4章 嘘つきの向こう側…①

「お前、オレのこと嫌いだろ」


 海というのはきっとこんな色をしているのでしょう。空というのはきっとこんな色をしているのでしょう。そんな双眸がこちらを見つめています。


「……ほんと、めんどくせ」


 ものすごく綺麗な容姿をしているのに、彼の口から出てくるのはそんな尖った言葉です。けれど彼はそんな人じゃないと、このくらい長くいればわかります。


「……なあ、こっちずっと見てんのやめてくれないかな。ウザい」


 ウザいなんてひどいなぁ。別にいいじゃん、見ていることくらい。だっていまこの家には君しかいないのに。


「……なり代わりみたいで、嫌じゃないのかよ」


 なり代わりも何も、彼と私は別の存在です。ただ、偶然私が生まれてこれれば、あなたと同い年だったというだけ。いや、あなたの年齢も嘘っぱちなんでしたっけ。直接聞いたわけじゃないけれど、年齢の割には小柄な体格を見ていると、多分そうなのだろうと思います。


「……」


 私は彼のことはよく知りません。別に彼の心の内を読めるわけじゃないから。だけど、その呼吸から、言葉から、本当は罪悪感を覚えていることはよくわかります。

 もし、私が生まれていたら、あなたは私のお兄ちゃんだったのでしょうか。弟になったのでしょうか。



 私は、生まれてこれませんでした。それから、ずっとこの家族を見守りながら暮らしています。お父さんの仕事は引っ越しが多い仕事なので、家が変わるたび毎回視界は変わるのですが、大抵ずっとリビングに置かれる小物ダンスの上が私の定位置でした。お兄ちゃんとお姉ちゃんは双子で、二卵性だというのに私が生まれられなかったちょっと前まではものすごくそっくりでした。お姉ちゃんの方が少し気が強くて、お兄ちゃんの方が穏やかで、仲の良い兄妹です。ただ、私の件があった頃からちょっとずつ二人は別の存在になっていきました。何があったのかはよくわかりません。ただお姉ちゃんがよくお母さんに宥められているところをよく見ていました。


 そんな二人の様子を眺めていたある日のことでした。知らない男の子がうちに現れたのです。お母さんは彼のことを私に紹介してくれました。お母さんの妹の子供らしいです。なんでも、お兄ちゃんとお姉ちゃんとはよく遊んでいるらしく、その子のお母さんが入院することになったので預かることになった、とのことでした。

 私も、何度かお母さんの妹に会ったことがありました。けれど、その子供は叔母ちゃんには全然似ていませんでした。そうとう甘やかされて育ったのかなんなのか、つっけんどんなところがあって、よくわからない子でした。ある日、叔母ちゃんは亡くなって、その子は本格的に「弟」として我が家に迎え入れられることになったのです。


 正直、その頃はその子のことが羨ましくてしかたなかったのです。

 だって、本当は私がお兄ちゃんとお姉ちゃんの妹になるはずだったのに、知らない男の子が弟の座に鎮座しているのですから。なんで私はダメで、彼ならよかったんでしょうか。悔しくて悔しくて、うらやましかった。お前もこっちにきてしまえと何度か願ったこともありましたが、そんなことしたって、お父さんもお母さんもお兄ちゃんもお姉ちゃんも誰も喜ばないのです。私は、もう人を悲しませるのはいやでした。だから我慢しました。それに、その子はものすごく病弱でした。朝方になるとこんこんと咳き込んで、ひどい時は一睡もできないまま朝を迎えるようなこともありました。私も病気で産まれられなかったので、なんだかかわいそうになってきたのです。これはきっと同情というものでしょう。



「……お前さ、オレのこと、めちゃくちゃ嫌いだろ」


 ある日、彼は明確にこちらを向いて声をかけてきました。その目は完全に私を捉えて、私に対して話しかけてきたのです。でもそんなことあるはずがありません。だって私は死んでいるのですから。幽霊です。世の中には幽霊とお話しできる人というのはいるらしいのですが、私は会ったことがありませんでした。それが、こんな身近にいたのです。彼は、私を見ることができました。

 けれど、捉えられるのは私の姿と、大まかな感情だけのようでした。いろいろ言いたいことはあるのだけれど、それの大枠しか彼には聞こえないのです。だけど、それでもよかった。だって家族のみんなとはお互い一方的なおしゃべりしかできないんですもの。少しでも私の言いたいことが伝わる、それが嬉しかったのです。


「私のいうこと、わかるの?」

「……全部わかるわけじゃないから。だから期待はするな」


 どうやら、彼は周囲の人間の考えていることがうっすらとわかるようでした。どうやら、私のような存在の声は普通聞こえないようなのですが、長いこと一緒にいたせいか存在を感知できるようになったのかもしれないとのことでした。


「びっくりしなかったの?」

「なんとなく、霊みたいなのは前からわかるし、お前の存在も知ってたから」

「そっか」


 どうやら、知らないうちに私のことは知られているようでした。なんだか、イーブンじゃないなと思いました。

 けれど、そんな気持ちはあっという間に消えました。

 生きていくのは、私が想像できないほどに大変です。世の中にはいろんな人がいて、その人の数だけ感情が溢れています。彼はそれがうっすらと聞こえてしまうのです。誰が嘘をついているか、誰が悪いことを考えているか、誰が純粋な気持ちで人を傷つけているか……全部、彼は感じとれてしまうのです。それはきっと、ものすごく辛いことでしょう。


「つらくないの」

「……そういう存在なんだよ」


 彼はそれを受け入れているようでした。私が私という存在を受け入れているように、彼もそうだったのです。そういうものは、付き合っていくしかない。けれど、彼の抱えているそれは、あまりにも理解されないものだから、彼はそれをずっと隠しながら生きていくしかないのです。それはあまりにも苦しい。


「……だからお前に話したのかもな。だって幽霊だから、言いふらさないだろ。生きてる人間にさ」


 ほら、彼だって辛かったのです。




「別にもう、嫌いじゃないよ」


 最初は嫌いでした。だって私だってお兄ちゃんとお姉ちゃんの妹になりたかったから。私がなれなかったそれになっている彼がうらやましかったから。


「……憎まれている方が、まだいい」

「?」

「オレの嘘がバレないかどうかが、ものすごく怖いんだ。だけど……嘘をつき続けられるほど、オレは人を騙すのが得意じゃないらしい」


 人を欺くのに一番必要なのは、きっと才能も努力もあるのでしょうが、なにより忍耐力だと彼は言いました。嘘をつき続けても痛まないような良心の持ち方が大事なのだと。そんな、それなら嘘をつかない方がいいでしょうと思いましたけれど、彼と会話をしているうちに、彼の言っている嘘というものが、優しい嘘なのだということは薄々感づいていました。


「オレが嘘をつき続けられるように、お前だけはオレのことちゃんと憎んでてくれよ」


 彼の言っていることが何なのか。私には理解できませんでした。


「……この家の人がこんなに快くオレのことを受け入れてくれたのは、お前の存在があったからだと思う」

「?」

「下に兄弟が増える覚悟があった。……普通の人はさ、いきなり親戚を預かってくれって言われてこんなに上手くいかないだろ」

「……」

「……まあ、いいや」


 一体何の嘘をついているのか。私にはわかりません。何を気にしているのかはわかりません。でも、そんなことを気にするほど、私も、私の家族も、そんな小さい人間ではありません。けれど、一度気に病んでしまったことはどうしようもなくその人のことを喰んでいくものです。そして、それは人によってすがるものになることだってあります。

 私だって、家族に産まれてこなかったことを気に病んでほしいと願ったことは、一度や二度ではないのですから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る