4章 嘘つきの向こう側…②

 ゲホゲホと、隣の部屋から彼が咳き込んでいる声が聞こえてきます。誰か助けてあげてほしいと思いましたが、どうやら今日はお家に誰もいません。お兄ちゃんは春から学校の寮で生活するようになり、お姉ちゃんは今日は普通に学校で、お母さんはお仕事に行っています。

 なんだかかわいそうになりましたが、私は何もしてあげられることがありません。それに、彼にもプライドというものがあるのでしょう。あまり調子が悪いところを人に見られたくないようでした。けれど、いつもよりもだいぶ酷そうに聞こえます。様子を見に行ってあげたくても、私の足はここから一歩も動けません、いっぽも。



「……なんで、こっちまで来てんの」

「わかんない」

「てか……なんだ、夢か」


 動けないと思っていたのですが、ふと踏み出してみたらガタンと音を立てて私の体は動きました。床の感触も、壁の感触もあります。彼の部屋のドアノブに手をかけたら、なんと開きました。

 なんて都合の良い夢でしょう!それでもいいと思いました。そんなことよりも、心配なのは彼のことです。


「大丈夫?」

「みりゃわかんだろ……きつい」

「熱ある?」

「めちゃくちゃ」

「……そうだ、お水」


 なぜか、コップを手に取ることも、蛇口を回すこともできます。まるで自分に実体があるかのようでした。そんなこと、あるはずがないのに。


「……さんきゅ……」


 私が渡したコップを、彼がしっかりと受け取ります。水を飲むと少しは落ち着いたようで、彼は棚から薬を取り出して飲み始めました。


「いいよ、このくらい。家族だもの」

「……オレは例外だろ」

「そんなこと思ってるの、あんたくらいだよ」

「……」


 彼は相当具合が悪そうでした。私とこうやって喋っているのも、きっと夢か何かだと思っているのでしょう。私もそうだと思います。これは今日限りの夢か何かだろう、と。


「……オレ、あの人の本当の子供じゃないよ」

「そうだと思った」

「……」


 彼はどこか観念した様子で目を伏せました。ずっと気にしていたことはきっとこれなのでしょう。嘘をついてきた、と言ったのはそのことだったのでしょう。


「だって叔母さんと似てないもの……みんな薄々気がついてるけど、それでもいいと思って一緒に暮らしてるんだよ」

「……お前は知ってたかもしれないけどさ」

「少なくとも、私の家族はそんな人たちじゃないよ」


 私の両親も、兄と姉もそんな小さいことを気にするような人たちではありません。それに、血というものも大事ですが、一緒にいたという実績がもたらす情というものもそんな簡単に壊れるものでもないと思います。


「おまえさー……姉ちゃんとそっくりな顔で、そういうこと言うなよな」

「?」


 彼の指が私の頬に触れました。温かくて、人の体というものはこんなものだったのだと私は思い出しました。


「私が見える?」

「初めて見えた。……本当に、姉ちゃんと瓜二つ、双子みてえ」

「嬉しい」


 私は私の顔がわかりません。鏡にも写りません。そもそも、自分に体はあるはずがありません。だけど、嘘でもその言葉はとても嬉しかったのです。


「姉ちゃんと同じ顔でさ、そんなこと言われたら、信用したくなるだろ」

「信じていいよ。だって、私の家族だもの」


 彼は私の言葉に安心したように、その後ぐっすりと眠りにつきました。





 あれから、彼に私の声は届かなくなってしまいました。けれど、それでもいいと思っています。


 家族はどんどんバラバラになって、彼もこの家から離れていきました。けれど、うちに帰ってくるたびに、私に声をかけてくれるようになりました。昔みたいに、きつい言葉じゃなくて、私にしっかりと話しかけてくれます。私はようやく、彼に家族の一員として認めてもらえたようで、それが仕方なく嬉しいのです。


 今日も私は、リビングタンスの上から、家族を見守っています。

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