第15話 日陰の関係

今回の依頼を思い返していたら、気づけば家の目の前まで来ていた。


重いアパートのドアを開ける。

2人で借りたアパートだった。

憲介は水森恭子にもっと良い物件を提案したが、貧乏性なのか、ここで良いと言い張った。

朝は東向きの窓から強烈な日差しが目に痛い。景色は隣のアパートの壁、近くを走る電車の騒音が深夜まで鳴り響く。

控えめに言って最悪な物件。

でも、あと少しだけと思うことで今日まで寝床とすることができた。


「ただいま。」

憲介が疲れた声でそう言うと、小走りでが玄関にやってくる。

「おかえりなさい。」

暖かい家庭のような会話と、そこに流れる風の温度とのギャップはもう慣れたものだった。


薄緑のエプロンを身につけた水森恭子の顔を見た時、憲介は微かに鳥肌を立てた。

水森恭子の目の周りが赤くなっており、目もかなり充血していているではないか。

憲介は形式的に

「どうしたの?目が赤いけど。」

と聞いた。

水森恭子は少し考えた後、

「いや、なんでもないよ。」

と言って何かを考え出した。

それから憲介と同じような態度でこう言った。


「けんくんって私以外の女の人と仲良くしてたりする?」


憲介は色々な返答を一瞬のうちに考えたが、一番不自然でないやつで返すことに決めた。

「いや、そんなことないけど。なんでそんなこと聞くの?」

不倫している男が言いそうな、テンプレートをのやつだ。

でも水森恭子の返答は、どの不倫撃退本にも載っていないであろうフレーズだった。


「あ、そう。ならいいよ。忘れて。」


憲介は拍子抜けしてしまって「いいの?と聞き返してしまいそうになった。



そのままその日は終わっていった。



次の日、憲介は事務所でパソコンを開き、コミュニティに昨日のことを書き込んだ。

コミュニティとは憲介が事件の度に作っている『関係者専用報告掲示板』だ。

今回は弥咲にも入ってもらっていて、メッセージ履歴には二人の口論の記録が残っている。


*水森恭子(円谷恭子)は私に対して不倫を問い詰めるような言動を見せ、それに対して私はしらばっくれた態度を見せたが、彼女は私の返答に対して興味を示さず、そのまま問い詰めることもやめてしまった*


憲介の書き込みに対してすぐに弥咲が反応した。


*え?反応しないなんてことある?憲介からの愛が感じられなさすぎてどうでもいいって思われてるんじゃないの?ちゃんとやってるの?*


*なんでいっつも喧嘩しに来るんだよ。仲良くやろうぜ。仲良く。*


*普通に質問してるだけなんですけど*


憲介はいつもの展開になる前にページを閉じて、捜査ページへ切り替えた。

捜査ページといってもただの鍵付きのブログページで、ここには調査対象の立場になって何を考えているのかなどを書き込んでいる。

しかし昨日の書き込みはかなり間違っていたのかもしれない。

昨日の書き込みではあたかも水森恭子に憲介に対しての愛が深いかのように書いてしまったが、実際はもっと浅薄なものであであったように思えた。では、あの泣いたような目の跡はなんだったのか。


てっきり自分のために泣いてくれたと思っていた憲介は気恥しさやらなんやらで、また頭を搔いた。

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