第12話 雅近

「失礼致します、雪平親王」


 ぐうの音も出せずにいると廂の方から声が掛かる。


「雅近か、入れ」


 御簾をくぐり、現れたのは初季の父である雅近だ。


 歴代随一と呼ばれるだけの貫禄があり、その容姿はどちらかと言えば中性的で初季と面差しが似ている。近寄り難く、怜悧な雰囲気がそっくりだと雪平は思った。


若い頃は周囲がこぞって何故、女ではないのだと悔しんだ美青年だったという話も頷けた。


「千歳……その猫を向こうにやれ」


 雅近が怪訝な表情を作る。



「ほら、千歳。雅近も黒猫を置くのを良しとせぬぞ」


 味方を得たとばかりに、雪平の声が明るくなる。


「父は猫ではなく、動物全般苦手なんです。別に黒猫に限った話ではありませんよ」

「毛が抜けるし、臭いだろう」

「人間だってハゲ散らかるし、年取れば酷く臭う」


 初季の言葉は年頃の雅近にはきつかったようで、どことなく表情が暗くなる。

 歴代随一の陰陽師も娘には敵わないらしい。


「何か分かったか?」


 話を切り替え、本題に入る。雅近が来たのは呪詛の調査報告の為だ。


「おおよその場所は特定出来ましたが、はっきりとは致しません」


 居住まいを正し、落ち着いた声で雅近は話始めた。初季は雪平の隣で雅近に向かい合う位置でその話に耳を傾ける。


「その場所とは?」

「占いにより示されたのはこの大内裏です」

「……そうか」


 分かっていた、と顔に書いてある。


 呪詛が大内裏で行われているという事は犯人は大内裏に住まう者の可能性が高い。大内裏に住んでいるのは帝や東宮、親王、内親王、後宮の女達、女房、かなり絞る事が出来る。


 しかし、それは身近な者による犯行であり、身内による可能性が高いという事だ。


「今分かっているのはこれだけです」

「分かった。調べは続けてくれ。下がって良い」


 雪平が言うと一例し、初季に向き直る。


「何か欲しい物はあるか?」

「私の香と香炉を届けて欲しいです。母様に言えば分かります」


 必要な物があればこちらで用意してもらえるのだが、自分の物の方が使い勝手が良い。


 和泉や雅近が届けてくれる。


 初季にとって幸いだったのはこの建物が新しいという事だ。この場所で死んだ人間がいない為か、霊魂がいない。たまに彷徨っている霊魂もいるがすぐにどこかへ消えてしまう。


 霊魂が飛び交う大内裏でこの場所は比較的落ち着いて過ごせる場所だった。

 そう言うと小さく頷き、再び雪平に一例して御簾の外へ出てった。


 部屋に残った初季は雪平の表情を覗う。


 先程の話が堪えているのか、表情は暗い。

 部屋の空気がじっとりと重く感じられる。


「権力者程、敵は多いものです」

「私に権力などない。欲しいとも思わない」


 憂いを帯びた声で呟くように言った。


 哀愁漂う雰囲気もこれほどの容貌ならば様になるな、と感心してしまう。


 綺麗な人……この人を袖にする程の女性って一体……。


 先日、袖にされた姫がいると言っていたが本当なのだろうか?


 そんな事を考えている場合ではないと頭を振り、何か気の利いた言葉はないか考えてみる。


 膝の上で丸まる猫の背中を撫でながら、思案するものの、思いつかない。


「すみません、落ち込んでいる人に掛ける言葉が見つかりません」


 思ったまま口にすると雪平はがっくりと項垂れる。


「……そう言う事は口に出さずとも良い」

「だって、隣でそんなに暗い顔されれば困ります。どうにかしなくてはと思うでしょう」


 そう言うと雪平は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしたまま静止する。


 雪平ならば影の差した横顔は絵になる。


 だが、優美で余裕を感じる意地悪そうな表情の方が雪平には似合っている。

 そんな風に考えていると雪平は距離を詰め、初季に近づく。


「何だ、千歳。そなた、私を慰めようとしていたのか?」

「それは……まぁ」


 そういう事になる。


 小さく頷くと雪平がふわりと柔らかい笑みを浮かべ少しだけ目を細めた。その表情をまじまじと見つめる。


「やっぱり、貴方はそういう顔の方がにあいますよ」


 暗い顔は似合わない、そう確信する。


「部屋の中で雨が降るかと思いました。さっさと元気出して下さい」

「……お前といれば気も晴れよう」


 大きく脱力し、口からは溜め息混じりの言葉を吐く。しかしその様子は本来の調子を取り戻している。


「って事で……高貴、今日からここがお前の家だよー」

「勝手にするが良い……高貴とは名か?」

「はい、高貴な色をしているので」


 初季は子猫を抱き上げて雪平の膝の上に乗せる。子猫は膝の上でゴロンと仰向けになり、背中と同色の真っ黒なお腹を披露する。


「高貴、そこがお前のご主人様の膝上だよ。よく覚えておいて」

「おい、待て。何故、主人が私になる」


「この建物の主は貴方でしょう? それに貴方の飼い猫という事にしなければ捨てられてしまうかも知れない」

「確かにそうだが……」


 起き上がった猫が雪平の膝にすり寄る。頬や身体をこすり付けてみゃーと鳴いた。

 雪平はその愛くるしさに勝てるはずもなく抱き上げて撫でまわす。


目を細めて気持ち良さそうに喉を鳴らす黒猫を見ると不吉を呼ぶとは到底思えぬ愛らしさだ。


「可愛いな」

「そうでしょ? 何かを可愛がり、慈しみ大切にするという事は自分の心を綺麗にしてくれると思うのです。大事にする事で優しくなれます。そして気持ちに余裕が生まれて気分も上を向きます」

「確かに……そうかも知れぬ」


 初季の言う通りだと雪平は思った。


 腕の中で喉を鳴らす子猫に心癒され、不吉だ何だと言っていた自分が馬鹿らしくなる。


「おいで、高貴」


 その声に反応して子猫が初季の膝に乗ると、初季は懐から鈴を取り出した。


 赤い紐で繋がれている小さな鈴は初季の霊力を込めた物だ。

 鈴を首に着けて床に降ろすと再び雪平の膝に乗り、丸くなる。


「鈴は魔除けの効果もあります。懐いてるようですし、問題ないでしょう?」


 雪平の膝で丸まる子猫を撫でながら初季は言う。

 微動する度にちりんと鳴る鈴の音が二人の心を和ませた。



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