第13話 春臣
茜色に染まる夕日が庭先に降り注ぐ。
草木や建物は影を伸ばし、間もなく訪れる闇から逃げるように官吏達は自邸へと帰って行く。
初季は人気の少なくなった陰陽寮で書簡を捲って読んでいた。目的は雪平の呪詛について調べる為だ。そんな事は雅近や他の陰陽師達が調べているだろうが、初季は彼らに比べて知識も経験も及ばない。関係のない情報でも目に入れて置けばそれだけでも無意味ではないと思い、書簡を眺めている。
「千歳殿」
机に向かっていると背中から声が掛かる。
振り向くとそこには二人の男が立っていた。
一人は橘樹、陰陽寮で陰陽助という役職を持つ人だ。雅近とは旧知の間柄で初季が陰陽寮に通うようになってからというもの、とても良くしてくれている。
穏やかで優しい人物で垂れた目尻や笑顔が絶えない表情にも人柄が出ている。
常に気難しい表情、近寄り難い雰囲気を醸し出して人を寄せ付けない雅近とは対極的な人物だ。
「樹殿……と……」
隣りにいる人物に見覚えはあるが、名前が分からない。
確か……得業生って言ってたような気が……。
見た限り、初季よりも年上だ。和泉よりも大人びて見える。
樹の醸し出す穏やかな雰囲気とは違い、何だか威圧感がある。
「お会いするのは初めてではないのですが、覚えていなくとも致し方ありますまい」
樹は千歳の正体が初季である事を知っている。雅近に連れられて最初に訪れたのは樹の所だった。
初季を見て最初は目を丸くしていたが雅近と一言二言交わすとニコニコと承諾し、陰陽寮の中を案内してくれた。
「春臣、挨拶なさい」
樹に促され、男が前に進み出る。
「橘樹が長男、春臣と申します。陰陽寮では陰陽得業生をしております」
「千歳と申します、よろしくお願い致します」
頭を下げ、簡単に自己紹介を終える。
「昔、何度かお会いした事があるのだが……」
「すみませんが……覚えておりません」
すると春臣の視線が鋭く表情は険しいものへと変わる。
こ、怖い……。
何故、初対面同然の人間にこんな風に凄まれなければならないのか。
初季が答えると樹は苦笑する。
「はは、覚えておらずとも仕方ない。最後にお会いしたのは貴方が五歳の時です。春臣は十歳になる年だったから覚えているかと思うが」
私が五歳?それとも千歳が五歳?
初季の話をしているのか弟である千歳の話をしているのか判断出来ない。
初季は今年で十八になる。五つ上なら春臣は二十三、弟の千歳は十五で五つ上なら二十歳だ。
二十三歳か、二十歳……どっちだ?
初季は座ったまま自分の前に立っている春臣を見上げた。
細身ですらりと背が高く、色白で整った顔立ちは女性受けすると思われた。何だか険しい顔をしているが笑った表情は樹と似ているんじゃないかと想像出来る。
春臣と視線が合うとあからさまに逸らされた。そして確信した。
あぁ……この人、私が陰陽寮にいるのが面白くないクチの人か。
毎日勉強と修行をしている自分達を差し置いて、親王に目を掛けられている事が気に食わないのかも知らない。
実際、親の七光りで官職に就いただけの能無しはかなり多い。しかし陰陽師においては実力が物を言う。
そのうち痛い目見るぞ、てめぇ……って事か……。
怖い、怖い。
「にして、千歳殿。まだここに残るのかな?」
「いえ、今日はもう戻ろうかと」
「それが良いい。春臣、雪平親王の御殿まで送ってあげなさい」
「分かりました」
「え? いえ、一人で平気です。お気持ちだけで」
こんなギスギスした空気を醸し出す人と二人っきりなんて嫌過ぎる。
初季が遠慮すると樹はにっこりと大きな笑みを作って初季に向けた。
「大丈夫ですよ。この子は私に似てとても甲斐性のある子ですから」
では、と言って足早に去って行く。
取り残された初季は恐る恐る春臣に視線を向けた。
「片付けないのか」
「は、はい……片付けます」
ムスッとした態度で言う春臣に急かされて初季は慌てて片付けを始めた。
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