第23話 歪な結界
翌朝、初季は目を覚まし、外に出るなり顔を顰めた。
無数の黒い靄が雪平の寝殿外にこちらの様子を窺うように浮遊している。
しかし、一線を引いているようで寝殿に侵入する気配はない。
そして何だか慣れない気配を感じる。
「初季」
背中に声が掛かり、振り向くとそこに立っていたのは父の雅近だ。
「お前が張ったのか?」
そう問われて初季は首を傾げる。
「何のことですか?」
雅近は顔上げ、空を見る。
「この結界だ」
「結界? これが?」
雅近と同じように視線を持ち上げて、意識を集中させる。
「確かに……何だか不安定な……心許ない結界のような……」
雅近の結界は親しみがあるのですぐに分かる。
それにもっと重厚感があり、存在を強く感じる。
だが、この結界は存在感が薄く、少し突けば破れてしまいそうな感じがする。
「私じゃないですよ。私はこんなに広く結界を張れません。張れたとしても寝所を覆うのがやっとです」
「それでも寝所を覆う結界が張れるのか?」
「何十日も継続するのは無理ですが数日であれば。昨晩は調度結界が弱まる頃で……魔の侵入を許してしまいました」
その言葉に雅近は目を見開く。
「何日張れる?」
「七日であれば。八日目になると精度が弱まるので張り直さなければなりません」
その言葉に雅近は溜息をつく。
「お前が男だったらどんなに良いか」
「…………またそれですか。それよりも男社会を壊した方が良いですよ。女に学は必要ないなどと馬鹿みたいなこと言ってるから、能無し才なしの使えない連中しか集まらないんですよ」
正直、この世界に物申したいことはいくらでもある。
「頼むから家族の前以外でそう言った発言はするんじゃないぞ。お前の気持ちも分からなくはないが、今の社会で女の社会進出は難しい」
そんなことは分かっている。
初季は今の男性優位の社会に不満を覚えている。
「だったら、今後二度と、私が男だったなんて口にしないで下さい。私だけでなく、兄様も傷付く。才がないことを気にしているのは知っているでしょう」
初季は父に向かって苛立ちをぶつける。
女でありながら誰よりも歴代随一と謳われる男の才を引き継いだ初季だが、その才は公の目に触れることはない。どれだけ才能があっても日の目を見ることがないのは女が陰陽道に触れることは本来ならば許されていないからだ。
男ではあるが才能のない和泉は努力しようがなかった。父の存在が大きすぎて周りからの過度な期待と、大きな失望を繰り返し、劣等感に打ちひしがれる姿を何度も見てきた。
末っ子の千歳も初季まではいかないが、光る才能を開花させた。
初季を恨んでもおかしくないが、和泉は妹と弟を可愛がり、大切にしてくれている。
「いくら父上でも兄様を傷付ける物言いは許しませんから」
「…………留意しよう」
雅近を小さく睨みつけた初季は溜息をつく。
「それで、昨晩ですが」
初季は昨晩の出来事を雅近に話す。
「私の結界が破られた。お前がいるから大事にはならないと思っていたが、ここに来て驚いている」
急に寝殿に邪気が発生したのは雅近の結界が破られたからだと言う。
「お前が歪な結界を張って凌いだのだろうと思っていたが」
「私じゃないですよ。私は寝所にしか結界を張っていませんでしたし、ちょうどその結界の効力が弱まる日だったんです。だから邪気の侵入を許してしまいました」
最近、雪平の周りに魔の気配はなかった。
なので結界を張り直さずとも良いだろうと油断した。
「私でも父上でもなければ誰の結界です?」
「それが分かれば苦労しない」
「では父上の結界を破ったのは?」
「分からない。しかし、呪詛の気配があるが……どうも場所は大内裏の中ではなさそうだ」
近くではあるが、大内裏の中ではないと言う雅近に初季は唸る。
「大内裏ではないが近い場所…………もっと絞れないのですか?」
都は広い。
大内裏の近辺には沢山の高位の貴族が住んでいる。
しらみつぶしに探すのは骨が折れる。
「宮様は既に東宮位を譲った身。権力争いに決着はついてます。身体も弱って、魔物に憑かれていると醜聞も広まり、疎まれている。宮様が苦しんで喜ぶ輩はもうそんなに多くないはずなのに、息をしているだけでも気に入らない輩がいる。そういう輩は限られるのではないですか?」
もう充分、雪平は苦しんだ。
身体的にも精神的にも苦しみ、自分が手に入れるはずだった大きな地位を諦めなければならなかった。
「それに呪術は普通の人間が行った所で何も起こらない。結界を破り、魔を呼び寄せることが出来るのは私達と同じ類の者です」
「あとは呪詛師を雇える金がある貴族だ。金を積めば積むほど、効果を求める。効果がないと分かれば再び呪詛を行うはずだ」
初季は頷く。
「兄様に宮様はすこぶる元気で本格的に政に復帰し、近々行われる山遊びに参加する予定があると噂を流してもらいましょうか。向こうは全く呪詛が効いていないと焦るでしょうね」
「それは良いな。これだけ執拗に宮様を苦しめようとするほどだ。効果がないと知れば必ずもう一度呪詛を行う。その機会に確実に相手を突き止めよう」
雅近と初季は頷き合う。
「呪詛が行われたであろう、おおよその場所は調べておこう」
そう言って雅近は寝殿を出て行く。
結界も後で張り直すというので、それまでは雪平から離れるなと念を押された。
「気掛かりなのはこの今にも壊れそうな結界なんだけど」
空を見上げれば不安定で歪な結界がそのまま残り、結界の向こう側には魔の気配が蠢いている。
結局、その結界の主は不明なまま、新しく張られた雅近の結界に飲み込まれるように不安定で歪な結界は消滅してしまった。
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