第18話 東宮
内裏を出ようと宣陽門に足を向けると人影があった。
雪平が足を止めるので初季も一歩後ろに下がり、足を止めた。
「兄上」
明るい声音で雪平に歩み寄る青年の姿がある。
兄上?
「……そんな風に呼ぶのはお止めください、東宮」
少し間を開けて、静かな声音で雪平は言う。
東宮? この人が?
初季は礼を取り、顔を伏せる。
東宮といえば、女御が生んだ皇子、秋久である。
たしか、今年で二十歳だったはず。
ちなみに雪平は二十二歳である。
雪平は亡くなった中宮が生んだ皇子だ。
本来であれば兄であり、中宮が生んだ皇子の雪平が東宮であるはずだが、度重なる体調不良により東宮の座を弟、秋久に譲ることになったと聞く。
顔を伏せるフリをして東宮と呼ばれた青年に視線を向けた。
人懐っこそうな垂れ目が印象的な青年だ。
あまり雪平には似ていないように思う。
「そんなこと言わないで下さい。どうせ誰も見て……あぁ、従者がいたのですね」
申し訳ない。ここにいたんですよ、さっきから。
雪平の陰になり、初季のことは目に入っていなかったらしい。
「もしや、彼が雅近殿のところの千草殿……だったかな?」
「千歳と申します」
初季は平然と弟の名前を口にする。
「君は父譲りの才があると聞く。兄上をよろしく頼むよ」
そう言って柔和な笑みを浮かべて秋久は宣陽門に向かっていく。
門前で車を用意していた従者と言葉を交わし、車に乗り込んでどこかへ出発した。
雪平に視線を向けると、そこには複雑そうな表情を浮かべる雪平の姿がある。
「恨んでますか?」
「……そなた、あまりずけずけと人の心の内に入ろうとするな」
細く長い息をつき、雪平は頭を掻く。
雪平が歩き出したので初季も一緒に歩き出す。
重たい空気を纏いながら、無言のまましばらく歩く。
東に向かって歩き、鴨川を目指した。
「……はぁ、昔はよく一緒に遊んだものなのだが」
重々しい空気に耐えかねて先に口を開いたのは雪平だった。
「仲が良かったんですか?」
「あぁ。いがみ合っているのは家同士で幼子には身分や地位など関係ないからな。女房達の目を盗んでよく遊んだものだ」
そう言って雪平は懐かしそうに目を細める。
年の近い弟はいい遊び相手で自分に懐く秋久は可愛いと思っていたと雪平は語る。
柔らかい語り口と慈愛に満ちた横顔からは昔も今も、その気持ちが消えていないことを初季は悟る。
「雅近は秋久が私に呪詛をかけているのではないかと疑っているのだ」
それはそうだろう。
雪平が床に臥せて一番得をするのは秋久だ。
もしくは秋久の家門の誰かである。
親王の身分から東宮の地位を確固たるものにし、次代の帝となれば大きな権力を手にすることができる。
「宮様はどうお考えなのですか?」
「…………あやつではないと思う。いや、思いたいだけか」
自分でも分からないと雪平は言う。
弟想いの優しい兄は疑わしいと思いつつも、弟を信じたい気持ちが強いようだ。
初季は自分が同じ立場であると仮定して考えてみる。
兄の和泉、弟の千歳、初季の三人は父母が共に同じの兄弟で、仲は良い。
兄は面倒見が良く、初季や千歳ともよく遊んでくれたし、一緒に時間を過ごすことも多かった。
それは今でも変わらず、なかなか初季から離れない和泉を母が心配しているぐらいだ。
そんな兄が実は自分を呪いたいほど憎んでいたらどう思うか。
それは凄く悲しく、寂しいことだ。
楽しい時間を共に過ごし、育んできた絆が音を立てて崩れ落ちる。
一緒に過ごした時間が偽りだったなどと思いたくなくて、複雑な感情に苛まれる。
きっと雪平も同じなのだろう。
幼い頃の秋久との思い出を捨てきれず、彼が自分を呪うはずないと思いたいのだ。
甘いとしか言えない。
人は変わる。
こんな愛憎渦巻く大内裏にいれば尚更だ。
地位に権力、金に女、身勝手な欲望、大内裏は様々な感情の吹き溜まりのような場所だ。
こんな場所でそんな甘いことを考える雪平は純粋過ぎる。
そう思うと、どうにも放って置けない気がして初季は胸がざわついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます