第11話 黒猫

 内裏のとある一角に雪平の御殿は建っている。帝が雪平の為に造らせたというその御殿は大内裏のどの建物よりも新しい。

 犬の物の怪を退けた日から千歳は雪平の御殿の一室を与えられ、泊まり込みで生活するようになった。雪平に呪詛を行っている犯人を見つけて片付けるまでの期限付きだ。

 寝所は別の部屋に設けてあるが日のあるうちは雪平の寝室の隣の部屋で過ごすように言われている。

元は机や脇息、座布団などの最低限の家具しか置かれていなかったその部屋も今では初季の持ち込んだ茶器や菓子櫃、花瓶、積み上げられた書物などで生活感溢れる空間へと様変わりしている。

初季がいるので和泉や雅近の往来も頻繁になり、女房達もどこか楽しそうで御殿全体の雰囲気が明るくなったように雪平は感じていた。

「千歳、調子はどうだ?」

 机に書物を広げて読みふけっている千歳に雪平は声を掛けた。

「天文に関してはあまり知らなかったので興味深いですね。勉強になります」

 陰陽道とは呪術や占いに関する分野と天文を観測しそれを元に吉凶を占う分野の大きく二つに分かれる。

 陰陽道に関する知識は少なからず持っている。しかし、千歳が雅近から許されたのは悪鬼や物の怪を払う事、言わば忌み者払いのわずかな知識のみで天文の知識はない。

陰陽道の知識は陰陽寮で特別な勉強と修練を積んだ者のみが得ることが出来るものであり、部外者にその知識を与える事はご法度である。

 いくら陰陽寮の統括者でもバレたらただでは済まない。

 この機会に千歳は特別に陰陽寮の生徒達に混ざり講義を受ける事を許された。

 最初はどうなるか不安だったが、親王から魔を払った英雄、歴代随一の陰陽師の息子という看板は鉄の盾の如く強力だった。

 遠巻きに見られるものの、正面から嫌味や喧嘩を吹っかけて来る者は今の所いない。

「その後、体調の方はいかがですか?」

「大事ない」

「何よりです」

「ときに、千歳」

「何でしょう?」

「それは何だ?」

「教本です」

「見れば分かる。私はお前の膝の上で寝ているものは何だと聞いている」

 初季は大きく溜息をつく。

「猫ですよ。小さい」

「黒の、……だろう」

 初季の膝の上で丸くなっているのは黒い子猫である。まだまだ小さく、つぶらな瞳と丸い小さな頭、ふにふにとした感触がくせになりそうな肉球がとても愛らしい。

「可愛いでしょ?」

 にこにこと緩みきった笑顔を雪平に向ける。

 愛おしそうに猫の頭や背を撫で、幸福に満ち足りた顔をしている。

「……捨てて来い」

 しかし、絆されたりはしないと理性を奮い立たせて雪平は言う。

「もしかして、猫が嫌いなんですか?」

「いや、嫌いではない。むしろ好きな方だ」

「ならば良いではないですか」

「黒猫だぞ。不吉の象徴ではないか。白や茶ならともかく」

 黒猫は魔の使い、不吉の象徴と言われ、意味物とされている。

「ただでさえ、不吉だなんだと言われているのに忌み物をおくなど」

「黒でなければ良いのですか?」

「あぁ」

「何故?」

「先程言っただろう。黒い色が駄目なのだ」

「不吉な色だからですか?」

「そう言っている」

「なら、高官達の官服の色も変えるべきでしょう」

「なっ……!」

 雪平は初季の言葉に絶句する。

 親王などの高位の官吏は黒色の感服を身に着けている。高位の証である黒を不吉の意味を持つ黒は同じだと遠回しに指摘され、雪平は言葉を失う。

「そうでしょう? 同じ黒なのに自分達は良くて猫は駄目なんてことありませんよね」

「それは……」

「そもそも、こんな黒猫に魔を引き寄せる力などありはしません。黒が魔を呼ぶなら大内裏は魔物だらけではないですか。よって、黒にそんな力はありません。白や茶の猫が問題ないのであれば猫にもそんな力はない事になります」

 言葉が詰まったまま言い返せずにいる雪平を見て初季は畳みかけるように言った。

「結論として、黒猫に魔を呼ぶ力など皆無です」

 毅然と言い放つ初季は不敵な笑みを浮かべている。完敗である。

 正論で雪平を言い負かした初季はご満悦だ。

「大体、この時代の人は知識も思想も偏り過ぎで思い込みが激し過ぎるんですよ。物事は柔軟に考えないと」

 年下の娘に指摘されて口惜しい気分になるが言い返す言葉が見つからなかった。

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