第17話 雪平の溜息
「散歩に行きませんか?」
初季は気乗りのしないことを雪平に提案する。
正直、断ってくれても構わなかったが、雪平はそれを了承した。
「せっかく天気も良い。大内裏を出て鴨川まで行ってみるか」
都の東にある鴨川のほとりに並ぶ桜が見頃だと言う。
「行ってみたいです」
気乗りしなかった雪平との散歩が一気に楽しみに変わる。
仮にも藤原家に名を連ねる家門の姫である。
早々、自邸の外に出ることは許されない。
和泉と一緒にこっそりと自邸を出て都を散策するのが初季の密かな楽しみだったが、それも最近はめっきり機会がない。
内裏に身を置き、数日経つが、右を向いても左を向いても必ず視界に入る人魂や怨念の塊に辟易している。
「いい気分転換になりそうですね。楽しみです」
「そうだな。たまには良いだろう」
雪平の顔色も健康的で、身体に纏わりつく禍々しい物の気配もない。
機嫌も良いようだ。
出掛ける準備を済ませて、御殿を出ようとしたところで雪平足を止めた。
「悪い。忘れた物がある」
「忘れ物ですか?」
雪平は一度、中へ引き返し、ほどなくして初季の元へ戻って来た。
「何を忘れたのですか?」
「あぁ……鏡だ」
「鏡?」
着物の袂を押さえる仕草を見せる雪平の横顔は穏やかだ。
懐に収めた鏡を大事そうにしている。
そんな物を持ってどうするつもりなのだろうか。
「亡くなった母の形見だ」
雪平の言葉に初季は納得する。
「お守りですか」
「あぁ。生前母が大切にしていたそうだ」
「鏡には邪を跳ね返す力があると言われてますからね。母君の形見とあれば、大事になさって下さい」
鏡には魔物や邪気を払う力があると言われており、霊具としても使用されることが多い。
母君の守りがあれば彼の心にも効くはずだ。
「見てみるか?」
「いえ、結構です」
懐から鏡を取り出そうとする雪平の手が初季の一言で止まる。
「……そなた、少しは私に興味を持ったらどうだ?」
雪平はあまり関心を示さない初季にじっとりとした視線を向ける。
「興味ならありますよ」
「ほう?」
雪平はあまり期待せずに初季の言葉を待つ。
「何故にこうも邪気が寄り付くのか……何が理由なのか……非常に気になります」
「……それは私に対しての関心か?」
初季の答えに納得のいかない雪平は初季に聞き返す。
「勿論です。一体、誰が貴方を苦しめているのか……気になるに決まってるではないですか」
初季は真摯な眼差しを雪平に向ける。
一体、どんな恨みを買ったのだろうか。
何て言っても、雪平は顔が良すぎる。
親王という身分、男であるなら誰もが羨むこの麗しい容貌、床に臥せる前は頻繁に外出して公達と弓や馬を楽しみ、活動的だったと聞く。
女性からの声も多かったことだろう。
これは初季の勝手な想像だが、女性を取られた男達の逆恨みではないだろうか。しかも、相当根深い。
正直、このご面相であれば大抵の男は敵わない。男性諸君には天災にあったと思って諦めて頂くより他ない。
初季は雪平の端正な顔立ちを正面から凝視しながら、勝手な想像を膨らませて、世の男達を憐れんだ。
一方、雪平は真っすぐな初季の視線に心がざわついていた。
関心のないように見えて、しっかりと自分のことを考えてくれている初季に心が絆されかけている。
初季の美しい瞳が自分をじっと見つめていると思うと、どうにも気恥ずかしくなってしまう。
「あまり、見つめてくれるな。そなたが私に真剣だということは分かったから……」
ふいっと扇で顔を隠して視線を逸らす雪平の頬に赤みが差す。
この娘に心配されていると思うと悪くない気分だ。
そんな風に思っていると初季の視線が自分から逸れた。
「全く、逆上した男の行動は大胆ですからね。こういうことも起こり得るでしょう。以後行動には、気を付けて下さい」
初季は呆れたような声で言い放つ。
「…………」
「どうしました?」
無言になった雪平に初季が問い掛ける。
「……私は何か勘違いをしていたようだ」
自分の気持ちと初季の気持ちが噛み合っていないことに気付き、雪平は大きな溜息をついた。
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