第20話 花見

「そなたは和泉と仲が良いな」


 雪平の言葉に初季は頷く。


 鴨川沿いの桜を眺めながら歩き、風にそよげばはらりと舞い散る薄紅色の花弁を楽しんでいた。


 会話は先ほど雪平の弟である秋久と遭遇したため、その延長だ。


「うちは父母が同じ兄弟ですからね」

「他に子はおらぬのか?」


 貴族の男は複数の妻を持っているのが普通だ。


 男は女の住む屋敷に通い、夜をそこで過ごし、男が通わなくなれば、自然と別れとなる。


「いないと思いますよ。父は一族でも誉れ高い男などと言われておりますが、悪鬼からも人間からも恨まれる対象です。歴代随一の陰陽師と言われる影で側にいれば災いが飛び火すると言われているぐらいですから」


 好んで側にいたいと言ったのは母ぐらいのものだったと父は以前、初季の前でぼやいた。


 一族の長とも呼べる人と女房の間に生まれた母は一族でも煙たがられた存在で、偶然にも父と出会い、父が攫うように連れ帰ってしまったらしい。


 普通に犯罪だ。人攫いだ。信じられない。


 女っ気もなく、浮ついた話のない父の行動はすぐさま一族中に知れ渡った。

 当然、長からは大目玉を喰らったかと思いきや、特にお咎めもなく。


 母は父を慕い、父は母一人を大切にしている。


 恐らくだが、当時の母は父が常識外れな行動をしたくなるぐらい不遇な生活を強いられていたのではないかと思っている。


 それを母に確かめたことはない。しかし、自分を攫った父をこの世の誰よりも愛しているのだから、父の行動には意味があったし、結果として母が幸せであればそれでいいと思うことにしている。


「そなたの母は素敵な人なのだろうな」


「母は兄と同じく悪鬼や怨霊などの霊的なものが視えないし、全く感じないんです。それどころか、離れていくらしいのです。だから父も居心地がいいのかもしれません」


 悪鬼や怨霊などの霊的な存在はそれらを感じる者に付きやすい。


 しかし、母は全くそれらを感じないので、悪鬼や怨霊も母に興味がないのだ。

 そんな母は常に人ならざる者が視えている父が唯一、安らげる場所なのだと思う。


「全く感じないとは……羨ましいことだな」


 雪平は嘆息する。


 初季と会うまで払っても払っても憑き物が絶えなかった雪平は雅近の母が心底羨ましいと思った。


 雪平は直接それらを目にすることは出来ない。


 流鏑馬の一件は特殊な例だと雅近は言った。


 何でも、小さな霊魂や邪気は大きくなったり、強くなれば人の目にも見えるのだと言う。


 小さかったり、弱く力のないものは普通の人間には視えない。

 それでも感じることは出来る。


 ここ数年、憑き物に悩まされ、体調を崩して床に臥せっていたのだから。

 きっと、雅近の妻はそれすらも感じないのだろう。


「まぁ、私にはそなたと雅近がいるからな」


 この大内裏で雅近は雪平の味方でいてくれる。

 それだけが雪平は救いだった。


 他の陰陽師では気休めにもならない祈祷だが、雅近だけは一時的でも効果があったし、雅近も仕事に対して真面目な男で原因を突き止めようと尽力してくれているのが伝わってくる。


 そして最近は人並に過ごせているのは初季の存在が大きい。


 初季が住居内を歩いて回り、雪平の害になるものを払ってくれている。


 特別な祈祷をしているわけではないのに、初季が歩くだけで気配が浄化されているような清々しさがあり、雪平は住居が明るくなったように感じていた。


 初季がどこからか連れて来た黒猫の高貴も雪平に癒しを与えてくれている。

 黒い猫など不吉だとばかり思っていたのに、今では何とも思わない。


 膝に乗り丸くなる高貴は可愛いし、呼べば心地よい鈴音を鳴らして近づいてくる姿は何とも愛くるしい。


 初季が来てから確実に雪平の生活はいい方向へ変化していた。


「安心して下さい。必ず、呪詛の元を見つけ出して貴方をお助けします」


 初季が決意に満ちた眼差しを雪平に向ける。


 大きい瞳には曇りがなく、透き通っていて飲み込まれてしまうのではないかと錯覚を起こしそうになるほど美しく、輝いて見えた。


 期待するな、心がそう言っているにも関わらず、雪平は胸の奥が高鳴るのを感じた。


「でないといつまで経っても家に帰れない」


 期待を見事に裏切る初季のその一言に雪平はしっかりと目を覚ました。


 分かっている、分かっているとも……。


 この娘はそういう娘だ。


 可愛い顔をしてはいるが、馬に跨り弓を持つじゃじゃ馬だ。 


 性格も自分本位で難ありだし、口も悪いし、こんな風にしていれば貴族の姫だとは思えない。


 この娘に恋文を送り、実際に会ってみたら恋文を送る先を間違えたとしか思えなかった。


 和泉の話では今でも毎日のように公達から文が届くと言う。


 ふん、どうせ送るだけ無駄だ。


 こんな娘の何が良いんだか。


 自分に全く興味を示さないというのはどうにも口惜しい雪平は初季の粗を探して心の中で貶す。


「それにしても本当に綺麗ですね。いつまでも見ていたいです」


 そう言って初季は桜の散る様子を眺めていた。


「そうだな」


 雪平は同意する。


 うっとりと花を見上げて微笑む初季の横顔はとても美しく、雪平は視線を奪われた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る