第24話 聞いてない
桜が散り、青々とした若葉に変わる頃、雪平は身に覚えのない話に首を傾げていた。
「兵部経の宮様、今回は楽しみにしております」
「宮様の腕前を拝見できる貴重な機会ですので」
「一同、楽しみにしておりまする」
大内裏内を歩き、人にすれ違う度に武官や文官が気さくに声を掛けてくる。
しかし、会話の内容に心当たりがない。
「これはこれは兄上」
朝堂院の側を歩いていると背中に声が掛かる。
にこやかな顔で近づいてくるのは秋久だ。
「東宮」
雪平の言葉に一瞬寂しそうな表情を見せる。
しかし、その表情は一瞬だけだった。
「聞きましたよ、兄上。今回は楽しみにしておりますゆえ」
すぐに飄々とした態度に戻り、雪平に言う。
「待て」
ではでは、と手を振って去ろうとする秋久を条件反射で呼び止めた。
思わず、敬語ではなく命令口調になったことに気まずさを覚える。
しかし、秋久はそれを特に咎めることはせずに、口を開いた。
「どうかしましたか?」
「いや……いえ、先ほどから武官や文官達に似たようなことを言われるのですが、一体何のことです?」
「何って、山遊びですよ。今年は兄上が参加されると聞きまして。宮の者達だけでなく、公達らも燃えていますよ」
勿論、私も楽しみにしてます。
そう言って秋久は軽快に笑い、去って行った。
「……は? 山遊び?」
山遊びとは貴族や武官達で行われる狩りの大会のことだ。
山に入り、いくつかの組に分かれて時間内に多くの獲物を狩れるかを競うものだ。
その山遊びに、自分は参加することになっているらしい。
全くもって身に覚えのない話である。
「あぁ、宮様こちらでしたか」
駆け寄って来たのは和泉である。
「おい、和泉」
「何でしょうか?」
「私が知らぬ間に私は五日後の山遊びに参加することになっているのだが」
「あぁ、俺が言いふらしておきました」
きりっとした顔で和泉は言う。
気付けば持っていた扇を和泉目掛けて振り上げていたが、さっと躱されてしまう。
流石、近衛の中でも一、二を争う武官だ。
身のこなしが軽い。
「一体、どういうことだ? 私は参加するなどと、一言も言っていない」
腕組をして和泉を睨む。
「え、そうなんですか? 父と初季が『宮様が山遊びに参加するから広く言いふらしておけ』と言われたので。自分は指示通りにしただけなんですけど」
その言葉に雪平は眉を顰めた。
そして雪平は和泉と共に寝殿に戻り、猫の高貴を膝に乗せて本を読む初季を問い詰めた。
「え、今頃気付いたんですか?」
問い詰めれば初季は逆に驚いていた。
どうにもこの話は随分前から流していらしい。
山遊び当日が近づいてきて皆が雪平を激励するような言葉を口にするので気付くことが出来たが、誰からも声が掛からなかったら全く知らぬまま当日を迎えていただろう。
恐ろしい話だ。
そういうことは言っておいて欲しい。
こちらも準備というものが必要なのだ。
「まぁ、山遊びなんて兎や鳥を狩るだけでしょう。宮様は馬に跨ってるだけで結構ですよ。宮様が健康であり、呪術なんて微塵も効いてませんって呪詛を仕向けた誰かに示すのが狙いですから」
初季と雅近の狙いはそこにあるという。
雪平が皆の前で快活にしていれば雪平を狙う者は再び呪詛を仕掛けてくると予想される。
その際に呪詛が行われている場所を特定するということらしい。
守る対象を餌に使うとはどういう了見だ。
しかし、そうでもしなければ事態は動かない。
初季に視線を向けると手元には難しい本が幾つも積んである。
自分よりも年下の華奢な娘が自分のために懸命に取り組んでいるのだから、自分ばかり何もしないのは情けないことだ。
そう思うと口から出そうになる不満は鳴りを潜める。
「心配しなくても大丈夫ですよ」
「そうですよ。馬に乗って弓持ってくれればあとは俺達が何とかするんで」
無理に動物を狩る必要はないと二人は言うがそうじゃない。
「ん? 俺達?」
雪平の言葉に初季は頷く。
「まさか、そなたも出る気か?」
「勿論です。当日は私と兄、宮様で森の中を回ります。宮様は弓持って歩くだけで良いですよ」
弓が得意なこの娘、狩りにも相当自信があるらしい。
獲物は自分と和泉が用意するから、何もしなくていいと言う。
「そういう訳にはいかぬだろう」
雪平はムッとしてぴしゃっと広げていた扇を閉じる。
「和泉、付き合え」
「どうなさいました?」
年下の娘に下に見られていると思うと流石に腹が立つ。
弓の一つも出来ないなどと思われては心外だ。
「私とて弓の腕には自信がある」
しかし、体調を崩してからはろくに練習も出来ていないし、流鏑馬も結局矢を射る前に倒れてしまった。
今度こそ、あの生意気な娘に目にもの見せてくれる。
そうすれば初季の小生意気な態度も多少はマシになるのではないか。
そもそもあの娘からは親王たる私に対しての敬意が感じられない。
日頃から雪平は初季に舐められていると感じていた。
初季が尊敬の眼差しを自分に向ける場面を想像し、少しだけ気分が良くなる。
雪平は和泉を伴い、意気揚々と練習場に向かった。
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