第21話  うなされる夜

 初季は不穏な気配を感じてばっと飛び起きた。


 布団を蹴飛ばし、重々しい空気を手で払えば黒い靄が散っていく。

 手燭を持ち部屋を出て夜の皆が寝静まった廊下を進み、雪平の寝所に足を運び、無遠慮に御簾を捲り上げた。


 几帳に仕切られた向こう側に御帳台がある。


 その周りに漂う禍々しい邪気に初季は顔を顰めた。


 御帳台の中を覗き込めばそこには苦悶の表情を浮かべ、玉のような汗をかく雪平が横になっていた。


「う……っ……くっ……」


 呻くような声が形の良い唇から零れている。


 雪平の枕元に漂う黒い塊が人間の手のような形を模して雪平に向かって伸びていく。


「触るな」


 初季は声を発すると黒い塊は怖気づき散り散りになって溶けるように姿を消した。


「宮様、宮様」


 初季は周囲にいる邪気が消えたのを確認して雪平の身体を揺すり起こす。

 寝巻はぐっしょりと濡れていて、酷くうなされていたのだと改めて思った。


 こんな風にうなされ続ければ体調も崩すわ。


 眠れないということは身体を休めることとが出来ないということだ。


「っ……う……誰だ……?」


 薄っすらと瞼を開けて雪平は言う。


「宮様、私が分かりますか? うなされていたんですよ」


 初季の言葉に雪平はぼんやりとした様子で頷く。


「……夜這いか?」


 本気か冗談か一瞬混乱するが、男色ではないはずなので冗談だ。


 手燭の炎がしっとりと汗ばんだ雪平の肌を色っぽく見せる。

 この男であれば誘われるがままに衾に飛び込む女もいるだろう。

 女に限らす男も飛び込んでいきそうな色気がある。



 身体に掛けていた衾を持ち上げ、隣を指すがお断りだ。


「何を馬鹿なこと言ってるんですか。大丈夫なら戻ります」


 では、おやすみなさい。


「待て」


 初季は背を向けるが雪平に腕を掴まれ、引き止められる。


「少し、ここにいろ」


 縋るような視線を向けられ、初季は息を飲む。


 不安そうに揺れる瞳とはだけた襟から除く素肌に思わず視線を向けてしまう。


 これで落とせない姫は一体どこの誰なのか。


 雪平を袖にした姫に少しだけ興味が湧いた。


「それが人にものを頼む態度ですか?」


 しかしどんなに色気を振りまかれても初季には通じない。


 雪平が振りまいた色香は初季の冷たい言葉により見事に打ち落とされた。


 雪平はそれが親王に対する態度か? と思ったが言わなかった。


「…………もう少しここにいて欲しい」


 下手に出て雪平が言うと初季は細く息を吐く。


「今、着替えをお持ちしますから着替えて下さい。そのままでは風邪を引きます」


 初季は用意した着替えを雪平に渡し、着替えている間に寝所を見回る。


 先ほどのような禍々しい気配は消えて既になく、静かだった。


 初季は寝ていたら急に不穏な気配を感じて飛び起きた。

 するとこの御殿に禍々しい気配が充満していた。


 雪平の寝所に近づくほどにその気配は大きく、濃くなっていく。


 駆けつけるとこの酷くうなされた雪平の姿があった。


 ここ数日は特に問題もなく過ごしていたのに、一体どうしたというのだろうか。


「誰かが呪詛を行ったのか?」


 ここしばらく行われていなかった呪詛がどこかで行われたのかもしれない。


 几帳の向こうから衣擦れの音が聞こえ、初季は気を使い、部屋の外に出た。


 廂に出ると空には大きな月が空に浮かんでいる。

 白んだ月は美しく、どこか妖しげな雰囲気があった。


「寒くないか?」


 廂に出てきたのは着替えを済ませた雪平だ。


「それほど寒くはないですよ。お茶でも淹れますか?」


 酷くうなされていたのを起こしたので雪平も目が冴えている。

 時間はかかるがお茶を淹れて誰もいない廂に出て月を見ながら湯気の立つお茶を飲むことにした。


「またそなたに助けられたな」


 疲労の色を浮かべて雪平は嘆息する。


「急に沢山の禍々しい気配が湧いてきました。どこかで呪詛が行われたと考えるのが妥当かと」


「呪詛とはそんなにすぐに効果があるのか?」


「相手の技量や方法にもよりますが。浮遊しているものが偶然憑いたという感じではなく、急にぶわっと湧いて出たような感じでした」


 憑き物に憑かれやすい人はいる。


 そういう人は憑き物が漂っている場所に偶然通りかかったり、その場所に身を置くことで憑かれるし、単体がほとんどだ。


 しかし、今回は急に多くの気配が沸き起こった。


 雪平を目掛けて呪詛を行ったと考える方がいい。


「お花見から帰って来てからは何をしてましたか?」


 二人は花見から帰った後は夕餉まで自由に過ごしていた。

 初季は本を読んでいたが、雪平がどこで何をしていたかまでは把握していない。


「少し休んでから……貴船に髪を整えてもらったな」


 雪平の髪はいつも艶があり、美しい。


 貴船が椿油と櫛で丁寧に整えるのは日課らしい。

 特にどこに出掛けたわけでも、誰に会ったわけでもない。


 初季はその答えに唸る。


「とりあえず、様子を見ましょう」


 今はそれしかない。


「宮様、私が今晩は御帳台のお傍で休んでも良いですか?」

「…………は?」


 何を言っているのか分からない、と言うような顔をして雪平は声を出す。


「今晩はもう何もないと信じたいですが、何もないとは限りません。側にいれば何が起こってもすぐに対応できますから」

「…………私の側で寝るつもりか?」


 そのつもりなのだが、ダメなのだろうか。


 さっきみたいに飛び起きて寝所まで足を運ぶのが面倒なだけなのだが。


「そなたは……私の側で眠れるのか?」

「一緒の床に入るわけじゃないんですから、寝れますよ。外に出たら男同士であれば狭い部屋で雑魚寝も普通だと兄も言っていましたし」


 初季の言葉に雪平はきょとんっとした表情を見せた後、ようやく腑に落ちたように頷く。


「分かった……分かったが、なるべく近づくなよ」


 やけに念を押す雪平が不思議で初季は首を傾げる。


「人が近いと眠れないのですか?」

「あぁ。そなたがいると眠れぬかもしれん」


 意外に神経質なようだ。


 初季は雪平が眠る御帳台から少し離れた所に几帳を置いてなるべく部屋の隅に敷布を用意した。


「ではお休みなさいませ」


 初季は御帳台の中に入った雪平に告げて、瞼を閉じた。

 

 

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