6章 嫌いの向こう側…①

「君さ、毎日お墓参りきてるよね。お父さんのことそんなに大好きだったの?」


 最初聞いたのは興味本位だった。毎日毎日飽き足らず墓参りに来る少年。もし僕が生きていたら、きっと今彼と同じくらいの歳だろう。


「……嫌い」

「じゃあなんで毎日お墓参りにくるのさ」

「特に理由なんてない」


 10歳くらいにしては妙に暗い受け答えの仕方。たった一本の線香は半分ほどまで灰になっている。


「うーん、空を見るとかそういった物事に対しては理由なくってのはわかるんだけど、お墓参りはそうじゃなくない?」

「うるさいなぁ」


 彼の父親が亡くなってから、約2年が過ぎた。49日の納骨が終わった後、彼はこうやって毎日のようにここに足を運んでくる。大抵はランドセルを背負ったまま、線香を一本だけ上げて帰るのだ。


「親父のことは嫌い……母さんを遺して死んだから」

「君だって遺されただろ」

「……別に、おれはまだ子供だからいいよ。学校に通って、勉強していればいい。でも母さんはおれの面倒を見なきゃいけないし、お金だって稼がなきゃいけない」


 どうやら、寂しくて墓参りに来ていたのかと思っていたのだがそうではないらしい。彼には彼なりの理由があるのだろう。それを言いたくないから、理由なんてないと言葉を濁したのだろうか。


「お母さんを苦しめた親父さんが嫌いか」

「そもそも、父さんも母さんもおかしいよ。なんで自分たちが苦労するだけなのに子供なんて産むのさ」


 自分としては、あまりそんな言葉を子供の口から聞きたくなかった。生まれてくることすらできなかった僕からしたら、随分と傲慢だ。ただ、自分だって産まれてきていたら、そんな恨み言の一つや二つ、吐きながら生きることになったのかもしれないと思うと、僕は彼を非難できなかった。


「産みたかったんだろう」

「……そもそも結婚だってそうだ。しない方が楽だろ。自分一人で生きていた方がよっぽどいい、身内が増えるとその分責任も増えるしやらなきゃいけないことも増える。一人ならそんなことしなくていい、自分の責任だけ取ってればいい」

「君は一人が好きか」

「……人間が嫌い」

「そっか」


 自分には到底理解できないけれど、生きている人間には生きている人間なりの苦しみがあるのだろう。自分からしたら、誰かと一緒に生きていきたいという願いは別におかしいこととは思えなかった。それは、僕の両親が俗にいうオシドリフウフってやつだからかもしれない。


「どいつもこいつも自分勝手だし、人とちょっと違うってだけでからかうし。おれからしたらお前らの方がよっぽど変わってるよ」

「嫌な目にあったか」

「お前ん家とうちゃんいないんだってな、とか。とっととお前の母ちゃん再婚しろよとか」

「それは失礼だな」

「というか、親のことはおれじゃなくておれの親に言えよ。まったく」

「それは確かに君にも通りがあるが、じゃあ君は本人のことはちゃんと本人に伝えているのかい?」

「……」


 そういうと急に黙りこくった。はは、きっと負が悪い出来事のいくつかは思い当たるものがあるのだろう。


「人間にそこまでの一貫性は備わってないよ。どんなに強く願っていたって、どんなにこういう人間だって信条で生きたところで、どうやったってどこかにボロがでる。そういう生き物さ」

「励ましてるつもり?」

「ああそうだよ。せっかく生きているんだもの、できる限り笑って生きてもらいたいものだからね」

「せっかく生きてるって……」

「ああ、言ってなかったっけ。僕生きていないんだよね」


 生きていない……そもそも僕は、死んですらいない。母親の腹の中で命尽きたから、それは死んだと表現するのが正しいのかもわからない。


「幽霊?」

「きっとそんなもんだよ」

「……ありえない……」

「ひどいな、ここにいるだろ?」


 まあ、霊感が強いなんて言われる人以外からしたら僕たちの存在なんてきっと御伽噺なのだろう。だけれど僕は残念ながらここに存在しないようにして存在しているし、毎日のように誰かを悼みにくる人々を見ている。


「なんって名前」

「あさひ、君は?」

「てつ……わだちって書いて、轍」

「わだち?」

「車の輪が通った跡のことをそういうんだって……父さんが、つけたって」


 車もタイヤもここから見える駐車場でしか見たことがないけれど、なんとなくいい意味なのだろうということはわかる。きっと足跡のようなものだ。


「いい名前じゃないか。うちは母さんがつけてくれたんだけどさ……もうしばらくこっちにはきてないんだ」

「……」

「転勤して引っ越しちゃった。たまにこっちにはきてくれるんだけどね。妹と弟がいるんだ、そいつらはちゃんと生きて……大きくなったかな」


 父親の転勤が決まったのが5年前。半年に一度くらいは顔を見せにきてくれるものの、最近は両親のどっちかだけ……みたいなことが増えている。弟には三度くらいしか会ったことがない。


「産まれてこれなかった兄貴がいる、なんて言ってないんだろうな。まあそうだよね、それだけで家庭の中が湿っぽくなっちゃう」


 僕のことを引きずって両親が幸せになれないというのなら、僕のことなんて忘れてもらった方がいい。妹も弟も、今更そんなこと言われてもきっと困るだろう。物心ついたばかりの子供にそんな十字架をかせる必要はない。知るとしてももう少し大人になってからでいい。


「……さみしく、ないの」

「寂しいけど……多分それもそろそろ終わりだ」

「おわり」

「きっと僕が僕でいられるのは、今日が最後だと思う」

「……」

「僕ね、今日が誕生日なの。出産予定日から10周年……産まれてないのに誕生日なんておかしいね」

「おめでとう」

「ありがとう……最後の日に人と話せてよかった。そっか、最後だから人と話す機会もらえたんだ」


 なんとなくわかるのだ。今日で自分の死人生は終わり。閻魔大王に謁見するのかなんなのかわからないけれど、俗にいう輪廻転生ってやつにそろそろお呼ばれするのだろう。なんとなくだけれど、そんな予感がしていた。あさひくんなのは今日で終わり。


「よりによって、そんな日におれに声をかけたんだ」

「寂しいって言ったろ?……でもそれでいいんだ。いない人間のことをずっと引きずって生きてもらうよりかは、忘れて楽しく生きてもらった方がいい……思い出してもらっているかどうか、なんて僕にはわからないし」


 それに、消えてしまえるなら消えてしまいたい。ずっとこの墓場で人々を見守っているのにも飽きてきたのだ。もう、誰にも思い出してもらえず、誰の記憶にも残らないというのなら、もう僕は僕である必要がないのだろう。


「恨んでないのかよ!そうやってやることやっといて、忘れる両親のことなんて!」

「……生きてる人にはそう見えるんだ」

「いや……その」

「恨んだところで誰が幸せになるの?」

「……っ」

「自分の存在が誰かを苦しみ続けるなら、もういなくなった方がマシだよ」

「だからって、それは……それは悲しすぎるだろ!?」

「そう思ってもらえるだけ、僕は幸せ者かもな」


 世の中には、誰にも惜しまれずに亡くなってしまうような人だってたくさんいるのだ。生きていた頃なんてないのに、そうやって僕のことを思ってもらえるなら、僕はきっと充分だ。成仏って、こんなことを言うのかもしれない。


「そう思うんだったら、君はお父さんのこと忘れないであげてよ」

「忘れるわけないだろ!?……父さんが、死ななければ……母さんは苦労しなくて、それに……おれなんていなければ」

「生きてても、死んでても、自分の存在が誰かを苦しめているのかもしれないって思うのは悲しいよな」


 きっと本心から父親のことを恨んでいるわけではきっとないのだ。だからきっと苦しいのだ。大好きだった人がいなくなって、生きている大切な人が苦しい目にあって、自分もそれに加担しているかもしれなくて……怒りを死んだ人間に向けることしか、自分に向けることしか彼にはできることがないのだ。

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