど簡単に、自己破産手続きは終了した。

 

「おとうさんは?」


 ただ、何も理解できぬまま問う娘に、何と答えればよいのか。

 そちらのほうが、比較にならぬほどに難しかった。


 あんな、父親だっただけの肉塊を見せられるわけがない。

 自己破産の事も、自殺の事も、この子に話すのは随分と先の話になるだろう。

 或いは、知らせないままのほうが幸せなのかもしれない。


「おとうさんは、お仕事に行ったの」

「そっかぁ、さみしいね」

「......うん」


 へにゃりと眉を下げ、舌足らずに囁く娘を強く抱きしめた。

 私は逃げない。この子を守る。そう強く誓えた。


 あの日の叫びも、涙も、血も、金も。

 全て、雨が洗い流してくれたから。


 

 

 

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叫んで五月雨、金の雨。 湊咍人 @nukegara5111

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